枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

弾くものは

 弾くものって言ったら、琵琶よね。その調弦は風香調(ふこうじょう)がいいわ。黄鐘調(おうしきじょう)。蘇合(そごう)の急。鶯(うぐいす)の囀(さえず)りっていう曲。
 
 筝(そう)の琴は、すごく素晴らしいわ。筝曲は、想夫恋(そうふれん)がいいわね。


----------訳者の戯言---------

琵琶というと、琵琶法師の琵琶ですね。古いもので、その原型となった楽器はササン朝ペルシアの頃にはあったとか。西洋ではリュートとかになったようですね。で、琵琶は日本でも奈良時代には伝わってたらしいです。
楽器分類学上は「リュート属」に属しているもの。撥弦楽器、つまり弾(はじ)いて音を出す弦楽器で、普通はバチで弾きます。日本では三味線などよりもかなりかなり古い歴史があります。実は三味線は15世紀とか16世紀とかに沖縄(琉球)から伝わったもので、かなり新しいのです。
ちなみにバイオリンは擦弦楽器で、ラバーブという楽器が起源だそうですね。少し系統が違います。

清涼殿の丑寅の隅の③」という段に、琴(こと)、つまり当時の弦楽器のことを書いています。もし興味がおありでしたら、ご覧くださいね。琵琶も「琵琶の琴」と言われることがありました。


風香調(ふこうちょう)というのは、楽琵琶(雅楽で使われる琵琶)の調子の一つ。実際には黄鐘(おうしき)調の笛に合わせるものと盤渉調の笛に合わせるものと二通りの調弦(チューニング)があったらしいです。華やかなものとして、平安時代に愛好されたとか。

黄鐘(おうしき)調というのは、雅楽六調子の一つ。黄鐘の音(イ音)を主音とする旋法だそうです。ということですから、わかりやすく言うと、ドレミファ~のラ(A)を主音とするキーですね。

盤渉調というのも、六調子の一つ。盤渉(洋楽のロにあたる)の音を主音にした調べと書かれています。ロ音ですから、シ、B。Bのスケールでしょうか? 冬の調子と言われるそうです。

ですが、「調子」とか「旋法」とか、前段の「舞は」でも書いたとおり、洋楽とは違うようで、正直よくはわかりません。やっぱり聴き込まないとわからない。というか、慣れでしょうか。

かく言う私も、パンクロックがオルタナティブロックであるかと言われれば「??」ですし、ハードロックとヘビメタの境界線も曖昧、R&Bとソウル、ゴスペルの違いとかもモノによってはよくわからないですしね。正直J-POPとシティポップと歌謡曲の違いもわからないというかー、ですから。

ま、琵琶のチューニングって話ですから、ロックギターで言うオープンGとかオープンDとか、そういうものなのでしょう。オープンGというとキース・リチャーズですね。「ブラウンシュガー」とか、もちろん普通のチューニングでも弾けるけど、やっぱ響きはオープンチューニングのほうがかっこいい。そういう感じってことかな。
つまり。「弾くものはギター、チューニングはオープンGよね」ぐらいの感じかもしれません。ほんまか?


で、黄鐘調は先ほどすでに出てきましたが、雅楽六調子の一つです。繰り返しになりますが、黄鐘の音(イ音)を主音とする旋法。でも何回書いてもわかりません。実際にじっくり聴いたこともないですから、わかるわけないですね。清少納言的には好きみたいです。


蘇合(そごう)の急というのは何か?という疑問。たしかに「蘇合香(そこう/そごうこう)」という曲が雅楽にあるようです。「教訓抄」という書物によると、中国から伝わった曲らしいですが、インドのアショカ王が病気になった時、蘇合香という草を薬にしなければ亡くなってしまう、なんてことを言われ、こりゃ国の一大事!!ってことで、これを探し回ったらしいんですね。しかし、すぐに手に入れることができなかった。7日後にこの草をようやくGETでき、病気も回復したと。これを喜んで作ったそうです。舞のほうは王の弟の作と言われてます。良くできた話だ。この草を甲(かぶと)に仕立てて、舞ったところ、御殿の中が香りでいっぱいになったとか。で、この草の名「蘇合香」を曲の名としたんだと。出来過ぎですよね。

で、この「蘇合香」という曲、めちゃくちゃ大曲です。全部演じると数時間かかるらしい。なんと、盤渉調調子、道行、序、三帖 (さんのじょう) 、四帖、五帖、破、急、重吹から成る大規模な曲なんですね。交響楽で言うと組曲みたいなものでしょうか。で、清少納言はこのうちの「急」が良いということなのでしょう。
例えて言うと、「『アルルの女』の『メヌエット』がステキ!」とか「『惑星』の『ジュピター』がいいわね」とかのイメージです。


「鶯の囀り」というのは「春鶯囀(しゅんおうでん/しゅんのうでん)」のことのようで、これも大曲だそうです。唐楽の4個の大曲のうちの一つらしいですね。4つの大曲というのは、「皇麞(おうじょう)」「春鶯囀」「蘇合香」「万秋楽(まんじゅうらく)」です。先に出てきた「蘇合香」も含まれてます。この「春鶯囀」という曲は唐の高宗がウグイスの声を模して作らせたと言われているそうです。なんだかんだ、逸話がありますね。髭男がコンフィデンスマンJPロマンス編の時に作った、とか、米津玄師が初音ミクで作った、とか、佐村河内さんが新垣さんに作ってもらったとか。まぁそういう感じでしょうか。なわけねー。

でも大曲というから、長いんでしょうね。クラシック音楽もそうですけど、そこそこ長いです。「春鶯囀」も1時間超らしいですよ。
余談ですが、有名な話なのが、音楽CDのデータ容量です。12cmCD=74分と決められたのは、ベートーベンの第九が収まる時間、としたのは本当のようで、よくクイズ番組で出ますよね。実際にクラシックの95%は75分で収まるんだそうです。つまり逆に言うと、クラシックって結構長いんですよ。大概眠くなります、私は。モーツァルト交響曲40番ですぐ寝られますよ。悪口でなく心地よいのです、モーツァルトは。


「筝の琴」は、今、私たちがまさに「筝=こと」と呼んでる楽器です。長くて重たそうで弦がたくさん(13本)張られているあれですね。雅楽ではこれを使ったのでしょう。弦が多いですから、やっぱり音は豊かだと思います。

これに対して「琴(きん)の琴」は小型で、弦は7本。柱(じ)が無く、指で押さえて音程を変え演奏します。筝が柱=ブリッジで音程をつくっているのに対し、演奏にテクニックが要る、つまり難しかったみたいで、平安中期には廃れたようなのですね。フィクションですが、光源氏は名手だったようです。筝よりも琴(きん)のほうが古風だし難しいし、かえって素敵!という感じもあったようですね。

先に紹介した「清涼殿の丑寅の隅の③」でも、村上天皇の女御(宣耀殿の女御)が父の藤原師尹に「琴(きん)の御琴を誰よりも上手に弾けるようにしなさい」と育てられたということが書かれていました。ここからも「琴(きん)」のほうは、上流階級の教養の一つだったことが伺われます。

相府蓮というのは、ググりますと、多肉植物であることがわかります。画像はこんな感じ。蓮の花に似た多肉植物ではありますが、何故この植物に相府蓮という和名が付いたのかはわかりませんでした。
で、この多肉植物とは、名前以外全然関係のないらしいのが、この曲名です。
本来の表記は「相府蓮」なのですが雅楽の曲名としては「想夫恋」として残っています。元々の意味は、「丞相府の蓮」(じょうしょうふのはす/大臣の官邸の蓮)を表すそうです。晋の大臣(丞相)である王倹の官邸の蓮を歌った歌が原曲だったのが、「相府」と「想夫」の音が同じっていうことで、後に、男性を慕う女性の恋情を歌う曲とされたという、なんか誤解が真実になったような…。いいんですけど、アホやなーとちょっと思います。
後世ではありますが、有名なのは「平家物語」の「小督」で、平清盛の怒りを恐れて嵯峨野に隠棲した高倉天皇の寵姫・小督が爪弾いた筝の曲が「想夫恋」であったとのこと。美貌の箏の名手であったと伝えられる人です。


というわけで、今回は、音楽について書いています。たしかに自分的な音楽の趣味を語りたい気分はわからなくもありません。
当時の音楽はまあ、だいたいが雅楽です。ただ、私なんか聴くとどれもおんなじような感じに聴こえますしね、面白くは思えないです。なので、共感からはほど遠いですね。
「調べ」というのもなかなか難解な言葉で、チューニングのこと、キーのこと、それからよくわからない旋法?ですか? 曲自体のことも「調べ」と言うようですしね。

結局、「をかし」とか全然思えません。清少納言を研究してる方、あるいは清少納言に傾倒されている方は、これは当時の音楽に対する清少納言の感想をビビッドに表したもの、とするのでしょうが、私などは「あーねー」って感じですね。はっきり言って、昔の音楽、つまらないです。こんなのに心を動かされたんですかね、昔の人は。


【原文】

 弾くものは 琵琶。調(しら)べは風香調(ふかうでう)。黄鐘調(わうしきでう)。蘇合(そがふ)の急(きふ)。鶯の囀りといふ調べ。

 筝(しやう)の琴、いとめでたし。調べは、相府連(さうふれん)。

 

 

舞は

 舞は、駿河舞(するがまい)。求子舞(もとめごまい)はすごくいい感じだわ。太刀を抜くようなところはヤだけど、すごくいかしてるの。唐土(もろこし=中国)で、敵と味方が一緒になって舞ったとかいう話を聞くとね。

鳥の舞もいいわ。抜頭(ばとう)は、髪を振り上げた目つきなんかは気味が悪いけど、音楽のほうはやっぱりすごくおもしろいの。落蹲(らくそん)は二人で膝をついて舞ってるもの。それと、狛(こま)がた、ね。


----------訳者の戯言---------

駿河舞は、ちょくちょく出てきます。駿河の風俗舞(ふぞくまい)で、東遊 (あずまあそ)びの一つ。有度浜 (うどはま)に天人が下って舞ったと伝えられてるものだそうです。風俗舞は、地方の国々に伝承されていた舞です。念のため言っておきますが、風俗とは言ってもみなさんが考えているようなイヤラシイ舞ではありませんよ! 考えてませんか、すみません。
有度浜は、「浜は」にも出てきました。静岡市にある海浜で、歌枕です。 
「東遊び」というのは、古く東国地方で風俗歌に合わせて行われた民俗舞踊です。つまり、東国の風俗舞。東舞とも言われたそうです。これも「遊び」と名がついてますから、何だかムフフな感じもしますが、やはりそういうものではありません。東遊びは神事舞の一つとして演じられたそうで、現在も宮中や神社の祭礼で行われているようです。


求子舞も東遊びの一種だそうです。求子歌に合わせて踊るんだそうです。これも東遊びの一つで駿河舞とともにその代表格と言われてるらしいです。両巨頭という感じのようです。


太平楽。太食(たいしき) 調で新楽の中曲とあります。さっぱりわかりませんが。新楽というのは雅楽の分類で古楽に対して新しい時代の物を新楽と言うとか。中曲というのは、中くらいの規模の曲ということのようです。舞は四人舞。即位の大礼のあとなどに演じられるそうです。
太食調っていうのは何かというと、現代的に言うと「キー」だと思います。雅楽の六調子の一。平調(ひょうじょう)の音を主音とする旋法ということです。平調というのは、基音の壱越(いちこつ)より二律高い音で、中国の十二律の太簇(たいそう)、洋楽のホ音にあたります。ということは、Eですね。Eのスケールということでしょうか。

呂(りょ)の旋法に属するものだそうですが、まず旋法というのがよくわかりません。呂もわかりません。旋法とは「音楽で、一定の様式をもつ旋律を構成する諸音を選び出し、音階形に整理したもの。音階・調としばしば混同して用いられるが、旋法は旋律の動き方に由来する諸音の機能・中心音・音程配列・音域・旋法間の関係などを含めた概念である」(三省堂 大辞林 第三版)と書かれています。こうなるとさっぱりわかりませんね。洋楽の「調」とはどうも違うみたいです。聴いても慣れないと違いがよくわからないらしいです。もはや素人レベルではどうしようもない感じですよね。専門家の方に聞いてもたぶんわからないと思います。いっちょ雅楽でもやりますか。大嘘大嘘。

で、そんな太平楽に刀を抜くシーンが出てくるんですかね。清少納言的には野蛮でイヤなのでしょうか。


鳥の舞というのは、迦陵頻伽(かりょうびんが/美しい鳴き声をもち極楽に住むとされる想像上の鳥)とも言われる舞です。迦陵頻伽がやってきて舞った様子を写した舞楽であると伝えられているらしいですね。迦陵頻(かりょうびん)とも言います。


抜頭(ばとう)は、唐楽で、こちらは古楽らしい。先に出てきた太平楽と同じ太食調で古楽の小曲だそうです。


落蹲(らくそん)というのは、雅楽舞楽で、二人舞の「納曽利 (なそり) 」を一人で舞うときの呼称だそうです。ソロでやる時とペアでやる時のタイトルが違うんですね。〇〇フィーチャリング△△△、とかでもなく。全然違う曲名(舞楽名?)です。そんなややっこしいことしてたんですね、昔は。
一人舞の場合、曲名を「落蹲」というのは、一人舞の場合、舞人が舞台中央で蹲(うずくま)る舞容があるからなのだそうです。

がしかし、この枕草子では、逆になってます。二人で舞っているのが「落蹲」になってますね。
で、調べてみますと、「南都楽所(なんとがくそ)」では、一人舞の場合は曲名を「納曽利」、二人舞の場合は「落蹲」と呼ぶらしいです。

奈良時代には雅楽が盛んに行われ、その後平安時代になって、まさに清少納言が仕えた中宮定子の夫であり帝の一条天皇の時には、舞楽雅楽の奉行であった狛光高(こまのみつたか)という人によって「南都楽所」がまとめられたそうです。楽所っていうのは、ま、楽団のことですね。ですから、当時は雅楽の主流派だったのでしょう。


狛がた、というのは、不詳。しかし高麗楽(こまがく)に「狛龍」という舞はあったらしく、それが「狛がた」と俗に言われたのではないかという説がありました。高麗楽というのは、朝鮮から伝来した合奏音楽で、中国から伝来した唐楽に対するものであったようです。「狛楽」とも言ったらしいです。


舞とか舞楽とか雅楽とか、めちゃくちゃ難解で、今回はなかなか読み進められず、ちょっとサボりつつ、で、時間がかかりました。J-POPとかK-POPとかロックとか、ブルースとか、そういうのならまだ良いんですが、興味もないですしね、雅楽とかって。次は何なのでしょうか。うんざりしつつ、次段へ。


【原文】

 舞は 駿河舞。求子、いとをかし。太平楽、太刀などぞうたてあれど、いとおもしろし。唐土に敵どちなどして舞ひけむなど聞くに。

 鳥の舞。抜頭は髪振りあげたるまみなどはうとましけれど、楽もなほいとおもしろし。落蹲(らくそん)は二人して膝踏みて舞ひたる。狛がた。

 

 

あそびわざは

 遊戯は、小弓。碁。見た目は悪いけど、蹴鞠(けまり)もおもしろいわね。


----------訳者の戯言---------

小弓(こゆみ)。射的あそびです。小さな弓矢で的に当てる室内ゲーム。今ならダーツですか。もしくはシューティングゲームですね。

碁。「つれづれなぐさむもの」にも出てきましたが、今もある、あの碁です。中国から日本には7世紀に伝わったそうで、中国古代、春秋時代にできた?ということですから、紀元前数百年にすでにあったゲームなんですね。平安時代にももちろんたいへんポピュラーで、「源氏物語」にも碁を打つ人や碁を打つ場面も出てくるらしいです。ちなみに私は碁は全くわかりません。

鞠は蹴鞠(けまり)です。みなさんよくごぞんじのとおり、サッカーのリフティングみたいなやつですね。
蹴鞠には本来は勝敗がありません。
相手が蹴りやすいように心がけて、次々と鞠を渡すようにします。つまり競技ではなく、まさに遊戯。
原則、浮き球ですから、トラップ(クッションコントロール)して、そのまま浮かせて、リフティングしてから相手に浮き球でパス。メッシとイブラヒモヴィッチあたりがやるとめちゃくちゃ上手いと思います。契約金と年俸何億いるねんて話ですが。


【原文】

 遊びわざは 小弓。碁。さまあしけれど、鞠(まり)もをかし。

 

 

あそびは

 遊びは夜ね。人の顔が見えない時間帯がいいわ。


----------訳者の戯言---------

この時代には、概ね管弦などの音楽系の楽しみ、詩歌、舞などを、「遊び」といったようです。今のリア充系の方々の遊びですよね。ライブ感ありそうです。楽器ができる人はアドリブセッションをやって、詩歌のやりとりは今で言うならさしずめMCバトルでしょうか。で、ダンスですね。これもアドリブ。今年はコロナで無理ですが。

でも現代で「遊び」と言うなら、なんといってもゲーム、そしてSNSYouTubeでしょう。ガチャでレアアイテムゲトしたときの快感といったら!! もちろん、時間帯は問いません。電車の中でも、人によっては仕事中でも遊びます。

平安貴族たちは夜、薄暗いところ、顔が見えないくらいのところで、そういうライブをやるというのが楽しいっていうんですね。清少納言だけかもしれませんが。

今みたいに防音してたらいいんですけど、むしろ夜はちょっと近所迷惑だと思います。帝や中宮に近い人々の傲慢ですね。当時の「夜」は21時以降ですから、楽器をミュートなしで弾こうもんなら、今ならマンションの管理会社に通報されるレベルですよ。
顔も見えないくらい薄暗い中で、雅やかな音楽を奏でて、詩歌をやりとりしたり、舞を舞ったり…。いとをかしですわー。
と、そのへんのデリカシーがないところも清少納言らしいと思いました。


【原文】

 遊びは 夜。人の顔見えぬほど。

 

枕草子 いとめでたし! (朝日小学生新聞の学習読みもの)

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  • 発売日: 2019/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

陀羅尼は

 陀羅尼(だらに)を唱えるなら、暁がいい。お経を読むのは、夕暮れね。


----------訳者の戯言---------

陀羅尼(だらに)はサンスクリット語のダーラニーを漢字にしたもので、内容もサンスクリット語のものを漢字で音写したものだそうです。ダーラニーとは「記憶して忘れない」という意味で、本来は仏教修行者が覚えるべき教えや作法などを指したそうですが、これが転じて「暗記されるべき呪文」と解釈されるようになって、一定の形式を満たす呪文を特に「陀羅尼」と呼ぶようになったらしいです。

暁(あかつき)はまだ暗い夜明け。未明です。「あけぼの」よりは前の時間帯です。

根拠はよくわかりませんが、清少納言としてはそれぞれに合う時間帯があるようですね。私も一応、YouTubeでどちらも聴いてみましたが、ハッキリ言っておんなじです。私の感想は「陀羅尼もお経やん!!」でした。バチ当たりです。

ZOOの「チューチュートレイン」とEXILEの「チューチュートレイン」ぐらいの違いしかありません。もしくは。ミラクルひかる宇多田ヒカルぐらいですね。否。蟹とカニカマ?ぐらいの違いでしょうか。


実はうちのオカンがね、好きな文言があるらしいんやけど、忘れてしもうてね。
ほな考えましょかー。
オカンが言うのにはな、お坊さんが読むありがたーい文言やって言うねんな。
それお経やないかい!
けどオカンが言うにはな、葬式の時には絶対それ読まんといてほしいっていうねん。
ほなお経違うかー。お葬式にはお経が絶対付きモノやからねえ。お経のない葬式は、牛乳のかかってないコーンフレークみたいなもんやからね。
でもオカンが言うにはな、お線香の匂いにものすごく合うて、心がなんや落ち着く文言らしいねん。
そらお経やないかい! 心がものすごく洗われて、煩悩を消してくれるもんです、お経は。
けどな、朝暗いうちから読む、「だら」ナントカー言うてたんよな。
ほな、お経とちゃうがな。お経は朝暗いうちから読まへんでしょ、どっちかって言うたら夕方のもんでしょ。
で、清少納言が言うにはな。
清少納言
朝読むんは「だらに」ちゃうか?って言うてんねん。
いや絶対ちゃうやろ! もうええわー。

いやいや、そのとおりです。「だらに」なんですね、朝読むの。
というわけで、清少納言が言うにはそういうことらしいです。お経って、お寺の修行とかでお坊さんが朝から読んでるイメージもあるけど。内海もお経は夕方派なんですかね。


【原文】

 陀羅尼は 暁。経は 夕暮。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

物語は

 物語は…。住吉物語。うつほ(宇津保)物語、特に「殿移り」のところね、でも「国譲り」は憎ったらしいわ。埋れ木。月待つ女。梅壷の大将。道心すすむる。狛野(こまの)物語は、古い蝙蝠(かはほり=扇)を探し出して持って行ったのがおもしろいの。物羨みの中将は、宰相に子どもを産ませておいて、形見の衣なんかを渡すように言ったのが憎らしいわね。それと、交野(かたの)の少将。


----------訳者の戯言---------

物語。それぞれの内容まで把握しなければと思っていると、現代語のダイジェスト版で読むだけでも結構たいへんで、しかも現代には残っていない物語もどんどん出てくるし、時間がかかりましたね。すみません。暑いですし。と、言い訳はほどほどにして、解説です。


住吉物語」は調べてみると、鎌倉初期に著された物語だそうです。継子いじめの代表作とされてるようですね。「シンデレラ」的な。ただ、ここでも出てきたとおり、物語の原型はすでに平安時代にあったようで、「源氏物語」にも名前は出てきてるらしいです。主人公は中納言の美しい娘なんですが、母は皇族の血を引く女性で、この娘を残して早逝します。この中納言のもう一人の妻(つまり美しい娘の継母)は実家がお金持ち。で、こちらには二人の娘がいるという、何となく継子いじめの臭いがプンプンする設定。当時こういうのは人気があったのでしょう。継母というと最近は綾瀬はるかの「ぎぼむす」なんですけどね。むしろ真逆です。


宇津保物語(うつほ物語)は以前「かへる年の二月廿余日」に出てきました。当時非常に人気があった物語のようです。詳細はリンク先をご覧ください。

では、あらすじを再掲しておきます。
最初の主人公は清原俊蔭という人。王族出身の秀才で若年にして遣唐使一行に加わって唐に渡る途上、波斯(はし)国に漂着し、阿修羅に出会って秘曲と霊琴を授けられて帰国、これらを娘に伝授します。俊蔭の死後、家は零落、娘は藤原兼雅との間に儲けた藤原仲忠を伴って山中に入り、杉の大樹の洞で雨露をしのぎ仲忠の孝養とそれに感じた猿の援助によって命をつなぎます。
「うつほ」は「空洞」のことなんですね。この母子が潜んだ大樹の洞にちなみ「うつほ物語」となったようです。

一方、源正頼の娘・貴宮(あてみや)が仲忠ら多くの青年貴族の求婚を退け、東宮(皇太子)妃となり、やがて皇位継承争いが生じる過程を描く物語ももう一つの柱となっているようです。
霊琴にまつわる音楽霊験談と貴宮をめぐる物語。この両者がからみあって展開するお話だそうで、琴の物語が伝奇的であるのに対し、後半の貴宮の物語は写実的傾向があるようですが、後の物語、つまり「源氏物語」などへと続く現存最古の長編小説であるのは確かで、高い評価もあるようですね。

で、その藤原仲忠、貴宮にはふられたものの、今上天皇の女一宮と結婚し、生まれた京極の屋敷跡で見つけた蔵の中にあった祖父の古い日記を発見…というくだりがあって、物語の後半にある「蔵開(くらびらき)」の巻なんですが、その巻に仲忠の父(藤原兼雅)が中の君という女性に家を用意して、殿うつり(引越し)をさせるという場面が出てきます。

おそらくこの「蔵開」の「殿うつり」のあたりがいいと思ったのでしょう。え?違いますか?

「国譲(くにゆずり)」というのも「うつほ物語」後半のにある巻の名前です。先に出てきた「蔵開」上・中・下巻の次に展開される部分。文字どおり、帝の後継者選びのお話です。ざっくり言うと、貴宮=藤壺の産んだ皇子と、仲忠の妹=梨壺の産んだ皇子ともに立太子の噂がながれ、どちらが皇太子になるのか世が騒然としてくる、という内容です。

清少納言的には、この部分は嫌いみたいですね。政治的な争いをダイレクトに描いてるこの巻は支持できないということなのでしょうか。


むもれ木=埋れ木。調べましたが、現存していないとのこと。いわゆる「逸書」(かつて存在していたが、現在は伝わらない書物)です。作者や筋書きについては完全に不詳。そんな物語あったの?って感じですね。

「月待つ女」(つきまつおんな)も逸書です。満たされない悲恋の物語であったらしいですが、詳しいストーリーや作者はわかっていません。

「梅壷の大将」も、調べてみたところ、逸書でした。

「道心すすむる」も作者不詳です。「道心」は仏道に帰依することで、表題の「道心すすむる」は「出家・入道を薦める」の意味。物語の中で詠まれた歌はいくつか残っているらしく、このタイトルや、男性の登場人物が多いと見られていることから、失恋苦を動機とする主人公の出家・入道の物語ではないかと推測されているようですね。

どれもこれも逸書ですね。
結局「松が枝」も「狛野(こまの)物語」も写本が現存しておらず、逸書です。

「ものうらや(物羨)みの中将」も逸書。清少納言の言うには、主人公であろう物羨みの中将が、宰相(という名の女性らしい)に自分の子供を産ませた上、母子を見捨てたのに、亡くなったら(子どもか女性が?)形見の衣を引き渡すよう求めた、という、その主人公の行動が気に入らなかったようですね、たぶんですが。

「交野(かたの)の少将」も逸書です。交野は現在の大阪府交野市とのこと。
鎌倉時代に編まれた物語和歌集「風葉和歌集」に、本作に出てくる和歌がいくつか採られており、その詞書から部分的に物語の筋書きを知ることができたそうですね。
あらすじは以下のようなものとなっています。
色好みで、しかも文才に長けた美男子として都で評判の「交野の少将」に郡司の娘が一目惚れをします。で、この交野の少将、鷹狩をした時に、郡司の館に泊まり娘と一夜を共にしたそうです。しかし、恋多き男である交野の少将は、娘が待てど暮らせど再び彼女の元を訪れることはなく、ただ月日が過ぎて行きます。絶望した娘は、ついに長淵と呼ばれる淵への身投げをするに至ります。自分の着物の端を引きちぎり、通りがかりの鵜飼いが灯していた篝火の炭で着物の端に辞世の歌を書き、それを彼に渡すよう言い残して、淵に身を沈めたのだそう。たしかに哀しい物語です。

ただ、通りがかった鵜飼いの人の心中を察すると、私、ちょっといたたまれないですね。後味悪いですよねーつらいですよ、これ。え、俺、止めたほうがいいの? それとも?的な。ストーリー的には身投げしてもらったほうが読者も盛り上がるだろうし。というわけで、鵜飼いは自殺を阻止することもなくスルー。娘もそこまでは考えが至らなかったのでしょう。でももう少し気遣いは欲しいです。自分だけ死んだらいいっていうものでもないような気がします。


というわけで、清少納言的押しの「物語」です。否、嫌いなところも書いてたりしますね。
しかし結局、「住吉物語」と「うつほ物語」以外は全部逸書でした。作者もストーリーも不詳です。

今なら、好きな連ドラをツイートしてるようなものかもしれませんね。「半沢直樹」「SUITS」は後世に残るかもしれませんが、「MIU404」「ナギサさん」「M 愛すべき人がいて」「竜の道」はたぶん残らないでしょう的な。田中みな実の演技は残るかもしれないですがね。それぞれいいドラマだとは思いますけど、残らないものもある、そういうことだと思います。「BG」は微妙ですけどね、シリーズ物ですから。「SUITS」はオリジナルのアメリカ版がかなりヒットしたらしいですから、その余波でそこそこイケるかもしれない、という程度かもしれません。そもそも地上波自体、というかTVそのものが微妙な時期に来ているんですよね。だから残りにくいんです。

というわけで、まだまだ「〇〇は」という段は、この後もしばらく続くようです。調べもの、コツコツやります、はい。


【原文】

 物語は 住吉。うつほ。殿うつり。国ゆづりはにくし。むもれ木。月待つ女。梅壷の大将。道心すすむる。松が枝(え)。こま野<の>物語は、古蝙蝠(かはほり=扇)探し出でて持て行きしがをかしきなり。ものうらやみの中将、宰相に子生ませて、かたみの衣など乞ひたるぞにくき。交野(かたの)の少将。

 

まんがで読む古典 1 枕草子 (ホーム社漫画文庫)

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ふみは

 文は、白氏文集。文選(もんぜん)。新賦。史記。五帝本紀。願文(がんもん)。表。博士の書いた申文(もうしぶみ)。


----------訳者の戯言---------

「文集(もんじゅう)」というのは一般的に詩文集のことを指しますが、「白氏文集」を指すことが多いようです。「白氏文集」は、中国唐の文学者、 白居易漢詩集。白居易といえば字は楽天ですね。と言っても三木谷の楽天とは違いますよ。もちろんイーグルスとも違います。白楽天、ですね。文集の中の文集、文集を代表する文集だったんでしょうね。


「文選(もんぜん)」というのは、中国南北朝時代の蕭統(昭明太子)という人によって編纂された漢詩文集だそうです。有名らしいですよ。


「新賦」というのは、「新しい賦」なのだと思われますが、「新賦」という書物はどうやら無いようです。「賦」というのは、漢文の文体の一種だそうですが、古代中国――戦国時代に起源を持ち、前漢後漢から六朝時代あたりまでは「古賦」と言ったそうです。が、唐の時代に新しいスタイルの賦(律賦)ができました。この「律賦」を「新賦」として解釈するという説が強いようです。
そのほかにも、「文選」の中に「新賦」があるという説もあるんですが、私が調べた限りではその根拠がよくわかりませんでした。


史記」は、中国前漢武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書だそうです。何か聞いたことありますよね。いろいろと何らかの出典とかになっていたような気がします。何だったかな? 故事成語とか。元号とか。だったと思います。ありすぎて、説明しきれません。すみません。

 

「五帝本紀」はすぐ前に紹介された「史記」の記念すべき第一巻だそうです。パチパチ。誰も記念していないと思いますが。
三皇五帝というのは古代中国の神話伝説時代の8人の帝王のことを言うそうですね。三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされ、理想の君主とされたらしいです。「五帝」のほうが先に出てますが、後から「三皇本紀」と「序」も書かれたそうです。


「願文」というのは、「発願(ほつがん)の文」のことです。神仏に祈願の意を伝えるための文書なんですね。お寺や仏塔、仏像を造る時、写経や埋経(後世に伝えるため経文などを経筒に入れ、地中に埋めること)や 法会、仏事などに際して、その趣旨や願意を申し述べる文が作られたらしいですが、その文のことです。
華麗な字句で飾られることが多く、漢文学作品としても注目されたようですね。


表? あの表ですか? エクセルで作るやつ?と一瞬思いましたが、そんなワケがありません。
漢文としては、臣下が君主に上奏した文書を「表」と言いました。今も「辞表」とか言いますでしょ。あれも表の一種なんですけどね。

たしかにドラマで「辞表」って出てきますよね。辞表を内ポケットに忍ばせて、上司の命令に背いた捜査をする刑事。それから、不満が一気に爆発し義憤に駆られて上司の机に辞表を叩けつける熱い社員とか。
しかし現実にはそんなものを出す人はほとんどいません。一般には「退職願」か「退職届」ですよね。公務員は「辞表」を出すのである、と言う人もいますが、公務員も普通は「退職願」ですよ。そもそも「辞表」など出す人は現代社会にはいません。ドラマを見て勘違いした人ぐらいでしょうね。
会社の取締役が務めている役職を辞める時に「辞表」を出すのである、と言う人もいますが、それもまずありません。会社役員を辞める時は一般的に「辞任届」ですね。まれに「辞任届」を提出して取締役を外れた後、一般社員として勤務を続ける場合もあります。

いかんいかん、「表」の話でしたね。
表、の中でも臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことを「出師表(すいしのひょう)」と言ったらしいですが、特に注釈なく「出師表」と言う場合は、諸葛亮(字は孔明)が魏への遠征の前に皇帝に述べたものを指すらしいんです。
この時諸葛亮は、自分を登用してくれた先帝劉備に対する恩義を述べ、 若き現皇帝の劉禅を我が子のように諭し、自らの報恩の決意を述べました。格調高い名文と言われていて、内容もなかなかのものだと思います。私はそれほどでもないとは思いますが、感動的とさえ言う人もいます。
いずれにしてもこの「出師表」が「表」の代表格と言えるでしょうね。


平安時代、官人が、叙任や官位の昇進を望むとき、その理由を書いて朝廷に上奏した文書のことを「申文(もうしぶみ)」と言ったらしいです。で、そのころ、学生に教える立場の教官で、令制の官職として「博士」というポジションの人がいたそうなんですね。各分野の最高の専門家、今で言えば教授、プロフェッサーです。

紀伝(中国史)、文章(文学)、明経(儒教)、明法(法律)、算道とかの道(学部みたいなものか?)があって、後に紀伝と文章は統合されたらしいですが、そこにそれぞれ1~2名の博士がいたらしいですね。特に文章博士は大学寮における教授、試験などの業務の他に、天皇や摂関、公卿の侍読(じとう=学問を教える人)を務めたり、依頼を受けて漢詩を作ったり、で、申文を書く(代筆?)することもあったらしいですね。
そりゃ、その分野のプロフェッサーですから、さぞかし名文を書いたんでしょう。
清少納言も感心してるとおりです。ま、このため、権力者との距離が近くなり、彼らの推挙を受けて公卿まで昇る者も少なくはなかったらしいんですね。芸は身を助くと。否、学問ですね、身を助けるのは。何とも、やらしい世界ですが、そういうのはあったようです。


というわけで、「良い文と言えばコレよ!!」という段でした。ふみ(文/書)というと、漢文なんですね、当時は。漢字のことは真名(まな)と言いました。「仮名(かな)」の反対語ですね。

実は、当時は女性が漢字(真名)を使ったり、漢詩漢文に通じてるということは、必ずしも好意的にはとらえられてませんでした。
知識はあっても隠しているのが美徳、っていうのはやはりあったみたいですね。清少納言はまあ、言いたがりですから。紫式部とかにはそういうところを、後に非難されたりしてるんですよね。
そういう段です。


【原文】

 書(ふみ)は 文集。文選。新賦。史記。五帝本紀。願文(ぐわんもん)。表。博士の申文(まをしぶみ)。


検:書は

 

桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)

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  • 作者:橋本 治
  • 発売日: 1998/04/01
  • メディア: 文庫