枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

雪高う降りて

 雪が高く積もるぐらい降って、今も相変わらず降り続いてるんだけど、五位の人も四位の人も端正で若々しい人が袍(うへのきぬ)の色がすごくキレイで、石帯(せきたい)の痕(あと)がついてるのを、宿直姿(とのいすがた)の腰にたくし上げて。紫の指貫も雪にいっそう引き立てられて色の濃さが際立って見えるのを着て、袙(あこめ)は紅か、そうじゃなかったら、ハッとするような山吹色のを外にチラ見せしてね、傘を差してるんだけど、風がすごく吹いて横なぐりに雪が吹きつけてくるもんだから、傘を少し傾けて歩いて来たら、深沓(ふかぐつ)や半靴(ほうくか)なんかのはばきまで雪がすごく白く降りかかっているのは、おもしろく思えるわね。


----------訳者の戯言---------

袍(うえのきぬ/ほう)。上着のことです。

帯というのは、この時代には、束帯姿で袍につける革ひものことを言ったそうです。石帯(せきたい)ですね。黒漆を塗った牛の皮に、玉、瑪瑙(めのう)、犀角(さいかく)、烏犀(うさい)などの飾りを付けたもの。
犀角というのは、サイの角なんですね、あの動物のサイ。白いのと黒いのがあって、黒色のものを烏犀(角)と言ったらしいです。

宿直姿(とのいすがた)というのは宿直装束 (とのいそうぞく) をつけた姿。略式の衣冠または直衣(のうし)で、束帯(そくたい)より軽装だったようです。

「ひきはこえ」は「ひきはこゆ」の連用形です。衣服の裾(すそ)をたくし上げることをこう言いました。

衵(あこめ/袙)は、「男性が束帯装束に着用するもの」とか「宮中に仕える少女が成人用の袿の代用として用いたもの」とのことです。ここでは男性のですね。いちばん外側に着る着物のさらに中に着るやつです。

原文の「おどろおどろしき」です。時々出てきますね。
「おどろおどろし」の連体形です。古語では「おおげさな」という意味。もしくは「ものすごい」くらいの感じでしょうか。「いかにも恐ろしい」「気味が悪い」という意味もあったようですが、今に至ってはこっちのほうだけが残った感じです。以前も書いたのですが、夢野久作横溝正史江戸川乱歩の小説の雰囲気ですね。

深沓(ふかぐつ)というのは、革で深く作った沓(靴)だそうです。黒漆を塗り、雨や雪のときにはいたらしいですね。ショートレングスのレインブーツみたいなものでしょうか。HUNTERとかのショートブーツ、みたいな感じですかね、違いますか。
で、半靴(はうくわ/ほうか)です。深沓(ふかぐつ)を簡略化したもので、やや浅くて、金具つきの靴帯がないらしいんですね。ショートブーツに対して、こちらはブーティって感じでしょうか? ブーティはくるぶしが見えます基本。で、画像を調べてみたんですが、半靴も深沓もショートブーツですね。そんな変わらないです。ただ、くるぶしが見えるショートブーツをブーティって言って売ってるのもありますから。どっちにしろ細かいこと、言っちゃだめってことでしょうかね。

「はばき」っていうのは、外出するとき脛(すね)に巻き付けたものらしいです。後世には脚絆(きゃはん)と言われるようになりました。

さて、この段は、ある大雪の日の光景です。
バックグラウンドが白ですから、色の鮮やかな衣が際立つんですね。脛当てが雪で白くなるするぐらい吹雪いているというのが、いかしてるぅ、ってことなんですね。いわゆる叙景的な描写をした段です。たぶん教科書的に言うと、清少納言が目にしたものを感じたものをそのままにビビッドに描いた的な文章、となるのでしょうけど、私の評価はそれほど高くないです。清少納言は「をかし」でしたが、私はあんまりおもしろくなかったです。


【原文】

 雪高う降りて、今もなほ降るに、五位も四位も、色うるはしう若やかなるが、袍(うへのきぬ)の色いと清らにて、革の帯の形(かた)つきたるを、宿直姿に、ひきはこえて、紫の指貫も雪に冴え映えて、濃さまさりたるを着て、袙の紅ならずは、おどろおどろしき山吹を出だして、傘(からかさ)をさしたるに、風のいたう吹きて横さまに雪を吹き掛くれば、少し傾ぶけて歩み来るに、深き沓・半靴(はうくわ)などのはばきまで、雪のいと白うかかりたるこそをかしけれ。

 

 

身をかへて、天人などは

 生まれ変わって天人になるなんていうのはこういうことなのかしら?って見えるものは、普通の女房としてお仕えしてる人が御乳母になった場合ね。唐衣(からぎぬ)も着ないで、裳(も)だって、オーバーに言うとしたら着けてないような格好で、御前で添い寝をして、御帳台の中を居場所にして、女房たちを呼びつけて使い、自分の局(部屋)に用事の使いを出したり、手紙を取り次がせたりなんかしてる様子は、言葉で表しきれないくらいだわ。

 雑色(ぞうしき)が蔵人になったのも、素晴らしいわ。去年の十一月(しもつき)の臨時の祭に御琴(みこと)を持ってた時は一人前とは思えなかったけど、若君たちと連れ立って歩く様子を見たら、どこの人なの?ってさえ思えちゃう。でも他の部門から蔵人になった場合なんかは、そんなにすごくは思わないの。


----------訳者の戯言---------

女房というのは、袿(うちき/うちぎ)、内衣、表衣(うわぎ)などの上に唐衣(からぎぬ)と裳(も)を着けて正装としたわけですが、唐衣は、その女房装束(十二単)の一番上に着用する、腰までの長さの短い上衣です。裳はボトムスですね。巻きスカートみたいなやつです。
この二つを着ないでいる、ということは、ま、正装からするとだらしない感じなのかもしれませんが、家のリビングで下着で過ごしてるほどではありませんね。下にちゃんと服を着ているわけですから、それほどびっくりするほどのことではないと思います。なのに、清少納言がわざわざ書いているということは、まあ女房としてはそこそこのラフさ加減なんでしょうね。

雑色(ぞうしき)は文字通り雑用係です。無位の下級役人とされていますが、中には優秀で蔵人になる人もいたのでしょう。

神社にはそれぞれの例祭ではなく、臨時に行なう祭があります。単に「臨時の祭」というと特に、毎年旧暦11月、下(しも)の酉(とり)の日に行なう賀茂神社の祭のことを言うことが多いようですね。特に十一月と出てくると賀茂の臨時祭となります。

そういえば「なほめでたきこと」という段が前にありましたが、あれは春で石清水八幡宮の臨時祭の頃のことでした。


で、今回はそもそもそれほどでもなかったけど、一気に出世をした人のことを書いています。しかし御乳母については、これ結構disってませんか? なんか必要以上に感じ悪く書いてるような気がします。ま、成り上がりというか、そういう部分もあったのかもしれません。元々同クラスの立場だったのが、上役になって、偉くなったものよね的な妬みみたいなものが感じられます。

蔵人は蔵人所の雑色が蔵人になった場合は絶賛。ただ、他の部署から蔵人になってもそれほどではないらしいです、清少納言的には。ジョブローテーション的に蔵人になるよりは、蔵人所生え抜きのほうがいい、ということですかね。他部署から来た人を差別してますね。内勤から営業に転属してきた人をイジメたり、逆に営業販売から総務とかに行ってイジメられたりするの、昭和的ですね。もっと昔ですか。
蔵人所は帝の側近部門として特別感があるのでしょうから、ジョブローテーションでやってくる人もエリート候補のはずなんですけどね。
ま、今の民間企業で言うと、社長室のスタッフみたいなものでしょうか。文中にもありましたが、長くいると将来の幹部候補(君達)とも懇意になれるというメリットがありそうです。


【原文】

 身をかへて、天人などはかうやあらむと見ゆるものは、ただの女房にて候ふ人の、御乳母(めのと)になりたる。唐衣(からぎぬ)も着ず、裳をだにも、よう言はば着ぬさまにて御前に添ひ臥し、御帳のうちを居所(ゐどころ)にして、女房どもを呼びつかひ、局(つぼね)にものを言ひやり、文(ふみ)を取りつがせなどしてあるさま、言ひつくすべくもあらず。

 雑色(ざふしき)の蔵人になりたる、めでたし。去年(こぞ)の十一月(しもつき)の臨時の祭に(=雑色が)御琴(みこと)持たりしは、人とも見えざりしに、君達(きんだち)とつれだちてありくは、いづこなる人ぞとおぼゆれ。(=雑色の)ほかよりなりたるなどは、いとさしもおぼえず。


検:身をかへて天人などは

 

枕草子

枕草子

  • 作者:清少 納言
  • 発売日: 2018/05/16
  • メディア: Audible版
 

 

一条の院をば今内裏とぞいふ② ~すけただは木工の允にてぞ~

 藤原輔尹(すけただ)は木工寮の允(じょう=三等官)だった人で、蔵人になったの。すごく荒々しくって異様な感じだから、殿上人や女房が「あらはこそ」ってあだ名を付けてたの、それを歌にして、「比類なきお方だこと~、尾張の人の子孫なんだから~」って歌うのは、尾張兼時の娘の子どもだからなのね。この歌を帝が笛で演奏なさるのを、お側で控えてて、「もっと大きな音でお吹きになってください。彼には聴こえないでしょうから!」って申し上げたら、「どうかな? でも聞いて知られちゃうだろうしね」って、普段はこっそりとお吹きになるんだけど、あちらの御殿からこっちにやって来られて、「彼はいないね、今こそ吹こう!!」っておっしゃって、お吹きになるのはすごく素敵なの。


----------訳者の戯言---------

藤原輔尹(ふじわらのすけただ)という人がいたようです。

木工の允(もくのじょう)は、木工寮(もくりょう)の第三等官です。大、少の別があるらしい。
木工寮は宮廷の建築・土木・修理を一手にひきうけた役所で、具体的には宮殿の建築・修理、都の公共施設の修理、木器などの木製品の製作などを司りました。

「あらはこそ」。丸見え、とか、遠慮なし、みたいなイメージだと思います。一種のあだ名ですよね。disってます。「マルミエくん」とか、「遠慮ねーヤツ」とかですか。ところで「マルミエくん」はゆるキャラでいるようですね。

尾張氏(おわりうじ)は、「尾張」を氏の名とする氏族です。ま、姓ですね。元々は尾張の国を支配した一族の流れを汲んでいます。ご存じのとおり、尾張というのは今の愛知県の西部。戦国時代で言うと織田信長の出身地です。

ま、本人にも問題はあったようですが、それを尾張の人の子孫だからとdisられるのもどうかと思いますがね。地方差別です。

みそかに」は、「こっそり振る舞っている。ひそかだ。」という意味の「みそかなり(密かなり)」の連用形です。


というわけで、藤原輔尹という、なんかちょっとヤな感じの人を、みんな嫌ってて、あだ名を付けて、歌にまでして…みんなでdisってるという、そういう後半です。しかも帝まで。
いくら気に入らない人でも、それはないでしょ。

しかもそのdisりソングを笛で奏でる帝。それを絶賛する清少納言。ハァ?って感じです。ハラスメント? イジメ?
前半でちょっとしんみりした感じもありましたが、あれで終わってればね。後半で台無し。


【原文】

 すけただは木工(もく)の允(じよう)にてぞ蔵人にはなりたる。いみじくあらあらしくうたてあれば、殿上人、女房、「あらはこそ」とつけたるを、歌に作りて、「双(さう)なしの主(ぬし)、尾張人(をはりうど)の種にぞありける」と歌ふは、尾張の兼時がむすめの腹なりけり。これを御笛に吹かせ給ふを、添ひに候ひて、「なほ高く吹かせおはしませ。え聞き候はじ」と申せば、「いかが。さりとも、聞き知りなむ」とて、みそかにのみ吹かせ給ふに、あなたより渡りおはしまして、「かの者なかりけり。ただ今こそ吹かめ」と仰せられて吹かせ給ふは、いみじうめでたし。

 

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

  • 発売日: 2015/03/17
  • メディア: 単行本
 

 

一条の院をば今内裏とぞいふ①

 一条院を今内裏(いまだいり)って言うの。帝がいらっしゃる御殿は清涼殿で、その北にある御殿に定子さまはいらっしゃるのね。西と東には渡り廊下があって、帝はこの廊下をお渡りになって、定子さまから参上なさる通り道にもなり、前には中庭があるから植え込みを作り、籬垣(ませがき)を結って、すごくいい感じなのよ。
 二月二十日頃、うららかでのどかに日が照ってる時、西の渡り廊下の廂(ひさし)の間で、帝が笛をお吹きになるの。(藤原)高遠の兵部卿が帝の笛の師でいらっしゃるんだけど、笛二つで高砂を繰り返しお吹きになるのは、やっぱりめちゃくちゃすばらしいわ!なーんていうのもありきたりよね。笛のこととかをお話しされてる様子もすごくすばらしいの。御簾の下にみんな集まって、見上げているひとときは、「芹(せり)摘みし」なんて思うこともなかったわ。


----------訳者の戯言---------

今内裏(いまだいり)というのは里内裏と言ったりもしたそうです。平安宮の大内裏の外の街に設けられた皇居という意味だそうですね。

一条院というのは、大宮院とも言われていたらしいです。大内裏の北端は一条通(一条大路)で、東の端は大宮通(大宮大路)です。その二つの道路の交わるあたりにあったんですね。だから一条院とか大宮院と言われたのでしょう。一条天皇の邸宅だから一条院、というのではなさそうです。で、この一条院という邸宅を「今内裏」として使った、ということですね。
先に書いた通り、大内裏の北東カドの外側斜め向かいのちょっと上ったあたりに位置しています。一条院跡は今のユニクロ西陣店の北東にある名和児童公園あたりである、とのことです。

「清涼殿」と出てきますが、普通は平安京内裏の清涼殿を指します。天皇が日常住んだ所、プライベートスペースです。なので、私は読み違えて、一条院までかなり距離があるよな~と思っていたのですが、違うんですね。一条院の中で一条天皇が普段住んでいたのが「清涼殿」で、つまり一条院の中にも「清涼殿」があったというわけなんですね。
そしてその北側にさらに中宮の住む御殿があったということです。

渡殿とは、二つの建物をつなぐ屋根のある板敷きの廊下。渡り廊下です。つまり、一条院の中に、帝の住む清涼殿と中宮の住む北側のサブ御殿があり、この二つを繋ぐ南北の渡り廊下が東側西側に各々1本ずつあったということなんですね。

原文にある「まうのぼらせ給ふ」。「まゐのぼる」や「まうのぼる」は「参上する」の謙譲語です。帝のところに中宮が参上なさるということですね。

壺=坪というのは、中庭。建物や垣などに囲まれた、比較的狭い一区画の土地のことを言うそうです。

笆(ませ)は籬とも書くようです。「ませ」と言うだけで、だいたい籬垣(ませがき)のことを指すことが多いようですね。
籬垣は竹や柴 (しば) などを粗く編んでつくった低い垣のことだそうです。


さて旧暦二月二十日頃というと、一瞬真冬かと思いますが、今の暦では春先です。ちなみに今年の場合、旧暦2月20日は4月の1日となります。桜の咲く頃ですよ。結構暖かい季節です。

高遠の兵部卿と出てきます。兵部卿というのは兵部省の長官です。当時兵部卿を務めていた藤原高遠(たかとお)という人は管弦にも秀でていて、帝に笛を指南していたといいます。
この帝と高遠の二人で「高砂」という曲をデュエットしたんですね。それがやたら素晴らしいと。

ところで「デュエット」というのもわかりにくい言葉です。もともとは、二重唱もしくは二重奏のことなんですが、だいたいはカラオケとかの歌を二人で歌うのを言いますね。昔の歌なら銀座の恋の物語とか、チャゲアスとか、ロンリ―チャップリンとかですか。
で、演者、奏者のことはデュエットと言ってもいいんですが、「デュオ」という場合も多いですね。ゆずとかコブクロとか、キロロとかあみんとか、Kinki Kidsとかですか。元々同性のデュエットのユニットを「デュオ」ということが多かったらしいです。けど男女でもデュオという場合もあります。フォークデュオという言葉もありますし。これなどはほぼ性別関係なく使います。結局雰囲気というか、慣用なんですね。おおむね、演奏、歌唱は「デュエット」、演者は「デュオ」と言うのが一般的にしっくりきます。それでいいんです、たぶん。

高砂というのは、催馬楽の「高砂」という曲のようです。催馬楽は元々は庶民の歌謡だったものですが、次第に貴族のものとしてアレンジされ、宮廷音楽にまでなりました。なので帝が演奏してもおかしくはありません。

さて、「芹摘みし」です。

芹摘みし昔の人もわがごとや 心に物は叶はざりけむ
(芹を摘んだっていう昔の人も私のように嘆いていたのかな? ほんと世の中というのは思いどおりにならないものだよね)

望みが叶わないあきらめの歌で、伝説的な古歌というか、「芹摘みし」というフレーズは、不遇やあきらめの代名詞みたいになっていたようですね。

というわけで、背景としては長保二(1000)年の2月、ちょうど定子が中宮から皇后になる前後の頃の話です。定子が皇后になり、藤原道長の娘・彰子が一条天皇中宮に入内した頃ですね。中関白家が衰退し、定子の不遇な時代が訪れている。そんなある日、沈んだ気持ちを忘れさせてくれる束の間の出来事、という段です。


【原文】

 一条の院をば新内裏(いまだいり)とぞいふ。おはします殿(でん)は清涼殿にて、その北なる殿におはします。西、東は渡殿にて、わたらせ給ひ、まうのぼらせ給ふ道にて、前は壺なれば、前栽植ゑ、笆(ませ)結ひて、いとをかし。

 二月二十日ばかりのうらうらとのどかに照りたるに、渡殿の西の廂にて、上の御笛吹かせ給ふ。高遠(たかとほ)の兵部卿御笛の師にてものし給ふを、御笛二つして高砂を折り返へして吹かせ給へば、なほいみじうめでたしといふも世の常なり。御笛のことどもなど奏し給ふ、いとめでたし。御簾のもとに集まり出でて、見奉る折は、「芹(せり)摘みし」(=不満)などおぼゆることこそなけれ。

 

枕草子 (岩波文庫)

枕草子 (岩波文庫)

  • 作者:清少納言
  • 発売日: 1962/10/16
  • メディア: 文庫
 

 

蟻通の明神⑤ ~この中将をいみじき人におぼしめして~

 この中将をすごく重要な人だってお思いになって、「何を褒美として取らせ、どんな官位を授けたらいいのだろうね?」って帝はおっしゃったんだけど、「これ以上の官も位もいただかなくていいです。ただ、年老いた父母が身を隠していなくなってるのを捜しあてて、都に住まわせることをお許しください」ってだけ申し上げたら、「めちゃくちゃ簡単なことだよ」ってお許しになったから、全ての人の親がこのことを聞いてものすごく喜んだのね。で、中将は上達部に、そして大臣におなりになったの。

 そんなことがあって、その人と親は神様になったのかしらね、その神様の元に参詣した人のところに、夜現れておっしゃったのには、

ななわだにまがれる玉の緒をぬきて ありとほしとは知らずやあるらむ
(七曲がりに曲がった穴の玉に緒を貫いて蟻を通した、その蟻通し明神っていう神を世間のみんなは知らないでいるのかな?)

って、ある人が話してたのよ。


----------訳者の戯言---------

自宅に内緒で匿ってた親のおかげで、めでたく当の両親を堂々と元のとおり暮らせるようにした中将。他のお年寄り、高齢の親をもつ人たちも喜んだのですね。みんな感謝です。
しかしここまでにならないと、目が覚めない帝もどうかと思いますけどねー。
ただ、このことでこの中将は上達部、ひいては大臣にまでなったと言いますから、かなりの出世です。まー国難を救ったわけですから、あり得ますわね。

で、この人や年老いた親が神様になっちゃった?っていうんですか。まじか。

たしかに日本の神道多神教でもあり、神様がたくさんおはします。八百万(やおよろず)の神などという言い方もしますしね。神様は身近な存在でもあります。
コミックやアニメでも、神様になった日、神様はじめました、カンナギ等々いっぱいあるんですよね。で、だいたいは、かわいい女子が神様なんですよ。ターゲットがターゲットだけに。それとこの前、鬼滅の刃に抜かれましたが、千と千尋の神隠しにも神様がいっぱい出てきます。YouTubeではねこがみ様が人気ですしね。あれは人ではなくて猫ですが。っていうか本物の神様じゃねーし。猫がダンボールに入ってるだけだし。
あと、忘れていけないのはネ申セブンです、AKBの。神7ですね、前田、大島の頃のね。あの方々も当時は一種の神でした。

ということで、横道に逸れまくりましたが、人神(ひとがみ)と言って人が神様になることも昔から多々あったようです。功徳のあった人が神様になるということは、そこそこあったんですね。もちろん祟りを恐れて、というのもありました。有名なのは菅原道真の天神さんとか、平将門とかですか。で、いかにもなんですが、豊臣秀吉とか徳川家康も神様になってます。調べていると、最近ではあの金鳥蚊取り線香の会社の創業者、蚊取り線香を発明した人ですけど、その人が祀られている神社があるらしいというのもウィキペディアに出ていました。

というわけで、蟻通神社の名前の由来が、この逸話なのかな?という話です。はっきり言うと違いますけど。上達部やら中将やら、大臣がいたのは律令制が採用された後ですが、この神社ができたのはそれよりもずっとずっと大昔、農耕の民が五穀豊穣の神をシンプルに祀ったというのが起源のようですからね。

という段でした。なんか昔の道徳の教科書とか、日本昔話とかにありそうな感じの逸話です。そんな深くはないです。


【原文】

 この中将をいみじき人におぼしめして、「何わざをし、いかなる官・位をか賜ふべき」と仰せられければ、「さらに官もかうぶりもたまはらじ。ただ老いたる父母(ちちはは)の隠れ失せて侍る、尋ねて、都に住まする事を許させ給へ」と申しければ、「いみじうやすき事」とてゆるされければ、よろづの人の親これを聞きてよろこぶこといみじかりけり。中将は上達部、大臣になさせ給ひてなむありける。

 さて、その人の神になりたるにやあらむ、その神の御もとに詣でたりける人に、夜現れてのたまへりける、

七曲にまがれる玉の緒をぬきてありとほしとは知らずやあるらむ

とのたまへりける、と人の語りし。

蟻通の明神④ ~ほど久しくて~

 そのあと、しばらく経ってから、小さい玉に七曲りに曲がりくねった穴が中を通って左右に貫通してるのを献上されて、「これに糸を通していただけますか、私たちの国ではみんなやってることです」って奏上したんだけど、「どんな熟達の者だってお手上げですよ」って、そこらへんの上達部や殿上人、世の中のありとあらゆる人が言ってたから、また親のところに行って、「こうなんですよ」って言ったら、「大きい蟻を捕まえて二匹ほどの腰に細い糸をつけて、またそれにもうちょっと太い糸をつけて、あっち側の口に蜜を塗って見てみ」って言ったから、彼はまたそのとおり申し上げて蟻を入れたら、蜜の香りを嗅いで実際すごく速く反対側の口から出てきたの。そして、その糸が通ってる玉を送り返した後に「やはり日本の国は賢かった」って、中国の皇帝もその後はそんなことはしなくなったのね。


----------訳者の戯言---------

七曲(ななわた/ななわだ)と原文に出てきます。元々の意味は、道や坂などが何重にも折れて曲がっていることをこう表したそうです。七曲(ななまがり)とも読みます。以前「つづら折り」という言葉が出てきましたが、それと同義ですね。
七曲りに曲がりくねってる玉? というよりも中にくねくねの穴が通ってるんでしょう。その玉の穴に糸を通せと。

しかしむしろ、そんな玉つくるほうが難しくないですか?
曲がりくねった穴を玉の中に空けて通すってどんなハイテクやねん!って思います。よくわかりませんが、最新3Dレーザー加工機とかでないと無理じゃないんですか、そんなこと。しかし、なんか中国の工芸技術も凄いですからね。ゴイゴイスー。翡翠の彫刻とか見たことありますけど、なんか、めちゃくちゃ複雑なの彫ってますから、あり得ますか。

さて久しぶりに上達部と殿上人について書いておきます。

上達部(かんだちめ)は三位以上の上級貴族。参議の場合は四位でもこの中に入ります。朝廷の幹部貴族で、清少納言の頃は20数人いたようです。詳しくは「上達部は」をお読みください。
殿上人(てんじょうびと)は五位以上の人および六位の蔵人でしたね。
上達部+殿上人合わせても50人にはなりません。

というわけで、蟻が出てきて糸を通しましたから、わかりました。これがこの明神=神社の名前の由来なんですね。
で、⑤完結編に続きます。


【原文】

 ほど久しくて、七曲(ななわた)にわだかまりたる玉の、中通りて左右に口あきたるが小さきを奉りて、「これに緒通してたまはらむ。この国にみなし侍る事なり」とて奉りたるに、「いみじからむものの上手不用なり」と、そこらの上達部・殿上人、世にありとある人いふに、また行きて、「かくなむ」といへば、「大きなる蟻をとらへて、二つばかりが腰に細き糸をつけて、またそれに、今少し太きをつけて、あなたの口に蜜(みち)を塗りて見よ」といひければ、さ申して、蟻を入れたるに、蜜の香を嗅ぎて、まことにいととくあなたの口より出でにけり。さて、その糸の貫ぬかれたるを遣はしてける後になむ、「なほ日の本の国はかしこかりけり」とて、後にさる事もせざりける。

 

 

蟻通の明神③ ~また二尺ばかりなる蛇の~

 また、二尺(約60cm)くらいの長さの蛇で全く同じ長さのを「これはどっちが男でどっちが女なん?」って献上してきたの。またもやみんな見分けがつかないのね。そこで例の中将がまた親のところに来て尋ねたら、「二つを並べて、尻尾の方に細い小枝を近づけた時、尻尾を動かしたほうが女(メス)だって知っておきなさい」って言ったの、すぐに内裏の中でそのとおりにしたら、本当に一匹のは動かず、もう一匹は動かしたもんだから、またそのとおり印を付けて返答を送ったの。


----------訳者の戯言---------

今度はヘビの雌雄を見分けろという問題です。ヘビの雌雄による身体的な相違は不明瞭であることが多く、なかなか見分けがつきません。

で、調べたところ現在、簡単にできるヘビの雌雄判別法には、プロービングとポッピングという二つ方法があるということがわかりました。
プロービングというのは、セックスプローブという細い棒を尻尾の付け根付近にある総排泄孔に差し込む方法です。オスには比較的深く入り、メスにはあまり入らないそうです。
ポッピングは総排泄孔の付近を押して、内部にある生殖器官を露出する方法です。オスには総排出腔の内部に「半陰茎(ヘミペニス)」と呼ばれる生殖器官がありますが、メスにはありません。

というわけで、この段にあるような雌雄判別の方法は見つけられなかったですね。つまり、科学的根拠はありません。たまたま、ですよ、それ。ということです。お母さんお父さん。

それにしても中国の皇帝も何を根拠にオスメスを決めてたのかってことですよ。まさかプロービングやポッピングを知っていたわけでもないでしょうし、レントゲン、MRIやCTがあるわけでもありません。結局誰が正解決めてるの? 主観?って話ですよ。
というわけで、中国の皇帝なんぼのもんじゃいと思いつつ、④に続きます。


【原文】

 また、二尺ばかりなる蛇(くちなは)の、ただ同じ長さなるを、「これはいづれか男女(をとこをんな)」とて奉れり。また、さらに人え見知らず。例の中将来て問へば、「二つを並べて、尾のかたに細きすばえをしてさし寄せむに、尾はたらかざらむを女(め)と知れ」といひける、やがて、それは内裏(だいり)のうちにてさ、しけるに、まことに一つは動かず、一つは動かしければ、またさるしるしをつけて、遣はしけり。

 

枕草子 いとめでたし!

枕草子 いとめでたし!