枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

うづきのつごもりがたに

 4月の終わり頃に初瀬(長谷寺)に参詣に行く時、淀の渡りっていうのを体験したんだけど、舟に車を担いでしっかり載せて、舟を進めてって。菖蒲や菰(=真菰/マコモ)なんかの先端が水面から短く見えてるのを取らせたら、すごく長かったの。川をその菰を積んだ舟が行き交ってる様子は、すごく雰囲気がいいの。「高瀬の淀に」っていうのは、こういうのを詠んだと見えるわね。
 5月3日の帰りに、雨が少し降ってる時、菖蒲を刈るということで、すごく小さい笠をかぶって、ふくら脛(はぎ)をいっぱいいっぱいに出した男や子どもなんかがいるのも、屏風の絵に似てて、すごく風情があっていいのよね。


----------訳者の戯言---------

今の奈良県桜井市初瀬(はせ)町。長谷寺があります。都から初瀬詣での旅行に行った時のことなんでしょう。

淀というのは、川の流れが滞る、つまりよどんでるという状態、またはそういう川のエリア、部分を言うようです。近畿、特に大阪を流れる淀川の名前の由来にもなっています。今の京都には地名として、「淀」というところがあるんですが、その辺りは当時、桂川賀茂川宇治川、そして木津川が合流するところでもあり、水運の要地だったようですね。

菰=真菰は長さ2mくらいあるらしいです。この真菰を編んだ筵(むしろ)があって、それ自体も「菰」といったりします。害虫駆除のために木に巻いたり、昔の乞食と呼ばれる人がかぶったりしたようですよ。

「高瀬の淀に」というのは、古今集在原業平の歌のようです。

こも枕高瀬の淀に刈る菰のかるともわれは知らで頼まむ
(こも枕の---高瀬の淀で刈りとられる菰みたいに心が離れてしまっても、私はそんなこと知らないで、信じ愛し続けるんだろうな)

こも枕(菰枕)というのは、真菰を束ねて作った枕で、古代では菅枕や木の枕とともに、普通に使われたらしいです。転じて、平安時代以降は、仮寝、旅寝をたとえて言ったようで、特に水辺での宿りに使うことが多かったようです。なるほど、雰囲気あります。
さらに、こもの枕が高いということから、「高」「たか」を含む地名などに掛かるようです。ここでは高瀬に掛かる、と。
そして畳みかけるかのように2コ目の「かる」は同じ読みなんですが、「離(か)る」つまり「心が離れる」という意味が掛かってるようです。なかなかの技巧っぷり、さすが古今集らしい業平らしい和歌ですね。

淀から淀川を少し下って今の守口市高瀬町の辺りが、この「高瀬の淀」なのでしょう。今は京阪の土居という駅のあたりで、高瀬神社というのもあります。現在は川に面しておらず、少し川からは離れていますが当時はここも「淀」だったのでしょうね。先ほど書いた地名としての京都伏見の「淀」と、こういった川の部分的な状態の「淀」の両方があるので、要注意ですね。

旧暦4月の終わりですから、梅雨入りの少し前という感じです。たぶん、気候のいいうちにと、旅行に出かけたのでしょう。その途中で川を渡った時のことが印象深かったと。清少納言、あまり信心深くない方なので、お寺詣りのことはあまり書かずです。ま、私の観光旅行もそんな感じだったりして、他人のことは言えないんですけどね。


【原文】

 四月(うづき)のつごもりがたに、初瀬に詣でて淀の渡りといふものをせしかば、舟に車をかきすゑて行くに、菖蒲・菰(こも)などの末の短かく見えしを取らせたれば、いと長かりけり。菰積みたる舟のありくこそ、いみじうをかしかりしか。「高瀬の淀に」とは、これをよみけるなめりと見えて。三日帰りしに、雨の少し降りしほど、菖蒲刈るとて、笠のいと小さき着つつ、脛いと高き男童などのあるも、屏風の絵に似て、いとをかし。

 

検:うづきのつごもり方に 四月のつごもりがたに 四月のつごもり方に 卯月のつごもりがたに 卯月のつごもり方に

枕草子 ─まんがで読破─

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