枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

一条の院をば今内裏とぞいふ①

 一条院を今内裏(いまだいり)って言うの。帝がいらっしゃる御殿は清涼殿で、その北にある御殿に定子さまはいらっしゃるのね。西と東には渡り廊下があって、帝はこの廊下をお渡りになって、定子さまから参上なさる通り道にもなり、前には中庭があるから植え込みを作り、籬垣(ませがき)を結って、すごくいい感じなのよ。
 二月二十日頃、うららかでのどかに日が照ってる時、西の渡り廊下の廂(ひさし)の間で、帝が笛をお吹きになるの。(藤原)高遠の兵部卿が帝の笛の師でいらっしゃるんだけど、笛二つで高砂を繰り返しお吹きになるのは、やっぱりめちゃくちゃすばらしいわ!なーんていうのもありきたりよね。笛のこととかをお話しされてる様子もすごくすばらしいの。御簾の下にみんな集まって、見上げているひとときは、「芹(せり)摘みし」なんて思うこともなかったわ。


----------訳者の戯言---------

今内裏(いまだいり)というのは里内裏と言ったりもしたそうです。平安宮の大内裏の外の街に設けられた皇居という意味だそうですね。

一条院というのは、大宮院とも言われていたらしいです。大内裏の北端は一条通(一条大路)で、東の端は大宮通(大宮大路)です。その二つの道路の交わるあたりにあったんですね。だから一条院とか大宮院と言われたのでしょう。一条天皇の邸宅だから一条院、というのではなさそうです。で、この一条院という邸宅を「今内裏」として使った、ということですね。
先に書いた通り、大内裏の北東カドの外側斜め向かいのちょっと上ったあたりに位置しています。一条院跡は今のユニクロ西陣店の北東にある名和児童公園あたりである、とのことです。

「清涼殿」と出てきますが、普通は平安京内裏の清涼殿を指します。天皇が日常住んだ所、プライベートスペースです。なので、私は読み違えて、一条院までかなり距離があるよな~と思っていたのですが、違うんですね。一条院の中で一条天皇が普段住んでいたのが「清涼殿」で、つまり一条院の中にも「清涼殿」があったというわけなんですね。
そしてその北側にさらに中宮の住む御殿があったということです。

渡殿とは、二つの建物をつなぐ屋根のある板敷きの廊下。渡り廊下です。つまり、一条院の中に、帝の住む清涼殿と中宮の住む北側のサブ御殿があり、この二つを繋ぐ南北の渡り廊下が東側西側に各々1本ずつあったということなんですね。

原文にある「まうのぼらせ給ふ」。「まゐのぼる」や「まうのぼる」は「参上する」の謙譲語です。帝のところに中宮が参上なさるということですね。

壺=坪というのは、中庭。建物や垣などに囲まれた、比較的狭い一区画の土地のことを言うそうです。

笆(ませ)は籬とも書くようです。「ませ」と言うだけで、だいたい籬垣(ませがき)のことを指すことが多いようですね。
籬垣は竹や柴 (しば) などを粗く編んでつくった低い垣のことだそうです。


さて旧暦二月二十日頃というと、一瞬真冬かと思いますが、今の暦では春先です。ちなみに今年の場合、旧暦2月20日は4月の1日となります。桜の咲く頃ですよ。結構暖かい季節です。

高遠の兵部卿と出てきます。兵部卿というのは兵部省の長官です。当時兵部卿を務めていた藤原高遠(たかとお)という人は管弦にも秀でていて、帝に笛を指南していたといいます。
この帝と高遠の二人で「高砂」という曲をデュエットしたんですね。それがやたら素晴らしいと。

ところで「デュエット」というのもわかりにくい言葉です。もともとは、二重唱もしくは二重奏のことなんですが、だいたいはカラオケとかの歌を二人で歌うのを言いますね。昔の歌なら銀座の恋の物語とか、チャゲアスとか、ロンリ―チャップリンとかですか。
で、演者、奏者のことはデュエットと言ってもいいんですが、「デュオ」という場合も多いですね。ゆずとかコブクロとか、キロロとかあみんとか、Kinki Kidsとかですか。元々同性のデュエットのユニットを「デュオ」ということが多かったらしいです。けど男女でもデュオという場合もあります。フォークデュオという言葉もありますし。これなどはほぼ性別関係なく使います。結局雰囲気というか、慣用なんですね。おおむね、演奏、歌唱は「デュエット」、演者は「デュオ」と言うのが一般的にしっくりきます。それでいいんです、たぶん。

高砂というのは、催馬楽の「高砂」という曲のようです。催馬楽は元々は庶民の歌謡だったものですが、次第に貴族のものとしてアレンジされ、宮廷音楽にまでなりました。なので帝が演奏してもおかしくはありません。

さて、「芹摘みし」です。

芹摘みし昔の人もわがごとや 心に物は叶はざりけむ
(芹を摘んだっていう昔の人も私のように嘆いていたのかな? ほんと世の中というのは思いどおりにならないものだよね)

望みが叶わないあきらめの歌で、伝説的な古歌というか、「芹摘みし」というフレーズは、不遇やあきらめの代名詞みたいになっていたようですね。

というわけで、背景としては長保二(1000)年の2月、ちょうど定子が中宮から皇后になる前後の頃の話です。定子が皇后になり、藤原道長の娘・彰子が一条天皇中宮に入内した頃ですね。中関白家が衰退し、定子の不遇な時代が訪れている。そんなある日、沈んだ気持ちを忘れさせてくれる束の間の出来事、という段です。


【原文】

 一条の院をば新内裏(いまだいり)とぞいふ。おはします殿(でん)は清涼殿にて、その北なる殿におはします。西、東は渡殿にて、わたらせ給ひ、まうのぼらせ給ふ道にて、前は壺なれば、前栽植ゑ、笆(ませ)結ひて、いとをかし。

 二月二十日ばかりのうらうらとのどかに照りたるに、渡殿の西の廂にて、上の御笛吹かせ給ふ。高遠(たかとほ)の兵部卿御笛の師にてものし給ふを、御笛二つして高砂を折り返へして吹かせ給へば、なほいみじうめでたしといふも世の常なり。御笛のことどもなど奏し給ふ、いとめでたし。御簾のもとに集まり出でて、見奉る折は、「芹(せり)摘みし」(=不満)などおぼゆることこそなけれ。

 

枕草子 (岩波文庫)

枕草子 (岩波文庫)

  • 作者:清少納言
  • 発売日: 1962/10/16
  • メディア: 文庫