枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

成信の中将は⑥ ~雪こそめでたけれ~

 雪はなんたってすばらしいわ。「忘れめや」なんてひとりごとを言って、人目を忍んで逢うのはもちろんのこと、全然そんなことない女性のところも、直衣なんかは言うまでもなく、袍(ほう)も蔵人の青色とかがすごく冷たく濡れているようなのは、すごくイカしてるでしょう。緑衫(ろうそう)であっても、雪にさえ濡れてれば、不愉快ではないわ。
 昔の蔵人は夜なんかに女子の家に行く時にもいつもの青色の袍だけを着て雨に濡れても、それを絞ったりしたそうなの。今は昼間でも着ないようなのよ。ただ緑衫だけを引きかぶってるみたいね。衛府の役人なんかが青色の袍を着た姿は、まして、すごくおしゃれだったのになぁ。こんなこと聞いて、雨の夜に女性のところに歩いて行かない男も出てくるかもしれないんだけどね。
 月がめちゃくちゃ明るい夜、紙のまたすごく赤いのに、ただ「あらずとも」って書いただけのものを、廂に差しこんだ月の光に当てて人が見てたのはおもしろかったわ。雨が降っている時には、そんなことがあるかしら? 無いわよね。


----------訳者の戯言---------

「忘れめや」というのはどういう意味なのか?
このような歌を見つけました。万葉集に収められている笠郎女(かさのいらつめ)という人の歌です。大伴家持の彼女の一人と言われているそうですね。大伴家持っていうのは、大伴旅人の子どもです。元号・令和に決まった時にちょっと話題になりましたね。あの大伴旅人です。
逸れましたが、笠郎女の歌↓ですね。

わが命の全けむかぎり忘れめや いや日にけには思ひ益すとも
(私の命が無事である間は絶対に忘れられないわ! 逆にどんどん日が経つにつれて、募る思いが増え続けることはあってもね)

この歌ももしかすると家持に送ったのかもしれません。
こういう趣旨の歌のワンフレーズ「忘れめや」=「(思いがどんどん募ることはあっても)絶対忘れたりなんかしないのだからね」と言いながら、女子のところに行ったというわけですね、この男は。なかなかパッションがあってよろしい。


直衣(なほし/のうし)は何回も出てきました。当時の男性のカジュアルウェアです。オフィシャルではない上着ですが、ビジネスウェアの「衣冠」の袍とさほど変わりません。たぶん作りは多少違うのでしょうけど、私の素人目で見ると、どちらも平安時代の貴族が着ている衣服でしかなく、似たようなものです。今で言うと、テーラードジャケットだけどスーツではない、くらいのオフィスカジュアル的なスタイルと言っていいかもしれないですね。

袍(ほう/うへのきぬ)。上着のことです。直衣も袍の一種なのですが、ここでは衣冠の袍と解釈すべきでしょう。

蔵人の青色。
蔵人は青色の袍を着てたらしいですね。そのため、蔵人のことを「青色」と呼ぶこともあったようです。この「青色」というのは実はブルー系ではなく、「麹塵(きくじん/きじん)」と言われる色で、カーキ色というか、濁った緑という感じの色でした。蔵人(特に六位の蔵人)は前途有望な職でもありましたから、いかしてる色だったのかもしれません。
これに対して「緑衫(ろうそう/ろくさん)」は六位の役人全般が着ていた着物だそうです。こちらは深緑色。「深緑の袍」とも呼ばれたそうです。こっちのほうがキレイな色だと個人的には思いました。蔵人ではない普通の六位は下級役人扱いなので、「緑衫なりとも~~」と、ちょっと見下した感じの書かれ方をされています。六位ではあるけど、これならまぁ良し。ぐらいの感じでしょうか。
もしくは、蔵人でも青色だと堅苦しいから、わざと緑衫を着る、というようなことをしてる蔵人がいることを嘆きつつ、といった感情のようにも見受けられます。

「あらずとも」というのは何ぞ?ということで、源信明(みなもとのさねあきら)という人が詠んだ歌にこういうのがありました。

恋しさはおなじ心にあらずとも 今宵の月を君みざらめや
(恋しく思う気持ちは同じではないかもしれないけれど、今夜の月をあなたも見てるんだろうかなぁ…)

離れていても同じ月を見る、ということで恋情、熱い想いを表したのですね。自分の想いが募るあまり、もしかすると気持ちがアンバランスな状態にあるかもしれない…「あらずとも」というのはこういう想いなんですね。
これに対して、当時の恋人の中務(なかつかさ)という女流歌人が返します。

さやかにも見るべき月を我はたゞ 涙にくもる折ぞおほかる
(はっきりと見えるはずの月なんだけど、私はただひたすらに(あなたを想って流す)涙で曇る時が多いのですよ)

女のことが恋しくてならない男は、私が思うのと同じ位あなたが私のことを想っていなくても、今夜の月を私が見ているように、あなたもきっと見るには見るだろう。恋心が募るのは私ばかりだけど、せめて今夜の月に惹かれて眺める心は、あなたと重なっていたい、きっとそうなっているはずだけど。どうなんだろう?あなたは…
女は答えます。ええそうなの、今夜の月は明るいからはっきり見えるはずなのに、でもただただあなたが恋しくて涙が溢れてきて曇ってばかりなの。こんなにも私はあなたを思っているのですよ。
私の想いはあなたより強い。いいえ私の方が涙が出るくらいなのに…。めちゃくちゃ両想いじゃん。というか、切ないぐらい熱いです。


というわけで、月の明るい夜は良い、雨はダメ、でも雪はなかなか良いかな、というのが清少納言の言いたいことのようです。
しかし、すべて「男が通ってくる時」を想定しているというのが肝ですね。
この段は成信の変な行動から始まり、雨の時にやってくる男の話となり…でした。わかったようなわからんような、まとまりのない段でしたね。


とは言え、あえて真面目に書いておきますと、この段のこれらのエピソードやら何やらがあったのは長保二(1000)年。長保元(999)年に内裏が火災で焼失して、ここ一条院(大宮院)を「今内裏」として一条天皇が仮にお住いになった頃のことでした。中宮・定子も第一皇子敦康親王を出産し、長保二(1000)年の2月、二月十二日から三月二十七日まで、および八月八日から二十七日までの二度にわたって、一条院・今内裏で過ごします。
ちょうど定子が中宮から皇后になる前後の話ですね。定子が皇后になり、藤原道長の娘・彰子が一条天皇中宮に入内した頃。定子の実家・中関白家が衰退し、定子の不遇な時代が訪れている。そういった今内裏の日々は定子が一条天皇とともに過ごした最後の日々でもありました。
清少納言も機嫌がよくないことがあったのでしょう。特にこの日は雨に対する不満が沸々と現れた日だったのかもしれませんね。もちろん後に述懐しているわけですが、清少納言の鬱な気分が漏れ出たような印象もあります。

 

【原文】

 雪こそめでたけれ。「忘れめや」など一人ごちて、忍びたることはさらなり、いとさあらぬ所も、直衣などはさらにも言はず、袍(うへのきぬ)、蔵人の青色などの、いとひややかに濡れたらむは、いみじうをかしかべし。緑衫(ろうさう)なりとも、雪にだに濡れなば、にくかるまじ。昔の蔵人は、夜など人のもとにも、ただ青色を着て、雨に濡れても、しぼりなどしけるとか。今は昼だに着ざめり。ただ緑衫のみうちかづきてこそあめれ。衛府などの着たるは、まいていみじうをかしかりしものを。かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。

 月のいみじう明かき夜、紙のまたいみじう赤きに、ただ「あらずとも」と書きたるを廂にさし入りたる月にあてて、人の見しこそをかしかりしか。雨降らむ折は、さはありなむや。