枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて② ~中納言の君の~

 中納言の君が、誰かの命日っていうことで、神妙にお勤めをなさってたんだけど、「その数珠を、ちょっとの間、お貸しください。お勤めをして、(関白殿みたいに)立派な身の上になりたいものですから」って借りようとしたら、女房たちは集まって笑うんだけど、それでもやっぱりそれ(道隆さまにあやかるの)ってすごくすばらしいことよね。定子さまがお聞きになって、「仏様になったなら、父(関白殿)にあやかるよりいいでしょうに」って、微笑んでいらっしゃるのがまた素敵だなって、そのご様子を見させていただいてたの。大夫殿(道長)がひざまずかれたことを、何度も何度もお話し申し上げたら、「例のあなたの大好きなあの人ですものね」ってお笑いになったけど、まして、もしこの後の彼の出世をご覧になったとしたら、なるほど当然のこと、ってお思いになったでしょうね。


----------訳者の戯言---------

おわかりの方も多いと思いますが、中納言の君というのは、男性でなく、清少納言の同僚の女房だそうで、実は前に一度登場しています。
ねたきもの」という段だったんですが、急ぎの縫い物があって、「命婦の乳母」っていうワガママっ娘が、ちゃんと縫えてないのに、もう終わっちゃった!って席を立ってしまって、縫い直してよ~って言っても言い訳なんかしてやんないもんだから、代わりに他の女房が仕方なくやり直した、と。そういう話でしたが、そのやり直した側の女房の一人が「中納言の君」でした。

この中納言の君という人は、定子の父・藤原道隆の叔父・藤原忠君という人の娘だそうですから、道隆の従妹ということになります。源俊賢正室でもあります。話が逸れますが、源俊賢は当時のエリート、やり手でもあったようです。ちょっと前にも登場し男前としてはしょっちゅう出てくる感のある藤原斉信歌人としても超有名な藤原公任三蹟の一人でもある藤原行成と並んで「一条朝の四納言」の一人とされています。

二月つごもり頃に」という段には、藤原公任源俊賢が登場しました。公任が清少納言のもとに「少し春ある心地こそすれ」という下の句を送ってきて、何とか上の句を書いて送り返した…という話でしたね。

藤原行成は「職の御曹司の西面の立蔀のもとにて」で、少女漫画か!?とも、じゃれ合っているのか?とさえ、思えるようなやりとりをした書の上手い年下のイケメンです。

話を戻します。
前の記事①で、自分のことを「老いぼれ」と呼んだ道隆ですが、実はまだ40代はじめです。中納言の君もベテラン女房と言ってもまだまだ、若いですよ。石田ゆり子原田知世菊池桃子もオーバー・フィフティですからね。関係ないですか。

そんな道隆関白殿にいちばん勢いのあった頃、自嘲と言うか謙遜と言うか、ああいう言い方をしたまでなワケで、つまり実際は、枕草子では道隆=定子さまの栄華を極めた頃のことを描いていて。しかし、この文章を書いてるのは彼らが亡くなって中関白家が凋落した後、清少納言が回顧しながらであるとすれば、かなり心境は複雑であると推察されます。

特にこの段では、定子から、藤原道長清少納言の「お気に入りの人」であることをぽろっと指摘されてます。それまでにも彼女が漏らしていたのか、それらしい様子があって気づかれちゃったのかはわかりませんけど、すでに道長栄華の時代になった後に、このことを彼女は書いたわけですね。そういう意味でこの段は、非常に興味深いです。私でもそう思うのですから、専門家などはかなり注目ではないでしょうか。すでにしてるんでしょうね。私、今さら何言ってるの?という感じだと思います、はい、すみません。

定子さまは父の弟(つまり叔父)だけどまだ下っ端の道長をやたら推してくる私(清少納言)に余裕の笑顔で「例のあなたのオキニね」程度の返しをしたんだけど、今はこんな時代になって、と書く清少納言道長は思い人ではあったけど、中関白家凋落を招いた張本人なわけです。

清少納言の心中やいかに。しかしこれ、どうしようもないんじゃないかと思いますね、当時の女子は。ま、当時「道長派なんじゃねーの?」とか清少納言もいろいろ言われたらしくて、実家に引き籠ったりも(ニート??)したとか、時代に翻弄された女性の一人であった、と考えると私もちょっと印象変わりますね。「春はあけぼの~」とか言ってる能天気な女子という認識、違うのかもと思ったりします。

関係ないけど、脳天気? 能天気か?と思って調べてみたところ、どっちも使うようですね。古くは「能天気」が多かったらしく、昭和以降「脳天気」が使われるようになったらしいです。テレビ、新聞は今も「能天気」だそうです。ただ、私の感覚では「脳天気」のほうがしっくりきますね。脳の中がオメデタイ感じでいいじゃんと思います。カタカナで「ノーテンキ(。・ω・。)ノ♡」でもいいですかね。


【原文】

 中納言の君の、忌日とてくすしがりおこなひ給ひしを、「賜へ、その数珠しばし。おこなひして、めでたき身にならむ」と借るとて、集まりて笑へど、なほいとこそめでたけれ。御前に聞こしめして、「仏になりたらむこそは、これよりはまさらめ」とて、うち笑ませ給へるを、まためでたくなりてぞ見奉る。大夫殿のゐさせ給へるを、かへすがへす聞こゆれば、「例の思ひ人」と笑はせ給ひし、まいて、この後(のち)の御ありさまを見たてまつらせ給はましかば、ことわりとおぼしめされなまし。

 

枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い (朝日選書)

枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い (朝日選書)