枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に⑲ ~おはしまし着きたれば~

 ご到着なさったら、大門のところで高麗楽(こまがく)、唐楽(とうがく)を演奏して、獅子や狛犬が踊り舞い、乱声(らんじょう)の音、鼓の音に、もうどうしたらいいかわからなくなるの。これは生きたまま仏の国にきたんじゃないかしら??って、音は空に響き上がるみたいに思えるわ。

 お寺の中に入ったら、色々な錦の幄(あげばり)に、御簾をすごく青々と掛け渡して屏幔(へいまん)なんかを張り渡してるとか、全部まったくこの世のものとは思えないの。
 定子さまがいらっしゃる桟敷に車を寄せたら、またご兄弟(伊周&隆家)がお立ちになって、「早く降りなさい」っておっしゃるの。乗った所でさえそうだったのに、もはや少し明るくってあからさまだから、整えてた髪も唐衣の中でぼさぼさになって変になってるでしょうね。髪の黒さや赤さまではっきり見分けられるくらいになってるのがすごく困りもので、すぐには降りられないわ。「まず後ろの人から…」なんて言うと、その人も同じ気持ちなのか、「行ってください。もったいないです」なんて言うのね。
 「恥ずかしがっていらっしゃる」って大納言殿(伊周)がお笑いになって、その女房が何とかして降りると、こちらに近寄っていらっしゃって、「『むねたかなんかに見せないで、隠して降ろしなさい』って中宮さまが仰るからこうして来たんだけど、察しが悪いよ」って、私を引き降ろして、定子さまのところに連れて参上なさったの。そんなふうに定子さまがお話しになったんだろうかなって思ったら、すごく畏れ多いわ。


----------訳者の戯言---------

高麗楽(こまがく)というのは、朝鮮から伝来した合奏音楽で、中国から伝来した唐楽に対するものであったようです。「狛楽」とも言ったらしいですね。唐楽(とうがく)は文字どおり唐から来たもので、一般的に雅楽というとこの唐楽のイメージのものなのだそうです。違いは私にはよくわかりません。よく聴いてる人はわかるのでしょうね。清少納言も区別はできたのでしょう。

乱声(らんじょう)の音というのは、雅楽舞楽で用いられる笛の調べの名だそうです。行幸の出御や入御、相撲や競馬などのイベント、集会等々の時に演奏されたものらしいですから、この時にもそういうのがあったんでしょうね。舞人の登場のときなどに太鼓、鉦鼓と合奏するという解説をしているものもありましたから、「鼓の声にも」と続くことから考えると、そいういう賑々しい演奏がされていたと推察できます。

幄(あげばり)。四方に柱を立てて作った屋形にかぶせ、四方を囲う幕、またはそれで作った小屋というか、見た感じ、テントみたいなやつですね。運動会の時とかに校長とかPTAの役員とか、養護教諭とかがいるあのテントみたいな。当時は神事、仏事、朝廷の儀式とかの時に、参列者を入れるため、臨時に庭につくったみたいです。そのテントの布部分が色とりどりの錦だったというんですね

屏幔(へいまん)というのは衝立風の幕。幔幕とも言われるもので、ま、平たく言うと飾りとか目隠しのために張ってる横に長ーい幕です。

「むねたか」について調べたところ、藤原棟世(ふじわらのむねよ)のことではないか?という説がありました。
中宮定子が「むねたか」なる人物に清少納言が見つからないよう気遣っていたということですね。これ、清少納言が宮仕えのため別居中であった棟世の名前をぼかしたものではないかと。確定的な説ではないですが。この供養があった時々登場する前夫の橘則光とはもう別れているはずですから、それもあるのかもしれません。


というわけで、「むねたか」なる者に見つからないように車から降ろして連れて来て!との妹(中宮だが)からの命により伊周が清少納言エスコートして、中宮の御前に連れて行ったという小自慢話??
さて、この後も小自慢が続くのでしょうか?
⑳に続きます。


【原文】

 おはしまし着きたれば、大門(だいもん)のもとに高麗(こま)、唐土(もろこし)の楽して、獅子・狛犬をどり舞ひ、乱声(らんじやう)の音、鼓の声にものもおぼえず。こは、生きての仏の国などに来にけるにやあらむと、空に響きあがるやうにおぼゆ。

 内に入りぬれば、色々の錦のあげばりに、御簾いと青くかけわたし、屏幔(へいまん)ども引きたるなど、すべてすべて、さらにこの世とおぼえず。御桟敷にさし寄せたれば、またこの殿ばら立ち給ひて、「とう下りよ」とのたまふ。乗りつる所だにありつるを、今少しあかう顕証なるに、つくろひ添へたりつる髪も、唐衣の中にてふくだみ、あやしうなりたらむ。色の黒さ赤ささへ見え分かれぬべきほどなるが、いとわびしければ、ふともえ下りず。「まづ、後(しり)なるこそは」などいふほどに、それも同じ心にや、「しぞかせ給へ。かたじけなし」などいふ。「恥ぢ給ふかな」と笑ひて、からうじて下りぬれば、寄りおはして、「『むねたかなどに見せで、隠しておろせ』と、宮の仰せらるれば、来たるに、思ひぐまなく」とて、引きおろして率て参り給ふ。さ、聞こえさせ給ひつらむと思ふも、いとかたじけなし。