枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

節は五月にしく月はなし

 節句は、五月に勝てる月はありません。菖蒲や蓬なんかの香りがするのが、すごく情緒があっていいんですよね。宮中の御殿の上をはじめとして、名も知らない民衆の住み家まで、どうやって(菖蒲を)いっぱい葺こうか!って、葺き渡してあるのは、何といってもやっぱり、とっても素晴らしいの。いつ、他の季節にこんなにまでしたでしょう。他の節句ではありえないよね。

 空の様子は一面に曇ってるんだけど、中宮のいらっしゃる御殿なんかには、縫殿寮から「御薬玉」っていって色々な糸を組んで垂らしたのが献上されて、御帳台を立ててる母屋の柱の左右に付けるの。去年九月九日の、菊を珍妙な生絹の絹に包んで献上されたのを、同じ柱に結び付けて何カ月か経ったワケだけど、それをこの薬玉に取り替えて、菊は棄てちゃうのね。でもこの薬玉は菊の季節までそのままあるかしら。だって、みんなその玉から糸を引き出して、物を結んだりなんかするから、すぐなくなっちゃうからね。

 お料理が中宮様に献上され、若い女房たちが菖蒲の櫛を差し、物忌みの札を付けたりして、様々な唐衣や汗衫とかに、素敵な枝や、菖蒲の長い根にむら濃の組み紐を結び付けたのなんかは、珍しい、なんて言うほどでもないんだけど、すごくいい感じではあるわね。たとえば毎年春に咲くからといって、桜を「まあまあ」だなんて思う人なんている? いないでしょう!

 外を歩き回ってる子どもたちが、分相応にカッコよく決まった!と思って、そのまま満足げに自分の袂(たもと)に見とれて、他の子と見比べたりして、言いようがないくらいステキ!って思ってるのを、ふざけた「小舎人童」なんかに引っ張られて泣くのも、それはそれでなんだかいい感じ。

 紫の紙に楝の花、青い紙に菖蒲の葉を、それぞれ細く巻いて結んだの、また、白い紙を菖蒲の根で結んだのも素敵。すごく長い根を手紙の中に入れたりしたのを見ると、とても華やかな気分にもなりますね。

 返事を書こうって言い合って、仲間同士で手紙を見せ合うのも、すごくいい感じです。誰かのお嬢さま、高貴な方々のところにお手紙をお送りする人も、今日はいつもと違って優雅な感じ。夕暮れの頃、ホトトギスが鳴きながら飛んで行くのも、まったくもって、ハンパなく素晴らしいのですよ!


----------訳者の戯言---------

九重というのは宮中のことだそうです。昔、中国のお城は門を九重に作ったらしく、それで日本では九重(ここのえ)と言ったようですね。
縫殿=縫殿寮。縫殿寮とは中宮の衣服担当部署だそうです。

「薬玉」っていうのは、五月五日(端午の節句)に邪気をはらうために、御帳の柱やカーテンにかけた玉だそうで、麝香(じゃこう)などの香料を錦の袋に入れて、菖蒲とか蓬なんかで飾って、五色の糸を垂らした、らしいです。
九月九日に菊に取り換えられるとのこと。

「御帳」については、「すさまじきもの③ ~よろしうよみたると思ふ歌を~」にも書いていますので、ご参照ください。また、拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」の第百三十八段の解説文に図があります。

「御節供」は、節句に出される料理で、所謂「おせち料理」です。正月だけでなく各節句に出されたのですね。

唐衣。女房装束(十二単)の一番上に着用する、腰までの長さの短い上衣、とのこと。
汗衫(かざみ)は女児の上着だそうです。

むら濃=斑濃or村濃(いずれも読みはムラゴ)。所々に濃いところと薄いところのある染色のことです。

小舎人童(こどねりわらは)とは、「貴人の雑用係の少年。また、特に近衛の中将・少将が召し使った少年」(大辞林)とのことでした。

楝(あふち)というのは栴檀という木の古名。花は薄紫色だそうです。ちなみに「栴檀は双葉より芳し」の「栴檀」は白檀を指すらしく、楝とは違うそうです。先日「木の花は」と言う段にも出てきました。


五月五日が端午の節句というのはみなさんご存じのとおりなんですが、今みたいに「子どもの日」的なものでもなく、男の子のためのものでもありませんでした。
この段にも書かれているとおり、菖蒲の節句、だったんですね。1月1日は新春、3月が桃なら、9月は菊、みたいにそれぞれ季節の区切りになんやかんやのイベントがあったということです。
菖蒲→尚武にかけて、武士の時代(鎌倉時代)以降に男の子の節句とした、というのが実際のところのようですね。

しかし、平安時代はそんなこともなく、他の節句を含めて全部の中でも、5月の節句がいちばんいい感じ。というのが清少納言の主張のようです。旧暦5月は梅雨時であまり気候はよくないですけどね。。

ま、それはいいんですが、「菖蒲の根」ってそんないいものですか? 

白い紙を菖蒲の根で結んだもの、いらん。
手紙の中に菖蒲の長い根が入ってたら、嫌。

以上。


【原文】

 節は 五月にしく月はなし。菖蒲・蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひしらぬ民の住家まで、いかでわがもとにしげく葺かむと葺きわたしたる、なほいとめづらし。いつかは、こと折利にさはしたりし。

 空のけしき、曇りわたりたるに、中宮などには縫殿より御薬玉とて色々の糸を組み下げて参らせたれば、御帳たてたる母屋の柱に、左右につけたり。九月九日の菊をあやしき生絹の絹につつみて参らせたるを、同じ柱に結ひつけて、月頃ある薬玉に解きかへてぞ棄つめる。また、薬玉は菊のをりまであるべきにやあらむ。されど、それはみな糸を引き取りて、もの結ひなどして、しばしもなし。

 御節供参り、若き人々、菖蒲の刺櫛さし、物忌つけなどして、様々の唐衣、汗衫などに、をかしき折枝ども、長き根にむら濃の組してむすびつけたるなど、めづらしう言ふべきことならねど、いとをかし。さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう思ふ人やはある。

 地ありく童べなどの、ほどほどにつけて、いみじきわざしたりと思ひて、常に袂まぼり、人のに比べなど、えも言はずと思ひたるなどを、そばへたる小舎人童などに引きはられて泣くもをかし。

 紫の紙に楝の花、青き紙に菖蒲の葉、細く巻きて結ひ、また、白き紙を、根して引き結ひたるもをかし。いと長き根を文のなかに入れなどしたるを見る心地ども、艶なり。

 返事書かむと言ひあはせ、語らふどちは見せかはしなどするも、いとをかし。人の女、やむごとなきに所々に、御文など聞こえ給ふ人も、今日は心ことにぞなまめかしき。夕暮れのほどに、郭公の名のりしてわたるも、すべていみじき。

 

すらすら読める枕草子

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