枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に⑨ ~殿おはしませば~

 関白(道隆)殿がいらっしゃったので、寝乱れた朝顔じゃ季節外れなものだってご覧になるだろうな…って部屋に引っ込んだの。こちらにお越しになってすぐ、「あの花がなくなってるやん! 何でこんな全部ごっそり盗まれてるんだよ! あかん女房たちだね~ 寝坊してて、気づかなかったんだね」って驚かれたもんだから、「でも私は『私より先に』起きてた人がいた!って思っておりましたよ…」って私がこっそりと言うと、それをすぐお聞きつけになってね、「そうだろうと思ってたよ。まさか他の人が出てきて見たりなんていうのはないだろう? 宰相の君とあなたぐらいだろうと推察してたんだよ」ってすごくお笑いになるの。
 「そういうことなのに、少納言は春の風のせいにしたのよね」って定子さまがお笑いになったのは、すごく好感度高かったのよね。
 「じゃあ嘘をおっしゃられたんだ! 『今は(風も弱まる)山田を耕す季節』でさえあるのだからね~」なんて吟じられる道隆さまのご様子ときたら、すごく優雅でおもしろいの。「それにしても、見つけられちゃってくやしいよ。あれほど見つからないようにスタッフには言っておいたのにね~。中宮のところにはこういう番人がいるからなぁ」なんておっしゃって。「『春の風』とは、とっさにすごく上手く言ったもんだよね」とかって、関白殿はまた歌を吟じていらっしゃるの。
 「(歌ではなく)ただの言葉にしては、気の利いた言葉を思いついたものだわ。実際今朝の桜の様子はどうだったのかしら?」なんて、定子さまはおっしゃってお笑いになるのよ。
 すると小若君が「でもそれを清少納言さんがすごく早く見つけて、『露に濡れたる』って詠まれた桜にしては、この造花ときたら『恥ずかしいものですよぉ』って言ってたんですよ」ってお二人に申し上げたら、関白殿がすごく悔しがっていらっしゃったのもおもしろいのよね。


----------訳者の戯言---------

「ねくたれの朝顔」というものが出てきます。漢字では「寝腐れ」と書き、これは寝乱れている状態を表すようですね。寝乱れた朝顔、という擬人表現です。
ここでは清少納言の自嘲というか卑下というか、謙遜なのでしょうか。朝でまだぐちゃぐちゃな顔で見られたもんじゃないから、消えますわね。ということです。それをオシャレに、粋な感じで書きましたの、と、清少納言的にはそういうところだと思います。

そもそも旧暦2月、今の3月後半ですから朝顔はありえない時季ですよね。朝顔というワードがいきなり出てきたので少し驚きましたが、そういうことだったのでしょう。

朝顔というのは結構古くて、日本への到来は奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされているそうですね。朝顔の種の芽になる部分には下剤の作用のある成分がたくさん含まれていて、漢名では「牽牛子(けにごし/けんごし)と呼ばれ、奈良時代平安時代には薬用植物としても扱われていたそうです。
もちろん、観賞用の花としても古くからポピュラーだったようではあります。
朝顔と言えば通常は7月から11月頃までが盛り。夏から秋にかけてのものです。で、元々秋の花とイメージされていたので、実は朝顔は夏ではなく秋の季語なんですね。


話が逸れますが、朝顔と言えば、例の千利休と秀吉のやつです。

千利休の屋敷(茶室?)の庭で咲き誇っていると聞いた朝顔を、素晴らしいに違いないと思って、千利休から招かれて行ってみると、庭の朝顔が全て切り落とされていた。ガッカリした秀吉が茶室に入ると、光が少し差し込むその先に一輪だけ朝顔が生けてあり、千利休が「一輪であるが故のこの美しさ。庭のものは全て摘んでおきました」と、秀吉に言ったとか言わなかったとか。

これ、大方のところでは、千利休の美意識とそれに感動した秀吉、という「いい話」になってます。が、その一方で、複雑なあの二人の関係を示唆しているとか、利休の秀吉への批判を暗示しているとか、様々に解釈されていますね。
茶人・千利休は当時の戦乱の世を動かす裏のリーダーであり、戦略家であり、先取的イデオロギーの主導者であったとも言われています。そのミーティングが戦場ではなく、茶室というサロンで行われていたというのが実際で、利休を慕って戦国武将たちが茶室に集ったわけですから秀吉からすると脅威であったとするのもそれほど外れてはいないのでしょう。

私も少し語っておきますと、かなり複雑な秀吉の感情を察することができるという話になります。
一輪の朝顔を他者をすべて排除しトップに君臨する自分を模して揶揄しているのだと嫌悪感を感じたのではないか、というのが一つ。
金ピカ大好きの自分を思い知り、恥じ、彼が自分を蔑んでいると感じて内心怒ったのか、上に立つ者として敵わないと思って怖れたのか、というのがもう一点です。
美意識の違いというのは人生観、生き方、価値観の違いであって、人を貶めたり殺めたりしてもトップに立って治世するか、融和を図って世を治めるかという政治手法の違いであったとするのが、この事件?において浮かび上がるのです。価値観の転換を図ろうとした利休と、旧態依然の価値観で治世を試みた秀吉。その二人の精神的なバトルであったのでしょう。
最後、利休に切腹を申し渡したのは、無価値のものに謂れのない価値をつけて人々をだましたという理屈なんですね。
なんか書き過ぎましたか。


さて。元に戻ります。
「いぎたなし」は漢字で書くと「寝汚し」「寝穢し」です。「ぐっすり寝込んでる」「眠り続けていてだらしがない」という意味になります。

『我よりさきに(私より先に)』というのはどういうことなのでしょう??と思って調べました。
こんな歌↓があるんですね、壬生忠見という人の歌だそうです。「古今和歌集」の編者だった壬生忠岑は知っていますが、その息子なんですね。この親子はどちらも三十六歌仙に入ってるようです。いずれも下級役人だったらしいですが歌人としては一流だったらしいですね。忠見の歌は950年代頃に成立した勅撰集「後撰和歌集」に撰入されたり、同時期の歌会などで活躍したらしいですから、枕草子の時代から見て同年代というか、さほど古い人ではありません。

桜見に有明の月に出でたれば 我より先に露ぞおきける
(桜を見に有明の月のころに出て見たら、私より先に露が下りていたんだよ)

歌語としての「露」は常に「起き」と「置き」との掛詞を導き出す為に用いられるものであるそうで。道隆に朝寝坊だと責められた清少納言は、「我より先に」起きているはずの露(つまり道隆)に責任を転嫁したのですね。「いやいや先に起きてらっしゃった方いるでしょ??」って感じでしょうか。
つまり関白・道隆が先に起きて仕組んだ仕業である事を、こちらは先刻承知の上ですよ、と暗に仄めかしたということですね。


「宰相」というのは当時の宰相(菅原輔正)の娘で定子サロンの同僚女房です。菅原輔正はあの菅原道真のひ孫になります。京都に北野天満宮というのがありますが、後に北野宰相とも呼ばれました。

そして、清少納言の「春の風で桜の花が持ってかれた」説には次の紀貫之の歌から取って、道隆が返事をします。

山田さへ今は作るを散る花の かごとを風に負ほせざらなむ
(山田でさえ今は耕す時期になったのに、散る花の恨み言は風のせいにしないで)

山田を耕す時期=風が弱くなる時節なんですね。そういうことか。


小若君というのは、貴人の幼少の子をいう尊敬語だそうです。伊周や定子の末弟・好親あたりでしょうか。

で、小若君が指摘した「露に濡れたる」は、⑦で清少納言が言った「泣きて別れけむ顔に心劣りこそすれ」の元ネタとなった歌↓にあります。もう一度書いておきますね。

桜花露に濡れたる顔見れば 泣きて別れし人ぞこひしき
(桜の花の露に濡れた花の表情を見てたら、泣いて別れた人が偲ばれて恋しくなってくるんだよ)


「おもてぶせなり」「面伏せ」と書きます。恥ずかしくて顔が伏せたくなるようなさま。 恥ずかしい。面目ない、といった意味になります。

「露に濡れたる顔」に喩えられる桜花にしては、雨で萎んじゃうこの造花は恥ずかしい、と清少納言がdisったということなんですね。で、それを聞いた関白・道隆がすごく悔しがったと。
何故でしょうか。雨でダメダメになってしまう造花の桜の木を作ったのがそもそも道隆だったということですか? で、その造花が醜態をさらす前に撤収を図ろうとしたものの、先に見つかったのが悔しい道隆。という話でいいんでしょうか?

まそもそも、木ごと無くなってるのに、春の風が~どーたら~言うて優雅でよろしわ~みたいな意識がだめなんですよね。全然おもしろくない。その辺のセンスどうにかならないかな、と思います。
⑩に続きます。


【原文】

 殿おはしませば、ねくたれの朝顔も、時ならずや御覧ぜむとひき入る。おはしますままに、「かの花は失せにけるは。いかで、かうは盗ませしぞ。いとわろかりける女房達かな。いぎたなくて、え知らざりけるよ」とおどろかせ給へば、「されど、『我よりさきに』とこそ思ひて侍りつれ」と、忍びやかにいふに、いととう聞きつけさせ給ひて、「さ思ひつることぞ。世にこと人出でゐて見じ。宰相とそことのほどならむとおしはかりつ」といみじう笑はせ給ふ。「さりけるものを、少納言は、春の風におほせける」と、宮の御前のうち笑ませ給へる、いとをかし。「そらごとをおほせ侍るなり。『今は、山田もつくる』らむものを」などうち誦ぜさせ給へる、いとなまめきをかし。「さてもねたくみつけられにけるかな。さばかりいましめつるものを。人の御かたには、かかるいましめ者のあるこそ」などのたまはす。「『春の風』は、そらにいとかしこうもいふかな」など、またうち誦<ぜ>させ給ふ。「ただ言(ごと)にはうるさく思ひ強りて侍りし。今朝のさま、いかに侍らまし」などぞ笑はせ給ふ。小若君「されど、それをいととく見て、『露にぬれたる』といひける、『おもてぶせなり』といひ侍りける」と申し給へば、いみじうねたがらせ給ふもをかし。