御前にて人々とも、また③ ~二日ばかりありて~
二日ほど経って、赤衣(あかぎぬ)を着た男が畳を持って来て、「これを」って言うの。「あれは誰??慎みがないわ」なんて無愛想に言ったもんだから、そのまま置いてっちゃったのね。「どこからなの?」って訊ねさせたんだけど、「帰ってしまいました」ってことで部屋に運び込んだら、特別に御座(ござ)っていう畳のスタイルで、高麗縁(こうらいべり)なんかがすごくキレイなの。心の中では、そうじゃないかなぁなんて思うけど、やっぱりはっきりしないから、スタッフたちを出して探したんだけどいなくなってたの。不思議がっていろいろ言うんだけど、使いの者がいないので言ってもしょうがないから、届け先を間違ったんなら、向こうからまた言ってくるでしょ。中宮さまのところに事情伺いに参上したいけど、もし違ってたら嫌だしと思ったのね、でもやっぱり誰が理由もなくこんなことをするかしら?? 定子さまの仰せごとに違いないわ!ってすごくいい気持ちがしたの。
----------訳者の戯言---------
赤衣(あかぎぬ)というのは、赤い狩衣です。検非違使という治安維持担当の下級役人が警護の時に着ていた服らしいですね。
「御座(ござ)」というのは、運動会とかハイキングで昔よく使われていたあの「ござ(茣蓙)」の語源にもなったものです。
畳オモテというか、一般にはイグサなど草茎を織ることによって作られた敷物を現代では「ござ」と言いますが、元々は天皇とか皇后とか貴人の御座所(ござしょ)の畳の上にさらに重ねて敷く畳のことだったそうですね。ここに出てきたのはそれです。
御座所というのは天皇など高貴な人の居室で、「おましどころ」とも言われました。
時代を経て庶民にもこの「ござ」が広まっていったようで、実は畳が普及する以前の庶民の家ではかなり一般的な敷物になったようです。今ではフローリングにラグですが、板の間にござ、だったんですね。前述の運動会とかハイキングもですが、ござは敷物の定番だったのでしょう。今はレジャーシートしか使いませんけどね。
そして今では、フローリングなどの上に敷くためのものとして「い草カーペット」や「い草ラグ」までが出てきました。補強のために裏面をフェルトやウレタンなどで裏打ちされています。ニトリとかで買いたいですね。
なお、茣蓙(ござ)の「茣」は、ヨモギに似た草の名前だそうですが、茣蓙というのは当て字のように思います。草茎を織って作った敷物の総称として考えると納得できますね。
というわけで、紙の次は畳です。
本段の最初のほう①では「筵(むしろ)」というワードで出てきました。ここでは「畳」ですが同義語ですね。「また、高麗縁の筵青うこまやかに厚きが、縁の紋いとあざやかに、黒う白う見えたるを引きひろげて見れば、何か、なほこの世は、さらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなむなる」つまり、「高質の畳を広げて眺めてるだけで、この世は捨てたもんじゃなくて、生きてようって思える」みたいなことを定子の前で清少納言自身言ってましたから、それを定子が覚えてくれてたのではないか?ということです。
メンタルをやられて実家に引き籠っている清少納言をなんとか元気づけようとする中宮・定子。これは定子さまのお心遣いに違いないわ、うれしい…と喜ぶ清少納言。
④へ続きます。オチはあるのか??
【原文】
二日ばかりありて、赤衣着たる男、畳を持て来て、「これ」といふ。「あれは誰そ。あらはなり」など、ものはしたなくいへば、さし置きて往ぬ。「いづこよりぞ」と問はすれど、「まかりにけり」とて取り入れたれば、ことさらに御座(ござ)といふ畳のさまにて、高麗など、いと清らなり。心のうちには、さにやあらむなど思へど、なほおぼつかなさに、人々出だして求むれど、失せにけり。あやしがりいへど、使のなければ、いふかひなくて、所違へなどならば、おのづからまた言ひに来なむ。宮の辺(へん)に案内しに参らまほしけれど、さもあらずは、うたてあべしと思へど、なほ誰か、すずろにかかるわざはせむ。仰せごとなめりと、いみじうをかし。