枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

この草子、目に見え心に思ふことを(跋文)

 この草子は、目で見て心で思ったことを、誰かが見たりするかしら??(いやいや、誰も見ないわよ!)って思って、ヒマでしょうがない実家暮らしの時に書きためてたのを、よからぬことに人によっては都合の悪い言い過ぎちゃったところも結構あるから、うまく隠しおおせたわ!とは思ってたんだけど、まったく思いがけず世間に漏れ出ちゃったの。

 定子さまに内大臣殿(藤原伊周)が(紙を)献上なさったんだけど、「これに何を書いたらいいかしら? 帝は史記という書物をお書きになっていらっしゃるんだけど」なんておっしゃったもんだから、「枕でございましょう」って申し上げたら、「なら、あなたにあげましょう」っておっしゃってご下賜されたのを、変わったことをあれやこれやと、無くならないぐらい大量の紙だったんだけど、全部書いちゃおう!って書いたもんだから、まったくワケわかんないことでいっぱいになっちゃったわ。

 おおむねこれは世の中でおもしろいってこととか、みんなが素晴らしいって思うはずのことを選び出して、歌なんかも、それに木や草、鳥、虫のことも書き出したとしたら、「思ってたよりダメだね~。見え透いてるわ」ってdisられるでしょうね。ただ初志のとおり、自分の思うことを遊び半分に書き留めてっただけだから、他の作品に混じった時に、人並みに扱われるような評価をされるはずがないと思ってたら、「(恥ずかしくなるくらい)すばらしい!」とかって、読む人はおっしゃるものだから、すごく不思議な気もちになるの。たしかにそれも当然のコトで、人が嫌うものを良い!って言って、褒めるものを悪い!って言う人はいて、そういう人の感性のレベルって推し量られるわよね。ってことだけど、ただ私としては、人に見られたのが気に入らないの。

 左中将殿(源経房/みなもとのつねふさ)がまだ伊勢守(いせのかみ)って呼ばれてた時、私の実家においでになって、端の方にあった畳を差し出したら、この草子が載っかったまま出てしまったのね。慌てて取り入れたんだけど、そのまま持って行かれて、すごく日が経ってから返ってきたの。それから世間に知られはじめたらしいのよね。ってことが、私が自分で写した元本に書かれてるの。


----------訳者の戯言---------

今回はいよいよ「跋文(ばつぶん)」、つまり「あとがき」です。さてどんなことを書いているのでしょうか?

「人やは見むとする」というのは、高校の古文で習った「係り結び」ですね。
「ぞ、なむ」は連体形、「こそ」は已然形で結ばれ、「強調」されるという風に覚えました。そして、「や、か」は連体形で結ばれ、その場合は「疑問」または「反語」の意味になるということでした。
「や」→「する」と連体形で結んでますから、疑問か反語です。私は反語の意味で読みました。この部分は「疑問」とする学者もいるようで、諸説ありますが、私は「誰も見ないだろう」とするほうが自然かなと思います。

「心よりほかにこそ漏り出でにけれ」のほうは、「こそ」→(已然形)「けれ」ですから、こちらは「強調」の係り結びですね。


さて、中宮定子に紙を大量に差し上げた内大臣というのは、おなじみ、定子の兄、(藤原)伊周(これちか)です。これに何を書くべきか悩んだ定子、清少納言に聞いてみました。「帝は史記を書いてるんだけど…」と。清少納言は「そりゃ、枕でしょう」と答えます。
実は枕草子のタイトルはここから来ていると言われているんですね。というか、ここしか「枕」草子になった理由がないんです。そもそも清少納言が「このエッセイ集の題名は『枕草子』よ!!」と書いたわけでも言ったわけでもないんですから。

昔は書物、文学作品というものに明確なタイトルがないことも多かったようです。さまざまな呼び方をされて、その中から次第に定まっていったようなものも多いみたいですね。ちなみに「源氏物語」も紫式部が「源氏物語」とタイトルをつけて書き出したわけではありません。光源氏っていう主人公だからそういう題名になったんですね。日本最古の物語といわれる「竹取物語」も「竹取の翁」「かぐや姫の物語」「竹取」とかいろいろでしたし、「伊勢物語」も主人公の在五中将(モデルの在原業平)に因んで「在五」というワードの入ったいろいろな題名で言われていたようです。
今みたいに「鬼滅の刃」とか「東京リベンジャーズ」とか「推しの子」とか、タイトルを最初から考えて書かれたわけではなかったんですね。アニメばっかりで恐縮ですが。エッセイにしても「ナナメの夕暮れ」とかですね、「京都ぎらい」とか「わたしのマトカ」であったり、たしかに今はタイトルで売る、みたいなところがありますもんね。


と、逸れましたが、「枕でございましょう」と言ったのはなぜ? 枕って何?ということについては、昔から諸説があり、いまだによくわかってないそうです。そりゃそうでしょう、清少納言に直接聞けないわけですから、これからもはっきりとはわからないでしょうね。モヤモヤします。とは言っても、いくつかは紹介しておかなければいけませんよね。

まず、そもそも備忘録や日記帳などの書物のことを当時「枕草子」と言ってたらしいということです。今は固有名詞、書名ですが普通名詞だったんですね。「じゃあ、枕草子を書きましょう」そのまんまです。

内容については、一条天皇が書いてたという「史記」から「しき」と変換し、「しきたへの」という枕詞(まくらことば)を連想したため「枕」という言葉が出たという説がありまして。「しきたへ」というのは漢字では「敷妙」「敷栲」などと書き、今で言うところの敷布団のような寝具でした。よって「しきたへの」は「床(とこ)」とか「枕」とか「手枕(たまくら/腕枕の意)」を導き出す枕詞なわけですね。「帝が『史記』なら、『しき』繋がりで定子さまは『枕』でしょ!?」という感じでしょうか。こうなるとダブル・ミーニングでもあり、定子・清少納言の間で行われてる(知的とされている)いつものやりとりです。今回は「和歌の修辞法=枕詞」がネタとなりました。こういうやりとりを得意げに話すのは清少納言ならではですね。

最近出てきた説の一つは、「しき」を「四季」と連想して、清少納言が「四季を枕に書きましょうか」というつもりで答えたのであり、帝の「しき」にあやかって四季を書いた、とするものです。冒頭の「春はあけぼの」から考えるとそういうのもアリなのかもしれませんが。

「白氏文集」にある一節「書を枕にして眠る」という文からの引用である、という説もあります。枕は毎日寝る時に使う身近なものであって、枕元にいつも紙を置いておき、その日に気が付いたこと、感じたことを書き留めておく。ということが白居易(白楽天)によって書かれた、それが元ネタになっていると。これなんかもお互いに白氏文集を知っていなければ成立しないという、二人の知の共有エピソードですね。

「歌枕の解説書を作りましょう!」という意味だろうという説もあります。たしかに、枕草子を読んでいると歌枕がやたらと出てきます。また歌枕のこと書いてるのかよ、と読んでて私などもよく思ったものです。「いやいやこれはそもそも歌枕の本だからだよ」と言われれば、それもなんとなく納得できる気がします。


と、このようにいろいろな人がそれぞれに説を立てています。
私自身は、「史記」→「しきたへの」「枕」というのがキレイというか、清少納言らしいかなと思います。もちろん清少納言のことですから、「白氏文集」の文言とか、歌枕について書く、ということも同時に頭をよぎっていたかもしれません。トリプル、クアドラプル・ミーニングだったという合わせ技から、得意気に「そりゃ枕でしょう!!」と言った可能性は否定できないでしょう。
いずれにしても知識とか教養をベースにした機知とか即興、つまりアドリブ力アピールですが、いかんせんそこは現代に伝わってないのが残念なところです。中宮にさえ伝われば半分は成功なのかもしれませんが。


世の中のみんなが「おもしろい」って思うだろうことを書いたんじゃ、「期待外れ、ありきたり」って言われるのがわかってる。だからあえて自分の感性のまま遊び半分で書いて、他の著作物と並んだ時に人並に評価なんかされないだろうってわかってたけど、読んですばらしい!って言ってくれる人もいて、不思議だなぁって。でもたしかにそういうこともアリだし、人が嫌うものを良い、褒めるものを悪い、っていうあまのじゃく的な人、そういうセンスの人もいるだろうしね。ただ私としては、人に見られたのが気に入らないってのはあるのだ。
という主旨のことを書いてます。言い訳がましいというか、二重三重に保険を掛けてる感じですね。後で批判を受けても、そもそもそれも織り込み済みでしたわ、とも言えるし、共感できたっていう人には、独特のセンスですよ!!と褒め合えるという仕掛け。何か言われたら、「人に見せるつもりで書いたのではない」と居直れることもしっかり担保しています。


経房(つねふさ)の中将というのは、源経房という人のことで、枕草子には何回か登場しました。ここにもあるとおり、清少納言が里帰りしていた時にもですね。「里にまかでたるに」「殿などのおはしまさで後」などを参照いただければと思います。清少納言とは仲が良かったようですね。
ちなみに源経房が伊勢権守になったのは995年4月、右近権中将となったのは996年7月ですから、その間のことだったのでしょう。なお、998年に左近中将になっています。
彼のお姉さんは藤原道長の奥さんです。つまり、後のというか、現というか、権力者・道長の義理の弟にあたります。定子の兄伊周をはじめ、実家・中関白家としてはライバル関係にあたるはずですが、意外と中関白家にも近かったようです。


当時は「筵(むしろ)」に縁をつけたものを「畳」と言ったわけで、筵も畳もニュアンス的にはほとんど同じなんですね。というか、身分で畳の大きさ、厚さ、縁の生地や色が定められていたそうです。

経房さんに畳を出したら、それに間違って載せたままになってた草子を見つけられてしまった、みたいなことを書いてますが、何かウソっぽいですね。見つけてほしかったんでしょ? 見え見えです。わざとらしいというか、明らかに意図的に見せて「何やこれ? ええやん!」ってなるのを狙ってますよね。拡散、バズリを狙っての行動でしょう。確信犯ですね。

そして、最後の部分。「それよりありきそめたるなめり、とぞ本に。」と書いてあります。
現代語で直訳すると「その時から世間に知られるようになったらしい、って元の本に書いてある。」という意味になるでしょうか。「元の本」って!!自分で書いたはずなんですけどね。なんか他人事のように書いてるのもなんだかなーと思います。

こう見ると、跋文がかなり後にしかも版を重ねて書かれていることが推察されます。おそらく研究者の方々はもっと詳細に考察されているとは思いますが、本文を含めエピソードのあったであろう年なんかもかなり幅がありますし、書かれた時期もいろいろです。集中的に書かれた時期はあるものの、それにさらに加筆されながら、ある程度の年月をかけて完成させていったのかな、と思われます。


というわけで、枕草子の跋文は研究上も非常に重要で、先にも書いたとおり解釈にも諸説あり、定まらない難解な部分でもあります。が、かなり勝手な解釈で、結構ざっくりとまとめてしまいました私。もしかして偏ってたら、ごめん、清少納言。という感じです。これまでもずいぶんdisってきましたが、最後までこんな感じになりましたね。


さてこれにて「枕草子」一応読了となりました。2018年の春頃に訳しながら読み始めましたから、おおよそ5年あまり、ずいぶんかかってしまいました。まさかこんなに長くなるとは! いろいろ他にやることがあったり、それに横道にそれまくったからっていうのもあるんですけどね。
この後しばらくは、もう一度冒頭の「春はあけぼの」から読み返し、変な解釈、誤った記述、おもしろくない小ネタなどについて少しずつ加筆、訂正、削除などしていこうと思います。
それが終わったら次は何を読むか…やはり方丈記だろうか、紫式部和泉式部の日記なのか、それとも何か他におもしろいものはないか、考え中です。何かぴったりくるものはないでしょうかね。

そういえば来年(2024年)の大河ドラマは、紫式部が主人公らしく、このあたりの時代も描かれそうですね。ちなみに中宮・定子役は高畑充希です。31歳だそうですが。清少納言ファーストサマーウイカだそうです。さてどんな感じになるのでしょうか。


【原文】

 この草子、目に見え心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどにかき集めたるを、あいなう、人のために便なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば、よう隠し置きたりと思ひしを、心よりほかにこそ漏り出でにけれ。

 宮の御前に内の大臣の奉り給へりけるを、「これに何を書かまし。上の御前には史記といふ書(ふみ)をなむ書かせ給へる」などのたまはせしを、「枕にこそは侍らめ」と申ししかば、「さは、得てよ」とて賜はせたりしを、あやしきを、こよや何やと、尽きせず多かる紙を書き尽くさむとせしに、いとものおぼえぬことぞ多かるや。

 おほかた、これは世の中にをかしきこと、人のめでたしなど思ふべき、なほ選り出でて、歌などをも、木・草・鳥・虫をも言ひ出だしたらばこそ、「思ふほどよりはわろし。心見えなり」とそしられめ、ただ心一つにおのづから思ふことを戯れに書きつけたれば、ものに立ち交じり、人並み並みなるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ見る人はし給ふなれば、いとあやしうぞあるや。げに、そもことわり、人のにくむをよしと言ひ、ほむるをも悪しと言ふ人は、心のほどこそおしはからるれ。ただ、人に見えけむぞねたき。

 左中将まだ伊勢の守と聞こえしとき、里におはしたりしに、端の方なりし畳をさし出でしものは、この草子載りて出でにけり。惑ひ取り入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ返りたりし。それよりありきそめたるなめり、とぞ本に。