二月、官の司に
二月に太政官の庁舎で、定考(こうじょう)っていうことをするようなんだけど、どんなことなのかしら。孔子の肖像画なんかをお掛けしてお祀りするらしいんだけどね。聡明って言って、帝にも中宮さまにも、奇妙な形のものなんかを器に盛って差し上げるの。
----------訳者の戯言---------
「定考」というのは、文字を転倒して「こうじょう」と読むらしいです。「じょうこう」と読むと「上皇」と音がおんなじなので、ひっくり返したっていうんですね。昔の人の考えることはよくわかりませんね。まあ、どっちでもいいんですが。
「定考」は実は8月にあったらしいです。何か昇進する候補者を選んだそうですね。2月にあったのは、候補者を集めて大臣とかが面接みたいなのをした「列見」というもののようです。どっちがどうなのか、よくわからないんですが、清少納言もよくわからないのでしょう。清少納言ともあろう人が、そんなことあるのかと思いますが、この段、なんか怪しいんですよね。
定考について調べてみたんですが、孔子の絵を掛けて祀ったっていうようなことは見当たらないんです。「聡明」というのもどうもよくわからない。奇妙なものを天皇や中宮に差し上げたようですが、よくわかりません。行き詰まりです。
で、ネットで「枕草子 聡明 孔子」と検索したところ、この段のいろいろな現代語訳がありました。さすがgoogle先生。拝見したところ、どうやら「釈奠」という行事の供え物が「聡明」だということらしいです。
「釈奠(せきてん/しゃくてん)」というイベントはたしかにあり、「孔子および儒教における先哲を先師・先聖として祀る儀式のこと」とウィキペディアにありました。当時、2月と8月の上旬の丁(ひのと)の日に、大学寮で孔子やその10人の弟子の肖像を掛けて祭った儀式だそうで、どうも彼女、この2月の「釈奠」もごっちゃになってるようですね。「定考」と「列見」と「釈奠」が混ぜこぜになってます。
で、「聡明」というのは「釈奠」の時に供える鹿や猪の肉・米・餅などのことだという訳や注釈は多いんですが、これについては結局、裏付けがとれませんでした。「孔子の肖像画を掛けて祀る」イベントで「聡明」というものを差し上げる、ということは、実は枕草子にしか書かれてないようなんですね。
なので、はっきりとはしないわけです。ごぞんじの専門家の方がいらっしゃれば、ぜひ教えていただきたいと思っています。お願いします。
結局、わかったようなわからないようなモヤモヤ感のある段ですね。そもそも清少納言が、適当なことを書いているわけで、これで解れと言われても、困りますよ。しっかりしてよー、と言いたいですね。1000年も前の人に今さら言っても仕方ないんですが。
【原文】
二月、官の司に定考(かうぢやう)といふことすなる、何事にかあらむ。孔子(くじ)などかけたてまつりてすることなるべし。聡明とて、上にも宮にも、あやしきもののかたなど、かはらけに盛りてまゐらす。