枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

五月の御精進のほど①

 五月の御精進の時、(定子さまが職の御曹司にいらっしゃった頃のことだったんだけど)塗籠の前の二間の所を特別に飾りつけたら、いつもと違って素敵な感じなの。

 一日(朔日/ついたち)から雨模様で、曇りの日も続いてて。何もやることがなくって退屈なもんだから、「ほととぎすの声を探しに行きましょう」って言ったら、「私も私も」って、みんな出かけることに。賀茂の向こうの方に、ナントカ崎?って言ったかな、七夕の渡る橋じゃなくって、ヤな感じの名前で評判なんだけど…「あの辺りでほととぎすが鳴くんだ」って誰か言ったら、「それは、蜩(ひぐらし)ですわ」って言う人もいるの。「そこへ!」ってことで、5日の朝に中宮職のスタッフに牛車を頼んで、北の陣から「五月雨だと濡れても叱られないからね」って、建物のすぐ横まで車を寄せて、4人ほど乗ってお出かけ! すると、他の子たちがうらやましがって、「もう1台、車を同じように」なんて言うんだけど、「だめですよ」って定子さまがおっしゃってね。こっちはスルーして情けもかけない感じで行ったら、馬場っていう所で人が大勢で騒いでるの。「どうしたんですか?」って訊ねたら、「射術演習で弓を射るんです。しばらくご覧になっていらっしゃってください」と言って、車を止めたのね。「左近の中将、他みなさんがお着きになりました」って言うんだけど、そんな人は見えないの。六位の役人なんかがうろうろしてるから、「興味ないわ。早く行って」と言ってどんどん進んで行くのよ。道中も、(賀茂)祭の頃が思い出されておもしろいわ。


----------訳者の戯言---------

五月の御精進。「さつきのみそうじ」と読みます。陰暦5月に行う精進潔斎とのこと。肉食を断ち、行いを慎んで身を清めることを「精進」と言ったようです。

職におはしますころ。これまでにも何回か出てきましたから、「職の御曹司」に中宮定子が滞在していた頃のことですね。「職の御曹司におはします頃、木立など」の段の「訳者の戯言」にやや詳しく書いていますのでご覧ください。

塗籠(ぬりごめ)とは、土などを厚く塗り込んだ壁で囲まれた部屋のこと。初期の寝殿造りでは寝室として使われたそうです。

七夕の渡る橋というのは、「鵲(かささぎ)の橋」ですね。「ナントカ埼」みたいな感じもある地名ですから、「かささき」的なところなんでしょうか。「かささぎの橋」といえば、大伴家持の「鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける」ですが、もう少し詳しくは「橋は」の段に書きましたのでよろしければお読みくださいね。

原文の「手結(てつがい)」は、射術を競う朝廷の年中行事である射礼(じゃらい)、賭射(のりゆみ)、騎射(うまゆみ)の前に行う武芸演習のこと、だそうです。

この段もそこそこ長いので、5~6回に分けて読み進めるつもりです。ご了承ください。

先にも書きましたが、今回も職の御曹司にいたころの逸話なのだと思います。これまでの「職の御曹司」モノから考えると、やはり楽しかったころの思い出話になるのでしょうね。今回は夏前の梅雨時のお話でしょうか。清少納言が提案して、ちょっとしたお出かけ。今で言うと、ドライブに行きました的な話ですね。
さて、どんな話になるのでしょうか。
②に続きます。


下記、コメント欄への記載内容を本文に転載(追記)しています。19.12.3

ある京都在住の方に、賀茂の奥にある嫌な感じの名前の場所に心当たりはないか尋ねたところ、「ナントカ埼」ではないんですが、「柊野別れ(ひらぎのわかれ)」というネガティブな印象の地名があると伺いました。

調べてみたところ、上賀茂神社の北西、京都産業大学より少し南に、西(左手)に行けば雲ケ畑方面、東(右手)に行けば貴船方面へと分岐している「柊野別れ」という三叉路がたしかにあります。

そして、ネットで調べると、この「柊野別れ」については、次のような逸話が語られていることもわかりました。

その昔、ここより北、京都産業大学の辺りに処刑場があり、そこで処刑される罪人を見送りにきた家族とは、この「柊野」の分かれ道で文字通り永遠の別れをしなければならなかったそう。このため、いつしかここを「柊野別れ」と呼ぶようになったのだ、と。

しかし、さらに調べていると、この辺りに刑場があったという歴史的な記録は一切ないんですね。つまり、作り話が口コミで伝わり、都市伝説になった類なのでしょう。私は、京産大生か立命あたりの学生が、「別れ」という地名にからめて、半ばおもしろがって言ったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

「別れ」というのは「分かれ道」「分岐点」そのもののことで、単純に「柊野」エリアの分岐点を指したというのが正解な気がします。昔は文字にそれほど頓着しませんでしたからね。
そもそも上賀茂神社から北、貴船までのエリアは上賀茂神社が直轄する領地だったそうです。上賀茂神社というと、京都でいちばん古い神社であるだけでなく、御所を鎮護する神社とされていました。賀茂祭葵祭)も勅祭であったそうです。つまり、天皇家から最も崇敬されていた存在なのですね。そのような場所を処刑場にするという発想が出て来るでしょうか。ありえませんね。

というわけで、ちょっとしたことでも調べてみると、おもしろい話が出てくるものだと再認識しました。世にまことしやかに語られることも、案外違っていたりするんですね。私もものごとの真贋を見分けられるように、いっそう精進したいものです。


【原文】

 五月の御精進のほど、職におはしますころ、塗籠(ぬりごめ)の前の二間なる所を、ことにしつらひたれば、例様ならぬもをかし。

 一日(ついたち)より雨がちに、曇り過ぐす。つれづれなるを、「ほととぎすの声たづねに行かばや」と言ふを、我も我もと出で立つ。賀茂の奥に、何さきとかや、七夕の渡る橋にはあらで、にくき名ぞ聞えし、「そのわたりになむ、ほととぎす鳴く」と人の言へば、「それは蜩(ひぐらし)なり」といふ人もあり。「そこへ」とて、五日のあしたに、宮司に車の案内言ひて、北の陣より、「五月雨は、とがめなきものぞ」とて、さしよせて、四人ばかりぞ乗りていく。うらやましがりて、「なほ今一つして、同じくは」などいへど、「まな」と仰せらるれば、聞き入れず、情なきさまにて行くに、馬場(むまば)といふ所にて、人多くて騒ぐ。「何するぞ」と問へば、「手結(てつがひ)にて、真弓射るなり。しばし御覧じておはしませ」とて、車とどめたり。「左近の中将、みな着き給ふ」といへど、さる人も見えず。六位など、立ちさまよへば、「ゆかしからぬことぞ。はやく過ぎよ」といひて、行きもて行く。道も、祭の頃思ひ出でられてをかし。

 

枕草子―能因本 (原文&現代語訳シリーズ)

枕草子―能因本 (原文&現代語訳シリーズ)

 

 

口惜しきもの

 残念なものとは? 五節や御仏名に雪が降らないで、雨が空を暗くして長々と降ってるの。節会なんかに、しかるべき宮中の物忌みが重なっちゃった時。準備万端、今か今かと待ってたイベントなんだけど、差し支えがあっていきなり中止になっちゃった場合。管弦の遊びのスタンバイをして、見せたいものもあったんだけど、使いを遣ってお招きした人が来ないのもすごく残念だわ。

 男も女も僧侶でも、仕えてる所とかから、同僚といっしょに寺にお参りして、見物に行くのに、車から衣装がお洒落な感じにはみ出してて。言ってみれば、度を過ぎてて、一般には見苦し過ぎ、ってさえ思われるほどなんだけど、わかってる人に、馬ででも車に乗ってても、出会うこともなくって、見られないままで終わっちゃうのは、すごく残念なの。でもそれじゃあおもしろくないから、身分は低いけどセンスのいい趣味人なんかで、人々に言いふらしてくれそうな人がいたらなーって思うのよ、かなり異常だけどね。


----------訳者の戯言---------

くちをし。「口惜し」です。元々は「朽ち+惜し」で、自分の目の前で「だんだん悪い状態になって行く=朽ち果てる」状況をわかっていながら、それを食い止める力が自分にはない、「朽ち果てるのを、止められない無力感」を表わす言葉だったそうですね。「残念だ」「くやしい」「がっかりだ」の意味となります。

「五節」はこれまでにも何度か出てきましたが、新嘗祭、もしくは大嘗祭の時に行われる「五節の舞」「五節の舞姫」のことでした。新嘗祭大嘗祭)は旧暦の11月、二回目の卯の日(旧暦11月13日~11月24日のいずれか)だったそうですから、時期で言えば今の12月頃ですね。宮中祭祀のひとつ。今で言うと収穫祭とでも言うべきものです。

御仏名については、「御仏名のまたの日」にも書きました。旧暦の12月19日から三日間行われるらしいですから、こちらは1月くらいですか。

節会。節日、他重要な公事のある日に、天皇が臣に酒食を賜る儀式です。元日、白馬(あおうま)、踏歌、端午、豊明(とよのあかり)の五節会のほか立后立太子、任大臣、相撲(すまい)などがあったそうです。

トンガリ過ぎてるおしゃれ、カッコよすぎるコーディネート、斬新なファッション、なんていうのは、それなりのセンスを持ってる人じゃないと評価すらできないわけで。せっかくのオシャレなんですから、わかる人に見てもらいたいんだよねーってことですね。清少納言、結構、おしゃれにはうるさいというか、かなりのファッション通でファッションチェックはピーコさんばりですし、おそらく、自分のコーディネートなんかも凝りまくってるんでしょう。

なので、誰でもいいからオシャレさがわかる人に見てもらって、言いふらしてほしい、って。自分でもイカレてるってのわかってますけどね、と。

今ならインスタのリポストとか、ツイッターのリツイみたいな感じでしょうか。ま、清少納言は現代で言うところの有名ブロガーでありましょうし、ウェブマーケティングにおける所謂インフルエンサーになりうる人でしょう(今なら)。

そこそこ有名な人なんだから、もうちょっと、どっしり構えててもいいのにね、と思うのは私だけでしょうか。


【原文】

 口惜しきもの 五節、御仏名に雪降らで、雨のかきくらし降りたる。節会(せちゑ)などに、さるべき御物忌(いみ)のあたりたる。いとなみ、いつしかと待つことの、さはりあり、にはかにとまりぬる。あそびをもし、見すべきことありて、呼びにやりたる人の来ぬ、いと口惜し。

 男も女も法師(ほふし)も、宮仕(づかへ)所などより、同じやうなる人もろともに寺へ<も>詣で、ものへも行くに、このましうこぼれ出で、用意(ようい)、よく言はば、けしからず、あまり見苦(みぐる)しとも見つくべくぞあるに、さるべき人の、馬(むま)にても車にても行きあひ、見ずなりぬる、いと口惜し。わびては、好き好きしき下衆(げす)などの、人などに語りつべからむをがなと思ふも、いとけしからず。

 

むかし・あけぼの 上 小説枕草子 (文春文庫)
 

 

あさましきもの

 あきれちゃうものっていうと…。刺櫛(さしぐし)を磨く時、物に突き当ててしまって折っちゃった気分。牛車がひっくり返ってしまった時。こんな大きな物、狭っくるしく感じるくらい堂々としてるハズって思ってたのに、いざそうなったら、ただ夢のような感じがして、あれれ、どうしましょ、どうしようもないわねってね。

  誰かに、その人が恥ずかしくなっちゃうくらいの悪口を遠慮もなく言ってるの。必ず来るだろうって思う人を一晩中起きて待ってて、明け方にそれをほんのちょっと忘れて眠ってしまって。烏(からす)がとっても近くで「かぁかぁ」って鳴くから、起きて見上げたら、もうお昼になってるのとかも、めちゃくちゃあきれることよね。

 見せちゃいけない人に、他所に持っていく手紙を見せちゃってるの。全然知らない、見てもないことを、人に面と向かって、反論の余地もなく一方的に言ってるのもね。物をこぼしちゃった時の気分も、すごく情けないわ。


----------訳者の戯言---------

「あさましき」もの。現代語の「あさましい」のもとになった語だそうです。「あきれちゃうわね、情けねー、あれれびっくりするわー」というニュアンスが入り混じっているようですね。

刺櫛(さしぐし)というのは、櫛の中でも、といたり、すいたりするのがメインの櫛ではなく、要するに、セットした髪に刺したと。ヘアアクセサリー的な櫛ですね。

車というと、この時代は牛車でした。「檳榔毛はのどかに」の段で私、いろいろと書いています。

「所せく」「所せし」というのは、狭っくるしい、窮屈な、みたいな意味もあるし、重々しくて立派、おおげさ、扱いづらいという意味もあるんですね。古語には、ポジティブな意味とネガティブな意味、あるいはいくつか意味の共存する言葉が時々あって。これもそのようです。ただ、「大きいから窮屈になってる」「狭っくるしく感じるほど立派な」と考えると腑に落ちますね。

あへなし。「敢へ無し」と書くようで、「どうしようもない、がっかり」というニュアンスになります。

前々段「ねたきもの」でも似たようなことあったんですが、清少納言、おっちょこちょい過ぎませんか?
今回は刺櫛を磨いてたら、ぶつけて折ってしまったと。彼氏が来るのを寝ないで待ってて、ちょっと一瞬眠ったと思って起きたらもう昼でしたとか。何か(液体?)こぼしたりもするし。

さて、他人あての手紙を見る行為ですが、今なら刑法犯(刑法第133条)になります。刑法第133条に「正当な理由がないのに、封をしてある信書を開けた者は、一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」と示されています。当然、家族でもです。ま、平安時代の法律にはないでしょうけれど。最低限のマナーですよね。それに、「清少納言にバカにされる」「枕草子に書かれる」くらいの罰は受けます。

封をしてない場合は微妙ですね。刑事罰は逃れるものの、プライバシー権侵害の可能性はあるでしょう。民事で損害賠償請求はできるかもしれません。プライバシー権憲法13条(個人の尊重)において守られるべきであり、民法709条710条あたりに基づいて不法行為と認定されれば勝訴できるかもしれませんね。代理人弁護士の腕次第というところでしょうか。

気になってしまい、ずいぶん話が逸れてしまいました。すみません。

ま、あんまり他人様にあきれられるようなことはしないようにしたいもの。で、自分的にも情けないことはしないように気を付けようと。そんなことが言いたかったのでしょうか。


【原文】

 あさましきもの 刺櫛(さしぐし)すりて磨くほどに、ものにつきさへて折りたる心地。車のうち覆(かへ)りたる。さるおほのかなるものは所せくやあらむと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。

 人のために、はづかしうあしきことをつつみもなく言ひゐたる。必ず来なむと思ふ人を夜一夜起きあかし待ちて、暁がたにいささかうち忘れて寝入りにけるに、烏のいと近く「かか」と鳴くに、うち見上げたれば昼になりにける、いみじうあさまし。

 見すまじき人に、外(ほか)へ持て行く文見せたる。むげに知らず、見ぬことを、人のさし向ひて、あらがはすべくもあらず言ひたる。物うちこぼしたる心地、いとあさまし。

 

現代語訳 枕草子 (岩波現代文庫)

現代語訳 枕草子 (岩波現代文庫)

 

 

かたはらいたきもの

 いたたまれないもの、っていうと、お客様なんかに会ってお話してる時、家の奥の方でぶっちゃけトークしてるんだけど、それを止めることもできないで、そのまんま聞いてる時の気分。愛してる男性が、すごく酔っぱらって、おんなじことを繰り返しやってるの。当人が聞いてるのを知らないで、人の噂話をしてしまうのもね。それは何てことない身分で、使用人であったとしても、すごくいたたまれない気持ちだわ。旅行中、泊ってるところで、下男たちがふざけてるの。かわいくもない赤ん坊のことを、親だけは自分が愛しく思ってるまま、褒め、かわいがって、その子の声そっくりそのまんまに言ったことなんかを人に語るのもね。学のある人の前で、学のない人がいかにも知ってる風な声で、歴史上の人物の名前なんかを言ってるのも。特にいいとも思わない自分の歌を誰かに語って、人が褒めてくれたとかっていう話をするのも、また、いたたまれない気持ちになるものだわよね。


----------訳者の戯言---------

「かたはらいたし」っていうと、よく時代劇とかで、中途半端に偉い(とされている)人物(例えば代官、悪徳商人等)が、自分より下級だと思われる町人(遊び人の金さん=実は江戸町奉行、どっかの隠居じじい=実は水戸光圀)なんかが歯向かってきた時に「片腹いたいわww」とか言う、あれを思い出しますね。身の程を知らない相手の態度がちゃんちゃらおかしい、って感じでしょうか。

が、しかし、この段で言っている「かたはらいたし」は意味が違います。そのそも「傍らいたし」ですから、「第三者の立場から見ていて、傍から見てて」→「心が痛む。心苦しい。はらはらする。気の毒。いたたまれない。」という感じを表しているんですね。
さらに少し転じて「恥ずかしい」「きまりがわるい」という意味にもなります。

最初に私が書いた「片腹いたいわw」は、このあたりの諸々の意味が転じて「身の程知らずすぎて恥ずかしい気の毒な奴だから脇腹が痛くなるほど笑っちゃうぜ」ってことだろうと思います。ただ、使われたのは江戸時代以降のようですね。

とまあ、余談が過ぎましたが、元々の意味の「かたはらいたきもの」特集です。前段に続いて「あるある」ですね。

「かなしき」の「かなし」は「愛し」と書くケースもあったようで、こちらの意味は「悲しい、哀しい」ではなく「しみじみとかわいい。いとしい」です。

ま、ま、概ね「かたはらいたきもの」っていうのは、(苦笑)or(汗)もしくは orz が付く感じですね。それぞれの文尾に、付けてみましょう。

・~そのまんま聞いてる時の気分(汗)
・~おんなじことを繰り返しやってるの(苦笑)
・~人の噂話をしてしまうのもね(汗)
・~下男たちがふざけてるのorz
・~そのまんまに言ったことなんかを人に語るのもね(苦笑)

んー、ちょっと違いますか(汗)


【原文】

 かたはらいたきもの 客人(まらうど)などに会ひてもの言ふに、奥の方にうちとけ言など言ふを、えは制せで聞く心地。思ふ人のいたく酔ひて同じことしたる。聞きゐたりけるを知らで、人のうへ言ひたる。それは何ばかり<の人>ならねど、使ふ人などだにいとかたはらいたし。旅立ちたる所にて、下衆どものざれゐたる。憎げなるちごを、己(おの)が心地のかなしきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のままに言ひたることなど語りたる。才ある人の前にて、才なき人のものおぼえ声に人の名など言ひたる。ことによしともおぼえぬわが歌を人に語りて、人のほめなどしたるよし言ふもかたはらいたし。

 

枕草子 (岩波文庫)

枕草子 (岩波文庫)

 

 

ねたきもの

 いまいましいもの。誰かのところにこっちから歌を送る時も、貰った歌に返歌を送る時にも、書いて遣わした後になって、文字を一つか二つ直したくなったような場合ね。あと、急ぎの縫い物をする時に、上手く縫えたと思って針を引き抜いたら、なんと、端を結んでいなかった時。それから、裏返しに縫っちゃったのも、(我ながら)くやしかったわね。

 南の院に定子さまがいらっしゃった頃、「急ぎで縫わなくちゃいけないお着物です。どなたもどなたも、時間かけないですぐに、みんなで縫ってしまってね」ってことで、生地を支給されたから、南側の部屋にみんな集まって着物の片身ずつ、誰が早く縫うかって競って、近くで向かい合いもしないで縫ってる様子って、まじイカレちゃってるわよね。で、命婦の乳母(めのと)がいちばん早く縫い終わって下に置いたんだけど、裄の長い方の片身頃を縫ってたのを、裏返しになってるのに気づいてなくて、糸も留めてなくって。慌てて席を立ったんだけど、背の部分を合わせてみたら、そもそも全然違ってたの。みんな大声で笑って、「早く、これを縫い直して!」って言うんだけど、「誰が間違って縫っちゃったって縫い直すかしら? 綾織の布だと模様があるから裏を見ないような人でも、ホントに!って思って直すでしょう、でも何にも紋様が無い着物なんだから、何を目印にするの? 直す人っているかしら? いないでしょ。まだ縫ってらっしゃらない方に直させなさいよ」って、聞く耳持たないもんだから、「そんな風に言って、まかり通るわけ? なわけないんだけどねぇ」って、源少納言中納言の君とかっていう人たちが、ダルそうに持って来て仕方なくお縫いになってたのを、命婦の乳母が遠くで座って見てたのはおもしろかったわ。

 いい感じの萩や薄(すすき)なんかを植えて鑑賞してたんだけど、長櫃を持った者が鋤なんか引っ提げてきて、掘りに掘って持って帰ってくのは、ホントやりきれなくって、腹立たしいのよ。身分の高い人がいる時はそんなことしないのに、厳しく止めようとしても「ほんの少しなので」とか言って帰るの、言うだけ無駄でムカつくわね。

 受領なんかの家に、しかるべき家の下僕がやって来て、偉そうな物言いをして。(でも、俺さまをどうすることもできないでしょ?)なんて思ってるのも、すごくイライラするわ。

 見たい手紙とかを誰かが横取りして、庭に下りて読んでるのも、めちゃくちゃ情けなくって、癪にさわるの。追っかけてって、御簾のとこにとどまってそれを見てる時って、実はすぐにでも飛び出して行きたい気持ちなのよね。


----------訳者の戯言---------

南の院というのは、東三条殿の南院のこと。この段の逸話は、東三条殿が父である藤原道隆邸となっていた頃で、定子が入内する直前なのでしょう。

命婦の乳母(めのと)、源少納言中納言の君というのは、定子付きの同僚の女房だと思います。名前の由来はよくわかりませんが。女房名がどのようにできてるのかについては「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて② ~物など啓せさせむとても~」などに書いてあります。

で、命婦の乳母、なかなかのワガママっぷりです。
まあ、昨今のオフィスでもありそうなシーンですね。それぞれの年齢やキャリアが詳細にわかれば、もっとおもしろいんですけど。

「長櫃(ながびつ)」とは「衣服・調度を入れる形の細長い櫃。棒を通して二人で担ぐ」(デジタル大辞泉)だそうです。

さて、ねたきもの。「いまいましい」「憎たらしい」「くやしい」といったような意味の言葉です。
イライラしたり、ムカついたり、癪にさわったりといったニュアンスもあるようで、ざっくり言うと「ムカついたことあるある」の段です。

それにしても裁縫については清少納言自身、おっちょこちょい過ぎですねー。
こんな知的な私なのに裁縫に関してはダメダメなの、みたいなカワイイアピールでしょうか。時々やりますね、清少納言。「御仏名のまたの日」では、知的だけどヘタレな私、みたいな感じもありましたしね。


【原文】

 ねたきもの 人のもとにこれより遣るも、人の返りごとも、書きてやりつるのち、文字一つ二つ思ひなほしたる。とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、針を引き抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるもねたし。

 南の院におはします頃、「とみの御物なり。誰も誰もと、時かはさずあまたして縫ひてまゐらせよ」とて、たまはせたるに、南面に集まりて、御衣の片身づつ誰かとく縫ふと、近くもむかはず、縫ふさまもいともの狂ほし。命婦の乳母(めのと)いととく縫ひはててうち置きつる、ゆだけの片の身を縫ひつるがそむきざまなるを見つけで、とぢめもしあへず、まどひ置きて立ちぬるが、御背あはすれば、はやくたがひたりけり。笑ひののしりて、「はやく、これ縫ひなほせ」といふを、「誰あしう縫ひたりと知りてかなほさむ。綾などならばこそ裏を見ざらむ人もげにとなほさめ、無紋の御衣なれば何をしるしにてか、なほす人誰もあらむ。まだ縫ひ給はぬ人になほさせよ」とて、聞かねば、「さ言ひてあらむや」とて、源少納言中納言の君などいふ人達、もの憂げに取りよせて縫ひ給ひしを、見やりてゐたりしこそをかしかしりか。

 おもしろき萩・薄などを植ゑて見るほどに、長櫃持たる者、鋤など引きさげて、ただ掘りに掘りて往ぬるこそわびしうねたけれ。よろしき人などのある時は、さもせぬものを、いみじう制すれども、「ただ少し」などうち言ひて往ぬる、いふかひなくねたし。

 受領などの家にも、ものの下部などの来てなめげに言ひ、さりとて我をばいかがせむなど思ひたる、いとねたげなり。

 見まほしき文などを、人の取りて、庭に下りて見立てる、いとわびしくねたく、追(お[も])ひて行けど、簾のもとにとまりて見立てる心地こそ、飛びも出でぬべき心地すれ。

 

『枕草子』の歴史学 春は曙の謎を解く (朝日選書)
 

 

上の御局の御簾の前にて

 定子さまのお部屋の御簾の前で、殿上人が琴を弾いたり、笛を吹いたりして、一日中遊んでて。灯火(大殿油)を点けに来る頃になったんだけど、まだ格子は下げてなかったのに、灯りを点けちゃったもんだから、戸が開いてるのがはっきりとわかってしまって、定子さまが琵琶を立ててお持ちになっていらっしゃったの。紅色のご衣裳は、言葉にするのも尋常ではない袿(うちき)、また、張ってある衣(きぬ)なんかを、たくさんお召しになって、すごく黒くてつやつやした琵琶に袖をおかけになって、お持ちになっていらっしゃるだけでもかっこいいのに、その手元から額のあたりにかけてが、とっても綺麗で白くくっきり際立っていらっしゃるのは、他の物に例えようもないくらい素晴らしいのよ。近くに座ってた女房に近寄って、私が「顔を半ば隠してた、っていう人だって、定子さまのようにこんなに素晴らしくはなかったでしょうね。かの人は並みの身分の人でしたから」って言ったら、彼女は道もないところを人をかき分け参上して、それを申し上げてね、それを聞いた定子さまはお笑いになって、「あなた、『別れ』は、知っているかしら?」っておっしゃったのも、すごくいかした感じだったわ。


----------訳者の戯言---------

袿(うちき/うちぎ)というのは、「平安中期以後の貴族女性や女官の正装の一つで、表衣(うわぎ)の下に重ねて着た角形広袖の衣服」でした。内衣(うちぎ)、衣(きぬ) 、御衣(おんぞ)、重ね袿、ときには衵(あこめ)とも呼ばれ、その上に唐衣(からぎぬ)と裳を着けて正装としたそうです。

「顔を半ば隠して」というのが、よくわからないので、たぶん何かの故事かなんかだろうと調べました。さもありなん、今回はネットで案外簡単に見つかりましたよ!
出典は白楽天白居易)作の「琵琶行」という漢詩でした。

白居易は江州司馬に左遷され、失意のうちにあったんですが、その翌秋、波止場に人を送って、琵琶を弾く落ちぶれた長安のかつての名妓に出会い、彼女の弾く琵琶を聴き、その哀れな身の上話に、自らの悲しみを重ね合わせる、という内容の詩を表しました。これが「琵琶行」です。88句から成る七言古詩で、結構長いです。「長恨歌」とともに、後世の戯曲、小説、日本文学にも大きな影響を与えたとも言われ、西欧にも早くから紹介されたそうですね。

実は「琵琶行」の一節は「御仏名のまたの日」の段でも出てきました。なるほど、この詩はかなり有名な詩らしく、知識階級では常識的なネタだったんでしょう。私は知りませんでしたけどね。えへへ。
ま、当時漢文を習熟している女性というのは少なかったようですから、定子にしろ清少納言にしろ、これを何気にコメントに混ぜてくるっていうのが、スゲー!って感じなんでしょう。

「顔を半ば隠して」というのは「猶抱琵琶半遮面」(猶ヲ琵琶ヲ抱キテ半バ面ヲ遮ル=それでもまだ、琵琶を抱え込んで、半分顔を遮って隠すようにしている)という一節。

「並みの身分の人」というのは「琵琶行」の序にある一節「本長安倡女」(元々は、首都長安の倡妓で)からとっているようですね。

「別れ」というのは「別時茫茫江浸月」(別ルル時茫茫トシテ江ハ月ヲ浸ス=別れようとした時、果てしなく広がる潯陽江の水面に、月が沈もうとしていた)

ということでした。(たぶん)

清少納言が、琵琶を持った定子さまの様子を「琵琶行」の主人公の元・人気歌姫の佇まいよりもさらにステキ!彼女は並の身分の人だったし、とヨイショして、それを近くの女房に伝えさせたら、定子さまが「あなたは『別れ』は知ってるかしら?」とすぐさま呼応なさったのが、これまたステキ!って、前段に続いてまたまた大絶賛。もはや定番です。


【原文】

 上の御局の御簾の前にて、殿上人、日一日琴笛吹き、遊びくらして、大殿油(おほとなぶら)まゐるほどに、まだ御格子はまゐらぬに、大殿油さし出でたれば、戸のあきたるがあらはなれば、琵琶の御琴をたたざまに持たせ給へり。紅の御衣ども、いふ<も>[に]世の常なる袿(うちき)、また張りたるどもなどをあまた奉りて、いと黒うつややかなる琵琶に、御袖を打ち掛けて、とらへさせ給へるだにめでたきに、そばより、御額のほどの、いみじう白うめでたくけざやかにて、はづれさせ給へる<は、たとふべき方ぞなきや。近くゐ給へる>人[々]にさし寄りて、「『なか<ば>隠したり』けむ、えかくはあらざりけむかし。あれはただ人にこそはありけめ」といふを、道もなきにわけまゐりて申せば、笑はせ給ひて、「『別れ』は知りたりや」となむ仰せらるるも、いとをかし。

 

これで読破! 枕草子 上

これで読破! 枕草子 上

 

 

無名といふ琵琶の御琴を

 「無名」っていう琵琶を帝が持って定子さまのところに来られた時のこと、それを見たり、かき鳴らしたり、っていうのが本当なんだろうけど、実は、弾くでもなく、弦なんかを手でもてあそんで、「これの名前は何ていうんですか?」って定子さまに尋ねたら、「全然、何てことなくって、名前なんて無いのよね」っておっしゃったのは、やっぱりすごく素晴らしいわ、って思えたの。

 淑景舎(しげいしゃ)の方なんかがお越しになって、お話しなさったついでに、「私のところにすごく素敵な感じの笙の笛があって。亡き父上が下さったものなんだけど」とおっしゃったから、僧都の君(隆円)が、「それは私、隆円に下さい。私のところに素晴らしい琴(きん)があるんです。それと交換してくださいよ」って申し上げなさったんだけど、淑景舎の方はお聞き入れられることもなく、全然違うことをおっしゃってたから、何とか返事をもらおうって何回もお聞きになるんだけど、やっぱり何もおっしゃらなくって、定子さまが「『いなかへじ(いえいえ、交換はしないわよ)』って思ってるんだから」って、代わりにおっしゃったご様子は、すごく素敵なこと、この上なかったわ。

 この笙の笛の名前を、僧都の君(隆円)はご存じなかったから、ただただ恨めしくお思いになったようね。これは職の御曹司に定子さまがいらっしゃった時のことだったかしら。帝の御前に「いなかへじ」っていう笛があって、その名前なのよ。

 帝の御前にある物は、琴も笛もどれもみんなめずらしい名前がついてるの。玄象(げんじょう)、牧馬(ぼくば)、井手、渭橋(いきょう)、無名など。また、和琴なんかも、朽目(くちめ)、塩釜、二貫(にかん)などの名前が付いてるわ。水龍(すいりゅう)、小水龍、宇多の法師、釘打(くぎうち)、葉二(はふたつ)など、そのほか色々、たくさん聞いたけど、忘れちゃった。
 そういえば「宜陽殿(ぎようでん)の一の棚に置くほどのもの」っていう(優れた楽器を称える)言葉は、頭中将がよく口にしていらっしゃったわね。


----------訳者の戯言---------

「琴(きん)」というのが弦楽器全般を指す、ということは以前の段に出てきました。ですから原文の「琵琶の御琴」という書き方は不自然なものではありません。「清涼殿の丑寅の隅の③ ~村上の御時に~」の解説部分をご覧いただけば詳解しています。

淑景舎(しげいしゃ)というのは、御所の後宮にあるお屋敷の一つで、内裏の北東部、「桐壷」とも呼ばれたそうです。女御などが居住したお屋敷ですね。
で、当時ここに住んでいたのは中宮定子の妹・原子(げんし/もとこ)です。一条天皇の次の天皇となる三条天皇に即位前(東宮時代)入内していますから、「淑景舎の方」という言い方もできるというわけです。

僧都の君というのは藤原道隆の四男、つまり、定子や原子の弟にあたる人だそうです。出家していて法名を隆円と言ったらしい。

宜陽殿(ぎようでん)というのは、平安京内裏にある殿舎の一つですが、ウィキペディアによると「母屋は天皇累代の御物・宝物を保管しておく納殿として用いられた」とのこと。ここに保管されるということは、最上級の宝物の一つ、ということなのでしょう。

ま、いずれにしても楽器も名器になると、色々と名前が付きます。ストラディバリウスなら、レディ・ブラントやらデュランティやら。エレキギターだと、クラプトンのブラッキーとか、ブライアン・メイのレッド・スペシャルとかですね。

というわけで今回は、よさげな楽器にまつわる、ちょっとした面白話です。
「無名」だから「名前なんて無いのよね」とか「いなかへじ」に因んで「いえ、換えないわよ」とか、まあ、中宮定子の咄嗟のお言葉がいかしてると、例によってですが、清少納言、定子さま大絶賛の巻ともなっています。

いい笙の笛があるのよ、っていうすぐ上のお姉ちゃんに、僕の持ってる琴(きん)と換えっこしてくれないかな?って言ったんだけど、完全スルー、いちばん上のお姉ちゃんにたしなめられるっていう、きょうだいのほのぼの話でもあり、さらに名器にはいろいろ名前がついてるよなーと雑学的な記述も交えながら、最後は頭の中将の言葉で結ぶと。

お察しの通り、頭の中将(頭中将)というと、藤原斉信(ただのぶ)という男前でございます。おしゃれで、美男子、ウィットもインテリジェンスもあってとモテ要素満載。女房たちもメロメロです。清少納言も胸キュンキュンしてしまいそうなナイスガイ。朝廷の要人でもあり、藤原公任藤原行成源俊賢とともに一条朝の四納言と称されました。
かへる年の二月廿余日①」「頭の中将の、すずろなるそら言を聞きて①」に登場していますので、思い出してください。

モテモテの男前のこと、清少納言もやっぱり最後に書いておきたいんでしょう。という段でした。


【原文】

 「無名といふ琵琶の御琴を上の持てわたらせ給へるに、見などして、かき鳴らしなどす」といへば、弾くにはあらで、緒などを手まさぐりにして、「これが名よ、いかにとか」と聞こえさするに、「ただいとはかなく、名も<な>[お]し」とのたまはせたるは、なほいとめでたしとこそおぼえしか。

 淑景舎などわたり給ひて、御物語のついでに、「まろがもとにいとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させ給へりし」とのたまふを、僧都の君、「それは隆円に賜へ。おのがもとにめでたき琴(きん)侍り。それに代へさせ給へ」と申し給ふを、聞きも入れ給はで、こと事をのたまふに、いらへさせ奉らむとあまたたび聞こえ給ふに、なほものものたまはねば、宮の御前の、「『いなかへじ』と思したるものを」とのたまはせたる御けしきのいみじうをかしきことぞ限りなき。

 この御<笛>[文]の名を、僧都の君もえ知り給はざりければ、ただうらめしう思(おぼ)いためる。これは、職の御曹司におはしまいしほどの事なめり。上の御前に、「いなかへじ」といふ御笛(ふ<え>[み])の候ふななり。

 御前に候ふものは、御琴も御笛も、みなめづらしき名つきてぞある。玄象(げんじやう)、牧馬(ぼくば)、井手、渭橋(ゐけう)、無名など。また和琴(わごん)なども、朽目(くちめ)、塩竃、二貫などぞ聞こゆる。水龍(すゐろう)、小水龍(こすゐろう)、宇陀の法師、釘打、葉二つ、何くれなど、おほく聞きしかど忘れにけり。「宜陽殿(ぎやうでん)の一の棚に」といふ言ぐさは頭の中将こそし給ひしか。

 

枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い (朝日選書)

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