枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

三月ばかり、物忌しにとて

 三月頃、物忌をするために臨時の宿として人の家に行ったんだけど、木々がそんなに目立っていいのが無い中で、柳とは言っても普通の柳みたいに優美じゃなくて葉っぱが広く見た目も感じ悪くってね、「…じゃないもの、でしょ??」って言ったら、「こういうのもあるわよ」とか言うもんだから、

さかしらに柳の眉のひろごりて春のおもてを伏する宿かな
(小賢しく柳の眉が広がってるもんだから、春の面目丸つぶれの家だなぁ)

って思えたの。
 その頃、また同じ物忌をするために、同じようような別の家に退出したら、二日目のお昼頃、すごく退屈な気分でいっぱいになって、今すぐにでも定子さまのところへ参上したい気がしてた時、中宮様からお手紙が届いてすごくうれしい気持ちで読んだの。浅緑色の紙に宰相の君がすごくきれいな字で書いていらっしゃるのね。

「いかにして過ぎにしかたを過ぐしけむ暮らしわづらふ昨日今日かな
(どうやって、あなたが来る前、あなたがいない過ぎた日々を過ごしてたんでしょ?? あなたがいなくて日々の暮らしを過ごすのがつまんない昨日今日なの!)

と、定子さまがおっしゃってます」
(宰相の君から私、清少納言への)私信「今日すでに千年も経った気持ちなんだから、明日の明け方にはね、早く来てくださいね」

って書いてあるの。この宰相の君のおっしゃることさえうれしい感じなのに、まして定子さまの歌の趣旨なんておろそかにできるわけない気持ちだから、

「雲の上も暮らしかねける春の日を所がらともながめつるかな
(定子さまの宮中での暮らしを辛くなっていらっしゃる春の日を、私のほうはというと場所が場所だけにぼんやり過ごしてましたよ)」

(私、清少納言から宰相の君への)私信「今夜のうちにも少将になっちゃうんじゃないかなって思います」

って書いて、明け方に参上したら、「昨日の返歌の『(暮らし)かねける』はたいへん良ろしくないわね。めちゃくちゃ悪口言っておいたわよ」っておっしゃるの、すごくつらいわ。ほんと、そのとおりだから…。


----------訳者の戯言---------

宰相の君は定子サロンの同僚女房です。というか中宮付きの上臈女房でした。清少納言からすると先輩と言っていいかもしれません。宰相の娘だから「宰相の君」です。宰相というのは参議のことで、唐名でこう呼ばれました。朝廷の最高機関である太政官の官職です。「宰相の君」の父親は菅原輔正で、この人はあの菅原道真のひ孫になります。当然というかなんというか北野天満宮に縁があり、死後ここに祀られました。そのため北野宰相とも呼ばれたということです。

清少納言が詠んだ「雲の上」ですが、昔から、雲の上→ものすごく高いところ→手が届かない場所→宮中 と喩えられていました。

「暮らしわづらふ(暮らしを寂しく思う)」と定子が言ったのを清少納言が「暮らしかねける(暮らしが辛くなる)」という感じで返してきたことに、「ちょっと言い方キツイんじゃね? 言い過ぎだったんじゃね?」と中宮・定子がdisったという展開。最終的に清少納言は凹み気味となりました。先日の「雪のいと高う降りたるを」の「香炉峰の雪」のくだりでは、相当マウントとってきましたから、その反動のようにさえ思えます。
が、これ実は、私は「叱られちゃったよ、てへぺろ。」だと思うんですよね。こんなに定子さまと本音を言い合える仲アピール。しかも、お互いになかなか上手に詠めました、と言わんばかりに、しっかり歌を3首書いてます。
定子さまにもヨイショしつつ自分アピールも十分。世の中、清少納言にしてやられてますよ。


【原文】

 三月ばかり、物忌しにとて、かりそめなる所に、人の家に行きたれば、木どもなどのはかばかしからぬ中に、柳といひて、例のやうになまめかしうはあらず、ひろく見えて、憎げなるを、「あらぬものなめり」といへど、「かかるもあり」などいふに、

さかしらに柳の眉のひろごりて春のおもてを伏する宿かな

とこそ見ゆれ。

 その頃、また同じ物忌しに、さやうの所に出で来るに、二日といふ日の昼つ方、いとつれづれまさりて、ただ今もまゐりぬべき心地するほどにしも、仰せごとのあれば、いとうれしくて見る。浅緑の紙に、宰相の君いとをかしげに書い給へり。

いかにして過ぎにしかたを過ぐしけむ暮らしわづらふ昨日今日かな

となむ、わたくしには、「今日しも千歳の心地するに。あかつきにはとく」とあり。この君ののたまひたらむだにをかしかべきに、まして仰せごとのさまはおろかならぬ心地すれば、

雲の上も暮らしかねける春の日を所がらともながめつるかな

わたくしには、「今宵のほども、少将にやなり侍らむとすらむ」とて、あかつきにまゐりたれば、「昨日の返し、『かねける』いとにくし。いみじうそしりき」と仰せらる、いとわびし。まことにさることなり。