枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

成信の中将は④ ~さて月の明かきはしも~

 さて、月の明るい時には、過去のことも将来のことまでも、思い残すようなこともなくって、心もさまようくらい素晴らしくてしみじみとするのは、他のこととは比べものが無いくらいだわって思うわね。そんな月の夜に来た人は、十日、二十日、一カ月、もしくは一年でも、まして七、八年経ってからでも思い出して訪れて来たら、すごくいい感じに思えて、とても会えないような場所でも、人目を避けなければならない事情があったとしても、絶対立ったままでも話をして帰し、また泊まっていけそうだったら引き止めたりもするでしょうね。
 月の明るいのを見るぐらい、遥か遠くに思いを馳せて、過ぎてしまった嫌なことも、うれしかったことも、おもしろいって思ったことも、たった今起きたことみたい思えることって他にある? 「狛野(こまの)物語」は、全然面白くもなくって、言葉づかいも古臭くって見どころも多くないんだけど、月に昔のことを思い出して虫の食ってる蝙蝠扇(かわほりおうぎ)を取り出して「もと見しこまに」って言って女の元を訪ねたのがしみじみと趣深いのよね。


----------訳者の戯言---------

月が明るい夜は清少納言的には高評価ですね。
特に月の明るい時に来た男性の評価が異常なほど高いです。7、8年も忘れられてたのに月の明るい日に来ればこれだけ誉められる? さすがに、んなわけないやろうと思うのですが、清少納言はそれでOKのようです。なんかチョロいというか、単純~だと思いました。
ま、彼女が言いたいのは、まじタイミングって大事ですね~ということなのでしょう。


狛野物語(こま野物語)は逸書(かつて存在していたが、現在は伝わらない書物)です。写本が現存していないとのこと。作者もストーリーも不詳です。以前、「物語は」という段でも「古い蝙蝠(かはほり=扇)を探し出して持って行ったのがおもしろい」とは書いてました。よほどその部分が良かったのでしょうね。

そのご無沙汰だった女子を男性が訪れるというシーンで「もと見しこまに」とか言いながら行ったったようですが、元ネタになったのがこの歌↓のようです。詠み人知らずで、「後撰和歌集」に載っています。

夕闇は道も見みえねどふるさとは もと来(こ)し駒に任せてぞ来る
(夕闇で道も見えないんだけど、通い慣れたあなたの家は、以前から来てた馬の歩みに任せて訪れて来たんだよ)

おそらく清少納言は「もと来し駒」を「もと見し駒」と間違えた、ってか勘違いだと思いますが…。
男は、久しぶりだなぁという感じで女の元を訪ねて来たのでしょうか。以前にもよく通ったから安心してやって来たよ、と女に親しみを表現した挨拶のつもりで詠んだのでしょうね。これに対して女性が返したのがこの歌↓です。

駒にこそ任せたりけれあやなくも 心の来ると思ひけるかな
(あなたは馬に任せてたのね、むなしいもんだわね、私を想う気持ちがあるからやって来るんだと思ってたのになぁ」

「あやなし」というのは、ものごとの筋の通らないさま、むなしいさまを言う形容詞です。
久しぶりに来たかと思えば、馬に任せて来たよなどというのは、パッションが無さ過ぎですね。私を想う気持ちから来たんじゃねーの?そんなもんかよ、ガッカリだよ、という返しです。あほらし、というか、ハァ~、というか。


というわけで、雨嫌いの清少納言、転じて月の明るい夜のことを語っています。もはや成信も兵部もすっかりいなくなりました。伏線ではなかったのか?
⑤に続きます。


【原文】

 をかしき事、あはれなる事もなきものを。さて、月の明かきはしも、過ぎにし方、行く末まで、思ひ残さるることなく、心もあくがれ、めでたく、あはれなる事、たぐひなくおぼゆ。それに来たらむ人は、十日、二十日、一月もしは一年(ひととせ)も、まいて七、八年ありて思ひ出でたらむは、いみじうをかしとおぼえて、えあるまじうわりなき所、人目つつむべきやうありとも、必ず立ちながらも、物言ひて帰し、また、泊まるべからむは、とどめなどもしつべし。

 月の明かき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにし事の憂かりしも、うれしかりしも、をかしとおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。こま野の物語は、何ばかりをかしき事もなく、ことばも古めき、見所多からぬも、月に昔を思ひ出でて、虫ばみたる蝙蝠(かはほり)取り出でて、「もと見しこまに」と言ひて尋ねたるが、あはれなるなり。