枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

五月ばかり、月もなういと暗きに①

 五月頃、月もなくてとても暗い夜、「女房はいらっしゃいます?」って大勢の声で言ってたもので、定子さまが「出てって見て来て。いつもと違って、あんな大声で言ってるのは誰なのかしら?」っておっしゃるから、「その声は誰ですか? すごく大げさで目立ちまくってるのは?」って言ったの。すると、何にも話さず、御簾を上げて、カサカサッと、差し入れてきたのは、呉竹だったのね。「あれれ、この君だったのね」って私が言ったのを聞いて「さてさて、これをすぐ殿上に行って報告しよう!」って、式部卿の宮の源中将と、他の六位蔵人たちが来てたんだけど、帰って行っちゃったのよね。

 頭の弁(藤原行成)はそのまま留まっていらっしゃったの。「不思議なんだけど、みんな行っちゃったよ。御前の庭の竹を折って、歌を詠もうとしてたんだけど、『同じことなら、職の御曹司に参上して、女房たちを呼び出してね』って来たんだけど、呉竹の名をめちゃくちゃ早く、すぐに言われて、退散しちゃったのはかわいそうだね。いったい誰の教えを聞いて、人が普通知りようもないようなことを言うのよ?」なんておっしゃるから、「竹の名前だなんてこと知らないのに。失礼だって思われたのかしら?」って言ったら、「ほんとに、それ、知らなかったんだろうかなぁ??」なんておっしゃるのよね。


----------訳者の戯言---------

呉竹。竹の一種。別名、淡竹(はちく)。葉が細かくて、節が多い。庭などに植えたそうです。清涼殿の前庭にも植えてあったらしいですね。呉(ご)というのは昔の中国の国名の一つです。歴史上は何回もできたりなくなったりしたようですね。呉越同舟の呉ですね。中国から来た竹ということなのでしょう。

「この君」というのは竹のことなんだそうです。竹の別名なんですね。よくわかりませんが。
と思って調べたら、中国の故事でした。中国晋代の書家・王子猷の書に「一日不可無此君=何ぞ一日も此の君無かるべけんや」というのがあるそうです。王子猷は竹をものすごく愛していたらしく、「此の君無しでは1日も暮らせない」という意味で書いたそうです。

頭の弁(藤原行成)はもう登場しすぎですね。またお前かよ、という感じです。
行成が清少納言の見識、知識の深さを褒めると、「え、そんなこと知らなかったわ」と、わざとらしく謙遜する清少納言。行成、清少納言アネキのことを好きすぎるんでしょうかね。それをまたまんざらでもないような感じでいなす清少納言。まあ、微笑ましいといえば微笑ましいし、またも小自慢かよと思えばそうだし。という話でした。

これを踏まえた上で?②に続きます。


【原文】

 五月ばかり、月もなういと暗きに、「女房や候ひ給ふ」と声々して言へば、「出でて見よ。例ならず言ふは誰(たれ)ぞとよ」と仰せらるれば、「こは誰(た)そ。いとおどろおどろしう、きはやかなるは」と言ふ。ものは言はで御簾をもたげて、そよろとさし入るる、呉竹なりけり。「おい、この君にこそ」と言ひたるを聞きて「いざいざ、これまづ殿上に行きて語らむ」とて、式部卿の宮の源中将、六位どもなどありけるは往(い)ぬ。

 頭の弁はとまり給へり。「あやしくても往ぬる者どもかな。御前(ごぜん)の竹を折りて、歌詠まむとてしつるを、『同じくは職(しき)に参りて女房など呼び出できこえて』とて来つるに、呉竹の名をいととく言はれて往ぬるこそ、いとほしけれ。誰(た)が教へを聞きて、人のなべて知るべうもあらぬ事をば言ふぞ」など、のたまへば、「竹の名とも知らぬものを。なめしとやおぼしつらむ」と言へば、「まことに、そは知らじを」など、のたまふ。

 

 

マンガでさきどり枕草子 (教科書にでてくる古典)

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