枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に⑤ ~君など、いみじく化粧じ給ひて~

 姫君なんかが、ばっちり綺麗にお化粧をなさって紅梅のお着物を誰にも負けまいと着ていらっしゃって、三番目の姫君は御匣殿(みくしげどの)や中(二番目)の姫君よりも大柄な感じがして、奥方とかってでも申し上げた方がよさそうなのよね。
 関白殿(道隆)の奥方もいらっしゃったの。御几帳を引き寄せて、新参の女房にはお姿をお見せにならないから、いい気持ちはしないの。


----------訳者の戯言---------

御匣殿(みくしげどの)というのは、この時は中宮定子の妹君でしたね。定子は長女で、二番目の娘が原子と言い、この段の話の翌年三条天皇東宮時代(居貞親王)の后になりました。「淑景舎、東宮に参り給ふほどのことなど」の淑景舎(しげいしゃ)その人です。

ここで三の御前と出てきたのは三女の頼子で、後に敦道親王の后になった人だそうですね。

この時代は中務省の内蔵寮(くらりょう)という役所で朝廷の金銀、財宝や衣服なんかを倉庫に収納したり管理したそうですが、そこが調進する以外に、天皇の衣服などの裁縫をする所があって、これを「御匣殿」と言ったらしいです。また、この御匣殿の女官の長(別当)のことを御匣殿と呼んだらしいんですね。この時、この四女はまだ子どもです。生年不詳なんですが、大きくても11歳とか12歳とかで、もう少し小さいかもしれません。それで御匣殿の別当なんですから、いくらなんでもどーなのそれ?とは思います。権力者の子弟がいかに出世したかということです。

で、この御匣殿別当が女御(にょうご)や東宮妃などになることもあったのだそうです。定子の妹の御匣殿はこの時はもちろんそうではありませんでした。
ただ、定子が若くして亡くなった後、妹の御匣殿は3人の遺児(甥や姪たち)の母代りとなったそうです。皇子女たちの世話をしているうちに、皇后定子を失った一条天皇の心を捉え、やがて寵を受け懐妊したといいますが、やはり身重の時に亡くなったのだそうですね。

さて、サブい親父がやってきたかと思えば、定子の妹たちもやってきたということですね。ばっちりメイクして、紅梅の衣装で、頑張っておしゃれして。という感じでしょうか。関白の娘たちですからね、当然なのでしょうけれど。
それにしてもこの段は、紅梅の着物やら、紅梅の紙とか、やたら紅梅が出てきます。「すさまじきもの」という段で清少納言も述べていましたが、紅梅の咲く2月頃には紅梅色がいかしてるけど、花が終わった後は「すさまじ(ガッカリ…)」ということになるんですね。逆に言うと、この時季(2月上旬)は紅梅しかないよね!!ぐらいの感じかと思います。

現代だとすると、ちょうど今の時期はハロウィン前ですから、黒とオレンジを使ったり、秋口ですからパープルやスモーキーな色を使いようになります。クリスマスが近くなるとクリスマスカラ―(緑+赤)をアクセントにしたりとかですね。


姉妹の中でも特に三女の妹は貫禄があったのでしょう。今なら中学生ぐらいの年だと思いますが。ぼる塾のあんりみたいなイメージです。奥方のような…ってそれdisってません??

 

母親は母親で御几帳(みきちょう=ついたて)を引き寄せて隠れてしまってますしね。何か気に入らないことでも??


というわけで、なんかいろいろ困った感じの家族でもあります。
⑥に続きます。


【原文】

 君など、いみじく化粧じ給ひて、紅梅の御衣ども、おとらじと着給へるに、三の御前は、御匣殿、中の姫君よりも大きに見え給ひて、上など聞こえむにぞよかめる。

 上もわたり給へり。御几帳引き寄せて、あたらしう参りたる人々には見え給はねば、いぶせき心地す。