また、業平の中将のもとに
また、(在原)業平の中将のところに母の皇女(伊都内親王)が「いよいよ見まく(ますます会いたい)」ってお送りになったの、すごくしみじみと素敵だったわ。それを引き開けて見た時の業平の気持ちが、自ずと思いやられるわね。
----------訳者の戯言---------
在原業平の母・伊都(いと/いつ)内親王は桓武天皇の第8皇女(内親王)らしい。伊豆とも表記し、「いず」と読まれることもあるそうです。「伊登」という表記も見られました。毎度のことですが、当て字はありすぎてもはやどれが正しいのか?とかはわかりません。「いつ」の「ひめみこ」などと、和語の読み方もするようですね。
桓武天皇といえば京都に遷都した人で、明治になって東京に遷都するまでの都をここに造ったわけだから、エポックメイキングな存在の人ではあります。
そして。
「いよいよ見まく」というのは、次の歌↓なんですね。
老いぬればさらぬ別れもありといえば いよいよ見まくほしき君かな
(すっかり年をとってしまったから…避けられない死に別れがあるのでますます会いたいあなたなのですよ)
伊勢物語の84段にある在原業平の作と言われているものです。ざっくりとあらすじを書くと、こういう感じです。
昔、一人の男がいました。身分は低いけれど母は皇族でしたよ。母は京都に近い長岡に住んでいたんだけど、男は都で朝廷に仕えてたから、母のところへ頻繁に行く事ができない。男は母にとって一人っ子で、母にはとても可愛がられてたんだけど、十二月ごろになって母から急ぎのことと手紙が届きました。男は驚いて手紙を読んだのです…。
老いぬればさらぬ別れもありといえば いよいよ見まくほしき君かな(すっかり年をとってしまったから…避けられない死に別れがあるのでますます会いたいあなたなのですよ)
これに子(男)が、ひどく泣いて詠んだ歌↓です。
世の中にさらぬ別れのなくもがな 千代もと祈る人の子のため(世の中に死に別れることが無ければいいのになあ、親が千年も長生きしてほしいって神仏に祈る子どものために)
という物語。気弱になった60歳の母親が36歳の子供に会いたくて詠んだ歌だったんですね。
伊勢物語に収められてる有名なお話です。モデルが在原業平だということも一般に知られていたんですね。
清少納言も割とありきたりな感想を述べています。意外性はほぼありませんが、それでいいのでしょうか?
【原文】
また、業平の中将のもとに母の皇女(みこ)の、「いよいよ見まく」とのたまへる、いみじうあはれにをかし。引き開けて見たりけむこそ思ひやらるれ。