枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、「わかりやすい」「初心者向け」となっているとは思いますがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

職の御曹司におはします頃、木立など

 職の御曹司に定子様がいらっしゃった頃、木立なんかはずいぶん古びてて、建物の様子も高くてね。ひと気がなくって、もの寂しいんだけど、なんとなくいい感じなの。母屋は鬼が棲みついてるって言われてるから、間を置いて南側にスペースをつくって、南の廂の間に御帳を設置して、さらにその外側に出ている又廂の部屋に女房たちが控えてるの。

 近衛の御門(陽明門)から左衛門の陣(建春門)に参上される上達部の先払いの者たちの声は、殿上人のは短くって、私たち、大前駆(おおさき)、小前駆(こさき)って名前をつけて、掛け声を聞いては騒いでるのね。毎度毎度のことだから、その声をみんな聞き分けて、「これは誰?」「あれは?」なんて言って、また、「違うわ」とかって言ったら、人を使って見に行かせたりなんかして、言い当てた人は「やっぱ、そうでしょ」なんて言ってるのも面白いの。

 月がまだ空に残ってる有明のころ、とっても深く霧が立ち込めてる庭に女房たちが下りて、歩いてるのをお聴きになって、中宮さまも起きられたのね。で、中宮の御前にいる女房たちがみんな外に出てきて、庭に下りて遊んでたりするうちに、だんだん夜も明けていくの。

 「じゃあ、左衛門の陣(建春門)に行ってみましょう」って行くと、「私も私も」ってついてくの、で、そんな時、大勢の殿上人の声で「なにがし一声秋(いっせいのあき)」と謡いながらやって来る音がするもんだから、逃げ帰って、何もなかったようにお話をするのよ。「月をご覧になっていらっしゃったんですね」なんて、感心して歌を詠む人もいたりして。

 夜も昼も、殿上人が絶え間なくやって来るの。上達部でさえ帝のもとに参内される時、特別急ぐ用事がない場合は、こちらへも必ず参上なさるのよ。


----------訳者の戯言---------

職の御曹司(しきのみぞうし)というのは、「中宮職」の庁舎のことだそうです。「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて①」にも書きましたね。
中宮職中務省に属する役所で、皇后に関する事務全般を司っていたらしいです。

原文の「おはします」というのは、「いらっしゃる」「おられる」ですが、かなり高い尊敬の意をあらわす言葉です。帝、皇妃(中宮など)、親王、姫などに使われることが多いようですが、このシチュエーションから考えると、中宮・定子様というのがわかるようになっている、ということらしいですね。

だいぶ前に「大進生昌が家に」という段があって、当時の状況をざっくりと書きました。「中宮職」についても少し触れています。「大進」生昌はその役所の役付き職員の一人でした。

長徳の変」のあおりを受け後遺症的に謹慎状態だった定子が、その謹慎期間が明けた直後、「職の御曹司」に長期滞在していた時期があるようです。その時のことなのですね。だから、これは周知のことであり、これを前提に、描かれた段、ということになるでしょうか。

「廂」というのは「ひさし」のことで、母屋の外側に付加されてる部屋だそうです。これまでにも何度か出てきましたね。すぐ前の段の「細殿」も廂の間の一つでした。

「御帳」ですが、ま、高貴な方のお屋敷で、主がメインに居る場所のようですね。「御帳台」とか「御帳の間」などとも言うらしいです。
中に台があって、そこに寝転んだり、座ったりしてるそうですから、リビングのソファみたいなものと思っていいかもしれません。「帳」というカーテンが四方に垂らされています。拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」の第百三十八段の解説文のところに図がありますのでご参照ください。

「又庇」は寝殿造りで、母屋の外側の庇からさらに外方に設けた庇だそうです。「孫庇」とも言うらしいですね。

「上達部」は、摂政・関白・太政大臣左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議、および三位以上の人の総称です。所謂「公卿」で、宮中の幹部貴族と言っていいかもしれません。

「前駆(さき)」というのは、当時は先払い、先追い、あるいは警蹕などといって、それなりのポジションの人が道を通ったりする時に、スタッフが声を上げて、道を空けるために人払いをしたらしく、それをこうも書いたようです。

有明」というのは、夜か明けても月が残ってる朝。です。

近衛の御門=陽明門(ようめいもん)は、平安京大内裏の外郭十二門の1つで、左衛門府が警固を担当したそうですが、門内に左近衛府の建物があったため「近衛御門」と呼ばれたそうです。なぜ、そんなことになっているのかはよくわかりませんけど、歴史的にいろいろあったのでしょう。大内裏の東側にありました。

左衛門の陣=建春門(けんしゅんもん)平安宮内裏外郭七門の一つで、東面の門。左衛門府の役人の詰め所があったので「左衛門の陣」とも言われたのだそうです。因みに「職の御曹司」は内裏の外郭の外側にありました。建春門から見ると道を隔てて北東方向、比較的近くにあったようです。

和漢朗詠集に下のような漢詩があり、これを吟じていたのでしょう。源英明という人の作らしいです。

池冷水無三伏夏(池冷やかにして水に三伏の夏無し→池の冷たい水には、三伏の夏も無い)
松高風有一声秋(松高うして風に一声の秋有り→松の木の高いところを吹く風に、秋の声を聞くようだ)

三伏」というのは、一年で最も暑い時期のことなのだそうです。調べてみたので詳しく書きますと、夏至以後の3回目・4回目と立秋以後の最初の庚の日をそれぞれ初伏・中伏・末伏とし、この三つを合わせて三伏と言うのだそうです。ただ、その日取りの決め方はいくつかあるようですね。

さて本題です。
前述のとおり「長徳の変」を経て、謹慎的期間が明けた直後、「職の御曹司」に長期滞在していた時期、この段はその時の様子を書いているようです。

ここでは、とてもにぎやかな様子が描かれていて、定子さまのいらっしゃる「職曹司」に多くの幹部貴族が参上している、とも書かれていますが、実は定子の実家である中関白家は例の事件「長徳の変」で、凋落しつつあるのは否めない頃。対して藤原道長の娘・彰子が入内するのが、この段に描かれている日々とほぼ同時期であり、実権はすでに道長に移っている時代でありました。
もしかすると、定子さまが輝く時代ももうすぐ終わるのでは、と思いながら過ごしてた、そんな日々の、束の間の楽し気なできごとをピックアップしました的な段なのです。はしゃいでる感じもあったりしますが、清少納言のカラ元気とも見え、そう考えると、少ししんみりもするのです。


【原文】

 職の御曹司におはします頃、木立などのはるかにものふり、屋のさまも高う、け遠けれど、すずろにをかしうおぼゆ。母屋(もや)は鬼ありとて、南へ隔て出だして、南の廂に御帳立てて、又廂(またびさし)に女房は候ふ。

 近衛の御門より左衛門の陣に参り給ふ上達部の前駆ども、殿上人のは短かければ、大前駆・小前駆とつけて聞き騒ぐ。あまたたびになれば、その声どももみな聞き知りて、「それぞ」「かれぞ」などいふに、また「あらず」などいへば、人して見せなどするに、言ひあてたるは、「さればこそ」などいふもをかし。

 有明のいみじう霧りわたりたる庭に下りてありくを聞こしめして、御前にも起きさせ給へり。うへなる人々の限りは出でゐ、下りなどして遊ぶに、やうやう明けもてゆく。

 「左衛門の陣にまかり見む」とて行けば、我も我もと<お>[と]ひつぎて行くに、殿上人あまた声して、「なにがし一声<の>秋」と誦して参る音すれば、逃げ入り、物などいふ。「月を見給ひけり」など、めでて歌よむもあり。

 夜も昼も、殿上人の絶ゆる折なし。上達部まで参り給ふに、おぼろげに急ぐことなきは、必ず参り給ふ。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)