めでたきもの
立派なものっていうと、中国製のカラフルな織物。装飾刀、象嵌細工の仏像。色合いが深くて、花房が長く咲いてる藤の花が松の木にかかってるの。
六位の蔵人もね。身分の高い貴公子たちでもなかなか着られない綾織物を、気ままに着てる青色姿なんか、すごく素敵だわ。蔵人所の雑色(ぞうしき)や、普通の家とかの子供たちだから、高貴な家の侍として、四位や五位の官職の人の下に侍ってて、これっていうほど目にはつかなかったんだけど、蔵人になったら、そりゃなんとも言えないくらいヤバいの♡ 宣旨なんかを運んだり、大饗の時の甘栗の使いなんかで参上したのを、おもてなしして、高貴な人にそうするかのように接する様子は、いったいどこから降ってきた天界の人なんだろ、って見えるほどなのよ。
お嬢さんが后妃でいらっしゃるとか、また、まだ入内してなくても姫君なんかがいらっしゃるようなお宅にお手紙を届ける使者として参上して、そのお手紙を差し入れる様子をはじめ、褥(=敷物)を差し出す女房の袖口(の立派さ)なんかを見ても、普段見知ってる者とは思えないほど、いかしてるのがわかるわ。下襲(したがさね)の裾を長めに出したスタイルで衛府の仕事をしてる者は、さらに、もうちょっとステキに見えるよね。お屋敷のご主人が自ら、杯(さかずき)を差し出されるんだから、彼自身どう思ってることでしょう。かつてはとってもかしこまって、土の上に傅(かしづ)いてた、高貴な家の貴公子たちに対しても、気持ち的にはかしこまってるけど、同じように連れ立って歩くのよ。帝がお側近くにお召し使われるのを見たら、(貴公子たちが六位の蔵人のことを)妬ましく感じるようにも思えるわね。とは言っても、親しく帝にお仕えする三年か四年ほどの間、身なりは粗末、服の色も平凡なもので、殿上の貴人たちと交わるっていうのは、何とも不甲斐ないことだわ。「かうぶり」の時期になって、殿上を下りるのが近づいてくるだけでも、命より惜しむべきことなのに、臨時の各地の受領任官に申し込むのは、みっともないことって思えちゃう。昔の蔵人は前年の春夏から泣いてたのに、今の蔵人は受領になるのを競争してるのよね。
博士の才能のある人は素晴らしい!ってあらためて言うのも愚かなくらいだわ。顔がいかしてなくって、ずいぶん身分が低くったって、高貴な人たちの御前に近づいて参上できて、それ相応のご質問をお受けして、学問の師としてお仕えするのは、羨ましくって素晴らしいことだと思うの。
神仏への願文(がんもん)、表(上奏文)、詩歌の序なんかを作って褒められるのも、すごく素敵なことよね。
僧侶で、かつ学才がある人は、あらためて言うまでもないわ。
皇后のお昼の行啓も素晴らしいの。摂政、関白の外出。春日大社への参詣。葡萄染(えびぞめ)の織物。すべて何もかも、紫色のものは立派だわ、花も糸も紙もね。庭に雪が厚く降り積もってる風景。摂政、関白。紫の花の中では杜若(かきつばた)はちょっとイケてないわ。六位の蔵人の宿直姿が素敵なのも、紫色だからなのよね。
----------訳者の戯言---------
「もくゑ」というのは、「木画」と書き、色や木目の違う木材や象牙・竹などの細片を木地と同じ高さに象嵌して図柄や文様を表したもののようです。寄木象嵌(ぞうがん)。ここでは、簡単に言えば、象嵌の仏像かと。
六位の蔵人(六位蔵人)はすでに何回も出てきましたね。五位蔵人の次位。昇殿が許される殿上人であり、天皇の側近として名誉な職とされました。
六位の蔵人の「青色姿」とありましたが、これについては「内裏の局、細殿いみじうをかし」の解説部分に詳解しています。青色っていうのは、薄いカーキというか、サンドベージュのような色です。
「雑色(ぞうしき)」は、雑用をこなす下級役人です。
「宣旨(せんじ)」というのは天皇のお言葉を書いた、お達しの文書です。
「大饗」っていうのは、当時、正月や新任の際、大臣のお屋敷などで行われた大規模な宴会だそうです。この時、天皇から搗栗(かちぐり)を賜ったらしいんですが、その使いを「甘栗の使い」といって、六位蔵人が奉じたそうです。
「褥(しとね)」は、敷物のことで、概ね、座布団、敷き布団等々のことを言うようです。
下襲(したがさね)は、まあ、今でいうところのシャツ的なものですね。ジャケットの下に着るもの。詳しくは「よろこび奏するこそ」の段に書きました。
「かうぶり」というのは五位(従五位下)に任命されること、だそうです。六位蔵人の場合は、六年間の殿上勤めを終えると、巡爵といって従五位下に進叙され、蔵人の任を解かれて殿上を下がるという慣例がありました。これは前に「説経の講師は①」でも書きましたね。単純な昇進ではなく、殿上人ではなくなる、という複雑な事情があったようです。
一応、貴族というのは「従五位下」以上の人のことを言ったらしいです。
受領(ずりょう)というのは地方諸国の長官だそうです。いわば県知事です。実利のある官職だったようですね。
「一の人」というのは、朝廷の儀式で、第一の座に着くことから、摂政・関白のことをこう言ったのだそうです。
葡萄染(えびぞめ)は、こんな色です。「過ぎにし方恋しきもの」で詳しく述べていますのでご参照ください。
この段は「めでたきもの」ですね。
当時の意味としては、立派!素晴らしい!素敵!という感じです。
清少納言はどうも六位の蔵人を贔屓にしているようですね。元々それほど高くはない身分の家出身の人が殿上人にまでなって、凛々しい姿を見せているというのが、「めでたし」という形容にふさわしい、と。なんとなくそういうニュアンスはわかるような気がしましたね。
【原文】
めでたきもの 唐錦。飾り太刀。つくり仏のもくゑ。色あひ深く、花房長く咲きたる藤の花<の>松にかかりたる。
六位の蔵人。いみじき君達なれど、えしも着給はぬ綾織物を、心<に>まかせて着たる青色姿などのいとめでたきなり。所の雑色、ただ人の子供などにて、殿ばらの侍に、四位五位の司あるが下にうちゐて、何とも見えぬに、蔵人になりぬれば、えも言はずぞあさましきや。宣旨など持て参り、大饗の折の甘栗の使などに参りたる、もてなしやむごとながり給へ<る>[り]さまは、いづこなりし天降り人ならむとこそ見ゆれ。
御むすめ、后にておはします、またまだしくても、姫君など聞こゆるに、御書の使とて参りたれば、御文取り入るるよりはじめ、褥さし出づる袖口など、明暮見しものともおぼえず。下襲の裾(しり)引き散らして、衛府なるは今少しをかしく見ゆ。御手づから杯などさし給へば、わが心持ちにもいかにおぼゆらむ。いみじくかしこまり、つちにゐし家の子・君達をも、心ばかりこそ用意しかしこまりたれ、同じやうにつれだちてありくよ。上の近う使はせ給ふを見るには、ねたくさへこそおぼゆれ。馴れつかうまつる三年、四年ばかりを、なりあしく、物の色よろしくてまじはらむは、いふかひなきことなり。かうぶりの期になりて、下るべきほどの近うならむだに、命よりも惜しかるべきことを、臨時の所々の御給はり申しておるるこそいふかひなくおぼゆれ。むかしの蔵人は、今年の春夏よりこそ泣きたちけれ、今の世には走りくらべをなむする。
博士の才あるは、めでたしといふもおろかなり。顔憎げに、いと下﨟なれど、やむごとなき人の御前に近づき参り、さべきことなど問はせ給ひて、御書の師にて候ふは、うらやましくめでたしとこそおぼゆれ。
願文、表、ものの序など作り出だしてほめらるるも、いとめでたし。
法師の才ある、はたすべていふべくもあらず。
后の昼の行啓。一の人の御ありき。春日詣。葡萄染の織物。すべて何も何も、紫なるものはめでたくこそあれ。花も糸も紙も。庭に雪のあつく降り敷きたる。一の人。紫の花の中には、杜若(かきつばた)ぞ少しにくき。六位の宿直姿のをかしきも紫のゆゑなり。