枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の

 九月の頃、一晩中明け方まで降った雨が、今朝は止んで、朝日がすごく鮮やかに射しはじめたんだけど、庭の植え込みの露がこぼれるほどに濡れかかってるのがとっても素敵な感じ。透垣(すいがい)の羅文(らもん)や軒の上なんかに張り巡らした蜘蛛の巣が破れて残ってるのに雨がかかったのが、白い玉を貫いてるみたいに見えるのは、すごく風情があっていいのよね。

 少し日が高くなると、萩なんかがすごく重たそうになってて、露が落ちると枝が揺れ動いて、人が手を触れもしないのにさっと上の方に跳ね上ったりするのも、とってもおもしろい…って、言ってきた色々なことが、他の人の心には全然おもしろくないんだろうかななぁ、って思うのが、またおもしろいのよね。


----------訳者の戯言---------

旧暦9月ですから、今の10月くらいの気候です。ちょうど気候のいい時ですね。

原文の「けざやかに」というのは、「けざやかなり」=「はっきりしている。きわだっている」の連用形です。

透垣(すいがい)というのは、板か竹で、少し間をあけて作った垣のことだそうです。羅文(らもん)は、立蔀や透垣の上部に、細い木や竹を二本ずつ菱形に組んで飾りとしたものをこう言ったそうですね。

清少納言、最後のところで、まどろっこしいことを書いてますが、自分が「おもしろい」って感じてるいろいろなことを、他の人たちは「全然おもしろくない」って思ってる、それがまたいいのよね。と、そういう状況を楽しんでいるようです。着眼点が独特、つまり、目のつけどころが違うでしょ、とのアピールでもあり、表現者としての矜持としては、アリかと思います。


【原文】

 九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかにさし出でたるに、前栽の露はこぼるばかり濡れかかりたるも、いとをかし。透垣の羅文(らもん)、軒の上などは、かいたる蜘蛛の巣のこぼれ残りたるに雨のかかりたるが、白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。

 少し日たけぬれば、萩などのいと重げなるに、露の落つるに、枝うち動きて、人も手触れぬに、ふと上(かみ)ざまへあがりたるも、いみじうをかしと言ひたることどもの、人の心にはつゆをかしからじと思ふこそ、またをかしけれ。


検:九月ばかり夜一夜降り明かしつる雨の

 

日本の古典をよむ(8) 枕草子

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