枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

七日の日の若菜を

 正月七日の日の若菜を、六日に人が持ってきて騒いで、取っ散らかしたりしてたら、見たこともない草を子どもが取ってきたのを、「これは何て言う草なの?」って聞いたら、すぐには答えないで、「さぁ??」なんて、お互いに顔を見合わせて、「耳無草(みみなぐさ)って言います」って言う子がいたから、「なるほどー、だから聞いても知らない顔をしてたのね」って笑ったら、またとってもかわいい菊が生え始めたのを持ってきたから、

つめどなほ耳無草こそあはれなれあまたしあればきくもありけり
(いくら摘んでもやっぱ耳無草は可哀想なものだよ、たくさんの草花の中には聞く耳を持った“菊”もあっただろうにね)

って言ってやりたいけど、またこんなジョークも子どもたちには分からないでしょうね。


----------訳者の戯言---------

正月七日に若菜を食べるというイベントです。今は七草がゆとか言いますが、あれですね。元々は古代中国のものらしく、七種の若菜を羹(あつもの/熱く煮た吸い物)にして食べると邪気を払い、年中無病でいられるという俗信があって、その辺から由来するもののようです。

もちろん日本でも古くは飛鳥時代からこの風習はあったらしいし、平安時代も続いていたようです。今も似たようなのがあるくらいですから、ずっと続いてるのでしょう。
正月七日には宮中の行事で「白馬の節会」というのがあるんですが、これは公式行事。「七日の日の若菜」はもっと一般に広く行われてたんでしょうね。
この段でもそんな風な書き方がされていますが、「若菜摘み」は、野外での遊楽でもあったようですね。七草というのは今も、せり、なずな、ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、すずな、すずしろ、なんですが、これは昔から変わってないようです。栄養分、薬効もあって、お正月におせち料理で胃に負担のかかったところで、胃を休めたり、栄養のバランスを正すという意味もあるようで、所謂「生活の知恵」的なものとして続いている側面もあるようです。

さて、実際には「ミミナグサ」は「耳無草」ではなくて、「耳菜草」と書くそうで、短い毛の生えた柔らかそうな葉の形をネズミの耳に例えてこう呼んだそうですね。食べられる草、すなわち菜なので「耳菜草」という名前になったようです。で、清少納言がそれを知っていたのか、知らなかったのかはわかりませんが、「耳無草」だったら聞こえないんじゃん! 対して、「聞く」ことができる「菊」!!!どーだっ!って面白話にしようとしたんですね。

ん?そんな話なの? …ま、そんな感じです。
しかし今回の相手は、子ども。掛詞なんて子どもには理解できませんし、オヤジギャグやアメリカンジョークも通じません。ましてや和歌自体興味なしです。HIKAKINやはじめしゃちょーなら子どもにウケるんですけどね、絶対。ま、平安時代なのでYouTubeは無いんですけどね。


【原文】

 七日の日の若菜を、六日人の持て来さわぎ、取り散らしなどするに、見も知らぬ草を子供の取り持て来たるを、「何とかこれをばいふ」と問へば、とみにも言はず、「いさ」など、これかれ見あはせて、「耳無草となむいふ」といふ者のあれば、「むべなりけり。聞かぬ顔なるは」と笑ふに、またいとをかしげなる菊の、生ひ出でたるを持て来たれば、

  つめどなほ耳無草こそあはれなれあまたしあればきくもありけり

と言はまほしけれど、またこれも聞き入るべうもあらず。

 

図説 王朝生活が見えてくる! 枕草子 (青春新書インテリジェンス)

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  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2015/07/02
  • メディア: 新書