枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に⑳ ~参りたれば、はじめ下りける人~

 参上したところ、初めに降りた女房がよく物が見えるだろう端っこに8人ほど座ってたわ。定子さまは一尺(約30cm)あまり、二尺ほどの長押の上にいらっしゃるの。「こちらに私が立ち隠して連れて参りました」って大納言殿が申し上げなさると、「どこに??」って御几帳のこちら側にお出ましになったのね。まだ裳と唐衣をお召しになったままでいらっしゃるの、素晴らしいわ。紅の衣が良くないわけがないじゃない。中に唐綾(からあや)の柳襲の袿、葡萄染(えびぞめ)の五重襲(いつへがさね)の織物に、赤色の唐衣、地摺(じずり)の唐の薄絹に象眼を重ねてある御裳なんかをお召しになって、そのお召し物の色なんかは、全然普通のものとは比べものにならないの。

 「私のこと、どんな風に見えるかしら?」って定子さまがおっしゃって。私は「すごく素敵でいらっしゃいます」なんて、言葉にするとごくごく普通になっちゃう。「長く待ったでしょう? それはね、大夫(藤原道長)が、女院のお供の時に着てみんなに見られたのと同じ下襲(したがさね)のままでいたら人がみっともないって思うかも??って言うもんだから、違う下襲を縫わせていらっしゃって、それで遅くなったのよ。彼、すごくおしゃれなのよね」ってお笑いになるの。すごく明るくて、晴れがましいこういうところでは、いつもよりもう少し際立って素晴らしいのよ。額の髪を上げてる御釵子(さいし)で、分け目の御髪(みぐし)が少し片寄ってくっきり見えてるご様子までも、申し上げようもないくらい素敵だわ。


----------訳者の戯言---------

なんか、中宮さまが着てる物とかをいろいろ描写してますが、いるんですかね、これ。例によって書き連ねている清少納言のファッションチェックがいちいちめんどくさい感じです。
現代風に例えると…ピュアピンクのストールが素敵。ブラウスはイエナのリバティ柄。サンドベージュを基調にしたダブルフェイスのカットソー、バーガンディのテーラードジャケットと、オープンワークのストールが…みたいな書き様ですからね。うんざりします。誰が興味あるねん!っていう感じはしますね。

地摺というのは、生地(きじ)に摺文様を施した布帛のこと。一種のプリント生地と言ってもいいでしょうか。

大夫(だいぶ)というのは、ここでは、中宮職の大夫(長官)であった藤原道長のことを指すようですね。

釵子(さいし)。平安時代、女房のハレの装束で、 髪上げの際に使用したかんざしです。お雛様の頭にも付いてるやつですが、三本ぐらいツノみたいなのが出てる丸い金属板があってそれを「平額」と言い、それに挿して髪に留めたものが釵子のようですね。ヘアピン的な役割をするもののようです。


中宮定子の御前に参上した清少納言。そのお姿にうっとりし過ぎてますが。
㉑に続きます。


【原文】

 参りたれば、はじめ下りける人、物見えぬべき端に八人ばかりゐにけり。一尺余、二尺ばかりの長押の上におはします。「ここに立ち隠して率て参りたり」と申し給へば、「いづら」とて、御几帳のこなたに出でさせ給へり。まだ御裳、唐の御衣奉りながらおはしますぞいみじき。紅の御衣どもよろしからむやは。中に唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重がさねの織物に赤色の唐の御衣、地摺の唐の薄物に、象眼重ねたる御裳など奉りて、ものの色などは、さらになべてのに似るべきやうもなし。

 「我をばいかが見る」と仰せらる。「いみじうなむ候ひつる」なども、言(こと)に出でては世の常にのみこそ。「久しうやありつる。それは大夫(だいぶ)の、院の御供に着て人に見えぬる、同じ下襲ながらあらば、人わろしと思ひなむとて、こと下襲縫はせ給ひけるほどに、おそきなりけり。いと好き給へり」とて笑はせ給ふ。いとあきらかに、晴れたる所は今少しぞけざやかにめでたき。御額あげさせ給へりける御釵子(さいし)に、分け目の御髪のいささか寄りてしるく見えさせ給ふさへぞ、聞こえむ方なき。