枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

松の木立高き所の② ~いみじうことわりなど言はせて~

 (僧侶が)もののけに、すごく謝罪の言葉を言わせて、許してやるの。「几帳の中にいると思ってたんだけど、無意識のうちに人前に出てしまってたんですね。どんなことが起こったのかしら…??」って女の子は恥ずかしがって、髪の毛で顔を隠して奥に入り込もうとするもんだから、(僧は)「ちょっと待って」と、加持祈祷を少しして、「どうでしょう? 気分はすっきりしましたか?」って笑いかけるのも、こっちが恥ずかしくなるくらい立派だわ。
 「もう少しいられればいいんですが、時間になりましたので…」って退出の申し出をするもんだから、「もう少し、、」なんて言って引き留めるんだけど、すごく急いで帰るのを、上臈女房らしき人が簾のところまでにじり出て、「とってもうれしいことに、お立ち寄りくださったおかげで、我慢できないほどでしたのに、今はよくなったようでございますから。かえすがえすもお礼を申し上げます。明日もお時間が空いた時にはお立ち寄りください」って言ったら、「すごく執念深いもののけのようでございます。油断なさらないよう気をつけておいてくださいね。今は良い状態のようでいらっしゃるので、お慶び申し上げます」と言葉少なに言って帰って行くの、すごく霊験あらたかで仏様が現れたかと思ったわ。
 きれいな童で髮のきちんとした子、また、大柄で髯は生えてるけど思いのほか髮が美しい子や、はなはだしくがっしりして髪が不気味の多い子なんかがお供してて。忙しくあちこちに招かれ、高貴な方として信望を集めておられるのは、僧侶として理想的なあり方だわね。


----------訳者の戯言---------

もののけに謝罪をさせて退散させるらしいです。このへんは、さすが平安時代でおもしろいですね。気のせいというか、実は僧侶の演出なんですけどね。みんな信じているのでしょう。

「よりまし」として、もののけに憑依されていた女の子は、実際には催眠術的なものにかかっていたのか、自分がどういう状況に置かれていたのか理解していません。

いずれにしても、催眠療法がうまく効いたようで、悪かった人の体調も復活したようです。めでたしめでたし。
僧侶は、今で言うなら名医みたいなものです。ドクターX・大門未知子か、医龍、今はDr.チョコレートをやってますし、TOKYO MERの劇場版もやってます。ついこの間までGet Ready!というのもやってました。古くはブラックジャックでしょうか。


うまく病を治したら、さすが理想的な僧侶、という風になるんですね。仕事ができる人というのはいつの世の中でもカッコ良く見えます。しかも謙虚なんですね。尊敬されるものです。
しかしお供の童たち個性的過ぎ。いろんなタイプに慕われてるのも高僧ならではということでしょうか。


【原文】

 いみじうことわりなど言はせて、ゆるしつ。「几帳の内にありとこそ思ひしか、あさましくもあらはに出でにけるかな。いかなることありつらむ」とはづかしくて、髪を振りかけてすべり入れば、「しばし」とて、加持少しうちして、「いかにぞや、さわやかになり給ひたりや」とてうち笑みたるも、心はづかしげなり。「しばしも候ふべきを、時のほどになり侍りぬれば」などまかり申しして出づれば、「しばし」など留(と)むれど、いみじう急ぎ帰るところに、上臈とおぼしき人、簾のもとにゐざり出でて、「いとうれしく立ち寄らせ給へるしるしに、たへ難(がた)う思ひ給へつるを、ただ今おこたりたるやうに侍れば、かへすがへすなむ喜び聞こえさする。明日も御暇(いとま)のひまにはものせさせ給へ」となむ言ひつつ、「いと執念(しふね)き御もののけに侍るめり。たゆませ給はざらむ、よう侍るべき。よろしうものせさせ給ふなるを、よろこび申し侍る」と言(こと)ずくなにて出づるほど、いと験(しるし)ありて、仏のあらはれ給へるとこそおぼゆれ。


 清げなる童べの髪うるはしき、また大きなるが髭は生ひたれど、思はずに髪うるはしき、うちしたたかに、むくつけげに多かるなどおぼえで。暇(いとま)なう此処彼処(ここかしこ)に、やむごとなう、おぼえあるこそ、法師もあらまほしげなるわざなれ。