枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宮仕所は

 宮仕えするところといったら、内裏ね。そして后の宮(きさいのみや)。その皇后さまのお子さまで一品の宮とかって申し上げるお方のところ。斎院は罪深いところだけど、いかしてるわ。言うまでもなく他のところとしては、東宮の女御の御方ね。


----------訳者の戯言---------

宮仕えというのは、宮中に仕えること。あるいは貴人に仕えることを言ったようです。

内裏は言うまでもなく帝の御殿です。皇居のことですね。
后宮(きさいのみや)は「きさきのみや」「こうぐう」とも読みます。こちらは皇后が住んでる御殿のことを言います。または、皇后のことを表す場合もあります。

一品(いっぽん)の宮というのは、一品親王(いっぽんしんのう)のことです。一品親王とは、律令制において皇親(こうしん)に対して与えられた最も高い品位(一品)を与えられた親王のことを言うのだそうですね。天皇と皇太子を除く皇親の序列の中で、一品親王皇親の筆頭的な地位にあったとされています。ただ、一品親王皇位継承との関連性は無いらしいです。


斎院はこれまでにも何度か出てきました。賀茂祭の斎王が住んでるところですね。
この時代は、選子(せんし/のぶこ)内親王が斎王であった時代であり、この方がおはした斎院であると考えられています。選子内親王は在任歴代最長で大斎院とも言われました。紫式部の同時代、他に斎王がいないわけですから、源氏物語の「朝顔」のモデルにもなったでしょうね。
原文に、斎院は「罪深なれど」とあります。なぜ罪深いのか?
考え方としては、斎王は仏と関係を断つということが罪深いのだというのですね。実は当時の通念というのはこうだったわけです。ただ実際には選子内親王は斎院にあっても仏に帰依していたようですし、斎院にいたさ中に発心和歌集の序文に仏法の功徳のことを書いているそうです。

ただどの程度なのかはわかりませんが、表向き?はやはり仏教とは緯線を画すべきなのが斎王、そして斎院の立場なのでしょう。
しかし、いずれにしても清少納言が「をかし」と書いてるように、この時代の斎院が宮中に次ぐ文化サロンであったことを示唆しています。


今で言うなら、こんな会社に就職したいとか、こんな仕事に就きたいとか、そういう感じだと思います。ただ、何となく気になるのは、そこに所謂やりがいとか、自己実現みたいな意識が感じられない所です。イケてるところで働きたい!オッシャレ―な仕事をしたい!という現代のライトな感覚にも似ていますね。
もちろん、志望動機の一つとしてそれもアリなのかもしれません。やりがいなどというもの、やってるうちについてくるものかもしれないのですから。まずは就職先を決めることです。


【原文】

 宮仕所は 内裏(うち)。后(きさい)の宮。その御腹の一品(いつぽん)の宮など申したる。斎院、罪深(ふか)かなれど、をかし。まいて、余の所は。また春宮の女御の御方。