枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に㉔ ~僧都の君、赤色の薄物の御衣~

 僧都の君が赤色の薄物の衣、紫色の袈裟、すごく薄い薄紫の衣、指貫なんかをお召しになって、頭の様子が青々ときれいな感じで、地蔵菩薩みたいな姿で女房たちに混じってあちこちお歩きになるのもとてもいい感じに見えるわ。「僧綱(そうごう)の中で威儀を正してもいらっしゃらないで、見苦しくも、女房の中にいらっしゃる」なんてみんな笑うのね。
 大納言(伊周)の御桟敷から、松君をお連れ申し上げるの。葡萄染(えびぞめ)の織物の直衣(なほし)、濃い紅の綾を打った衣に紅梅色の織物の衵なんかをお召しになっていらっしゃって。お供にはいつものように四位、五位の人たちがすごく多いの。御桟敷で、女房の中にお抱き入れ申し上げると、何か女房に粗相があったのかしら、大声をあげてお泣きになるのさえ、すごくきわだって素晴らしいのよ。


----------訳者の戯言---------

僧綱(そうごう)というのは、僧侶の組織の中における管理職とも言うべきもののようですね。
感じとしては、会社で言うと、部長、課長、取締役たちというイメージ。この頃、定子の弟・隆円は15歳ぐらいですからまだお子ちゃまですが、僧侶の中では管理職的な役職・僧都にすでになっちゃってます。さすが関白の息子。子ども店長ならぬ子ども課長的なお坊さん。ですから、部課長取締役の中にいるよりOLさんたちとカジュアルにつるんでる方が似合ってたというか、微笑ましくはあったのかもしれないですね。


松君は大納言・伊周の子、つまり道隆の孫になります。伊周の長男・藤原道雅の幼名ですね。後に花山法皇の皇女を殺させたり、敦明親王の従者・小野為明を髪を掴んで凌辱して瀕死の重傷を負わせたり、博打場で乱行したりと悪行が絶えなかったので、世上荒三位、悪三位などと呼ばれたらしい人です。子どものころ甘やかされたから? しかし。小倉百人一首に入ってる有名な歌人でもあったりするのです。

今はただ 思ひ絶えなん とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな
(今はただあなたへの思いをあきらめてしまおうっていうことだけを、人づてじゃなくて直接話する方法があればなあ)

とありました。
この時、前斎宮当子内親王と密通してたらしい。これも悪行と言えば悪行なのかもしれませんが、それは恋愛です。ただ、許されない恋だったのですね。内親王の父・三条院の怒りに触れて、仲を割かれた上で当然密会するかもしれないと監視されてる状況。で、詠んだ歌です。「左京大夫道雅」となっていますが、これは亡くなる前に出家する、そのさらに前、最終職歴という感じでしょうか。


というわけで、定子の弟の僧都(今なら中学生ぐらい?)と関白道隆の初孫(後の悪三位)を紹介しています。
㉕に続きます。


【原文】

 僧都の君、赤色の薄物の御衣(ころも)、紫の御袈裟、いと薄き薄色の御衣ども、指貫など着給ひて、頭つきの青くうつくしげに、地蔵菩薩のやうにて、女房にまじりありき給ふも、いとをかし。「僧綱の中に威儀具足してもおはしまさで、見苦しう、女房の中に」など笑ふ。

 大納言の御桟敷より、松君ゐて奉る。葡萄染の織物の直衣、濃き綾の打ちたる、紅梅の織物など着給へり。御供に例の四位、五位、いと多かり。御桟敷にて、女房の中にいだき入れ奉るに、なにごとのあやまりにか、泣きののしり給ふさへ、いとはえばえし。