枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

御前にて人々とも、また② ~さてのち、ほど経て~

 で、その後しばらくして、心から思い悩むことがあって実家に戻ってた頃、定子さまがすばらしい紙20枚を包んで、下さったの。お手紙には「早く戻っておいでなさい」なんて書いてらっしゃってて。「この紙は前にお聞きになってられたことがあったので…。良い物じゃないから、寿命経も書けないでしょうけど」って書いていらっしゃるの、すごくいい感じ。自分が忘れてしまってたことを覚えててくださったのは、普通の人でもぐっとくるのにね。ましてや中宮さまなんだからいい加減にはしておけないわ。心が乱れてしまって申し上げる方法も思いつかないから、
「かけまくもかしこき神のしるしには鶴の齢となりぬべきかな(声に出して言うのも畏れ多い神…紙!のおかげで鶴の寿命まで生きられるんじゃないかしら)―――大げさ過ぎるのでしょうか?とでも、お受け取りいただければ」とお返事申し上げたの。
 台盤所の雑仕(ぞうし)がお便りのお使いとして来てたのね。青い綾の単衣(ひとえ)を褒美として取らせたりして後、実際にこの紙を草子に作ったりして騒いでたらイヤな心持ちも紛れる気がして、おもしろいもんだわって心の中で思うの。


----------訳者の戯言---------

「これは聞こし召しおきたることのありしかばなむ」という表現がわかりづらいですが、どうも中宮の定子が誰かに書かせている、つまり代筆であるためにこういう表現になってるようですね。

寿命教というのは、正式名称「仏説一切如来金剛寿命陀羅尼経」もしくは「金剛寿命陀羅尼経」のことだと思います。密教の経典で、普賢延命のを主眼とする内容で構成されているそうですね。現世利益のお経だと言えるかと思います。そういうありがたいお経を書くにはちょっと役不足な紙ですよ、という謙遜でしょうか。


「かけまくもかしこき~」というのは、神社とかで神主さんが唱える祝詞(のりと)の一種、というか、冒頭に唱えられる祓詞(はらえのことば/はらえことば)のそのまた最初の部分です。
祓詞というものは「掛介麻久母畏伎伊邪那岐大神…」(かけまくもかしこきいざなぎのおほかみ…)と始まるのですが、「かけまくもかしこき」で、「声に出して言うのも畏れ多い」という意味だそうです。で、本来の祓詞のままですと、~伎伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ~)と続くわけですが、清少納言はそのまま「神」と続けます。「神」と「紙」を掛けているわけですね。しょぼいダジャレみたいですが、許してやってください。


そして「鶴」です。平安時代にすでに長寿とされていたのか?と思い、調べましたが、古い中国(紀元前百数十年頃)の書物から来ているようで、前漢武帝の頃、淮南王劉安が学者を集めて編纂させた思想書淮南子」に「鶴寿千歳、以極其游、蜉蝣朝生暮死、尽其楽(鶴は千歳を寿命として、その遊びを終わらせ、蜉蝣(かげろう)は朝に生まれて暮に死ぬが、その楽しみを尽くす)」とあるところから「鶴寿千歳」→「鶴は千年」と言われるようになったと考えられているようですね。
つまり平安時代には余裕で、鶴は千歳まで生きるのだーと言われていたことがわかります。

鶴が他の動物と比較して寿命が長いのは確かなようですが、実際の寿命は動物園での飼育でも50~80年、野生では30年くらいと言われているようです。千年というのはちょっと大げさですね。本気にすんなって話ですが。


「台盤所(だいばんどころ)」とは、「台盤」を置いておく所です。宮中では、清涼殿内の一室で「女房の詰め所」となっています。「台盤」は公家の調度の一つで、食器や食物をのせる台のことです。食卓、お膳みたいなやつですね。

「雑仕」というのは、内裏や院・女院・公卿の家に仕える女性の召使いのこと。ウィキペディアには「身分の高いほうから並べると女官―女孺―雑仕の順となる」とありましたので、一番下のポジションということになります。


メンタルやられて実家に引き籠ってる時、中宮定子が前言ったことを覚えててくれて、素敵な紙を送ってもらって、どうやら少し気分アゲな清少納言。ミヒマルGT?古っ!
③へと続きます。


【原文】

 さてのち、ほど経て、心から思ひみだるることありて里にある頃、めでたき紙二十を包みてたまはせたり。仰せごとには、「とくまゐれ」などのたまはせで、「これは聞こし召しおきたることのありしかばなむ。わろかめれば、寿命経もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつることをおぼしおかせ給へりけるは、なほただ人にてだにをかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞあらぬや。心もみだれて、啓すべきかたもなければ、ただ、

 「かけまくもかしこき神のしるしには鶴の齢(よはひ)となりぬべきかな

あまりにやと啓せさせ給へ」とて参らせつ。台盤所の雑仕ぞ、御使には来たる。青き綾の単衣取らせなどして、まことに、この紙を草子に作りなどもて騒ぐに、むつかしきこともまぎるる心地して、をかしと心のうちにおぼゆ。