枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

五月ばかり、月もなういと暗きに② ~まめごとなども言ひあはせてゐ給へるに~

 真面目な話なんかも、私とお話しなさってたら、「植えてこの君と称す~」って吟じながらまた殿上人たちが集まってきたもんだから、彼(行成)、「殿上の間で話し合って予定してた本来の目的も果たさないで、どうしてお帰りになっちゃったのか、不思議だったんだよね」っておっしゃって。殿上人は「あんな対応に、どうやって応えたらいいんだろう? なかなか難しいですよ! 殿上でも大騒ぎになって、帝もお聞きになって、おもしろがっていらっしゃいましたよ」って言われてたわ。頭の弁(行成)もいっしょになって、この、同じ詩を何度も何度も吟じなさって、すごくおもしろかったから、女房たちもみんな、殿上人たちとそれぞれにおしゃべりなんかして、夜を明かして、殿上人たちは帰る時にも、やっぱり同じ詩を声を合わせて吟じて。左衛門の陣に入るまでそれが聞こえてたのよね。

 翌日の早朝、めちゃくちゃ早い時間帯に、少納言命婦っていう人が帝のお手紙を持って定子さまの元に参上したんだけど、このことを申し上げたもんだから、私は定子さまのお側から下がってたんだけど、呼び出されてね、「そんなことがあったの?」ってお聞きになるから、「いや、知らないんです。何なのか知らないで言っただけなので。行成の朝臣が、うまくとりなしてくださったんじゃないかしら」って申し上げたら、「とりなしたって言っても♡」って、定子さまは微笑んでいらっしゃるの。女房の誰のことにしたって、「殿上人がほめた」なんていうのをお聞きになったら、そう言われた女房のことをお喜びになるのも、すてきなのよね。


----------訳者の戯言---------

「植えてこの君と称す」という詩は「和漢朗詠集」にも撰入されている藤原篤茂という人の作った漢詩のようです。

晋騎兵参軍王子猷
栽称此君
唐太子賓客白楽天
愛為吾友

ここで殿上人たちが詠ったのは、「栽称此君」の部分でしょうか、「栽(う)ゑて此の君と称す」と吟じたわけですね。
詩の大意は、「晋の騎兵参軍だった王徽之は、竹を植えて『此の君』と呼び、唐の太子の賓客だった白楽天は、竹を愛して『わが友』と言った」というようなことです。
なるほどと思いますが、調べるのがたいへんでしたよ。

で、この段の顛末。
てっきり藤原の行成とのやりとりがまたもや延々と繰り広げられるのかと思いきや、今回は脇役というか、盛り上げ役といった役どころ。「此の君」ネタから広がって、この夜は相当盛り上がった、という自慢話です。が、最終的に定子さまを褒め称えるという話に持っていきます。
定子大好き♡という側面もあるにはあるんですが、照れ隠し、といえばかわいいけど、むしろこれ、あからさまな自慢話を中和しようという姑息なテクニックとみる方が妥当かと思うんですよね、私。


【原文】

 まめごとなども言ひあはせてゐ給へるに、「種(う)ゑてこの君と称す」と誦じて、また集まり来たれば「殿上にて言ひ期(き)しつる本意もなくては、など、帰り給ひぬるぞとあやしうこそありつれ」とのたまへば、「さることには、何の答へをかせむ。なかなかならむ。殿上にて言ひののしりつるは。上もきこしめして興ぜさせおはしましつ」と語る。頭の弁もろともに、同じことを返す返す誦じ給ひて、いとをかしければ、人々、皆とりどりにものなど言ひ明して、帰るとてもなほ、同じことを諸声に誦じて、左衛門の陣入るまで聞こゆ。

 つとめて、いととく、少納言命婦といふが御文まゐらせたるに、この事を啓したりければ、下(しも)なるを召して、「さる事やありし」と問はせ給へば「知らず。何とも知らで侍りしを、行成(ゆきなり)の朝臣のとりなしたるにや侍らむ」と申せば、「とりなすとも」とて、うち笑ませ給へり。誰が事をも「殿上人ほめけり」などきこしめすを、さ言はるる人をもよろこばせ給ふも、をかし。

 

枕草子 (21世紀版・少年少女古典文学館 第4巻)

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