枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

小原の殿の御母上とこそは

 小原の殿のお母上って聞いたんだけど、普門っていう寺で法華八講したのを聞いて、次の日に小野殿に人々がたくさん集まって音楽を楽しんだり、詩作をしたんだけど、

薪こることは昨日に尽きにしを いざ斧の柄はここに朽たさむ
(薪を切って仏に供える法華八講は昨日で終わったから、さあこの不要な斧の柄は腐らせてゆっくりしましょう)

ってお詠みになったのは、すごくすばらしいわ。
これなんかは、聞いた話になっちゃったみたいだけどね!


----------訳者の戯言---------

小原の殿(をはらの殿)というのが何のことなのか?は、どうやら不詳らしいです。っていうか、「小原」かどうかも怪しい。
本文転化(写本の転記ミス)によるものでしょうか、「傅(ふ)の殿」という説もあって、これが当たっているとなると、「東宮傅(とうぐうのふ)」のことであって、皇太子の教育官ということになり、そうすると、当時の官職からし藤原道綱になります。その母ですから、有名な「蜻蛉日記」の作者(藤原道綱の母)とぴったり重なります。

というわけですが、とにかくその誰かの母上に関する聞いた話だそうです。
 
普門寺というのは、洛北にあったお寺のようですね。現存はしていません。小野殿というのも、普門寺の近所、洛北にあった誰かの別邸である可能性が高いようです。


法華八講というのは、法華経妙法蓮華経)の八巻を一巻ずつ八座で読誦、講讃する法会です。もう少し具体的に言うと、読師が経題を唱えて講師が経文を講釈し、さらにこれらを聞いた受講者が教義上の質問をして講師がそれに答えたり、偉いお坊さんがその問答を判定したりするものだそうですね。

その中に「薪の行道」というものもありました。これは釈尊が前世で薪を拾い水を汲んで仙人に仕え妙法を授かったという提婆達多品(だいばだったぼん/法華経の中でも功徳の勝れた一章として重視されている)中の逸話を踏まえ、僧と参会者が薪と水桶を背負ったり捧物を捧げ持ったりして法華讃嘆(声明の一種で和語のものらしい)を謡いながら本尊の周りを右回りに巡るもので、視覚的・聴覚的な華やかさも相まって、法会のクライマックスともいうべき盛り上がりを見せたものそうです。


「遊ぶ」というのは、管弦、音楽を奏でて楽しむ感じですかね。詩歌とかも。今ならバンドのセッションをするとか、カラオケ行くとか、そういう感じかもしれません。


ちょっと上手いこと和歌にしましたって話を人づてに聞いたということです。
なんか、素晴らしい歌を詠んだってことになってますが、そんないかしてる歌なのかなぁと思います。


【原文】

 小原の殿の御母上とこそは、普門といふ寺にて八講しける、聞きて、またの日小野殿に、人々いと多く集まりて、遊びし、文作りてけるに、

  薪こることは昨日に尽きにしをいざ斧の柄はここに朽たさむ

とよみ給ひたりけむこそいとめでたけれ。

 ここもとは打聞になりぬるなめり。