枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に⑥ ~さしつどひて~

 寄り集まって、一切経の供養をなさる当日の衣装や扇とかのことを話し合ってる女房もいるの。そして、競争意識があるのを隠して「私は何もしないの。ただ、ある物で間に合わせるかな」なんて言って、「またいつもの、あんたのそれかよ」とかって嫌われてね。
 夜になったら、実家へと退出する人は多いんだけど、こういう準備が必要な時だから、定子さまも引き止めたりはおできにならないのよね。
 奥方は毎日お越しになって、夜もいらっしゃるの。姫君たちもいらっしゃるから、定子さまの御前に仕える人も少なくならなくていいわ。宮中からのお使いは毎日参上するのよ。


----------訳者の戯言---------

ま、ヒマなのでしょうか、供養の日当日の衣装とかの話で盛り上がる女子。しかし、そのイベントが供養であるという事実。供養って法事ですからね、仏事ですよ。お坊さんが来てお経読む日でしょ? そんな日に衣装どうする?って。いいのか。平安時代の女子もそんなものなのか??


扇は日常生活でも儀礼においても、よく使われていたようですね。当時の扇は大きく二種類に分けられていて、冬・春を中心に使われた「冬扇」(檜扇)と、夏・秋を中心に使われた「夏扇」(蝙蝠扇/かわほりおうぎ)があったそうです。主に前者は前者は儀礼用、後者の蝙蝠扇が実用という感じでもあったようですね。冬は扇がないですし。
ま、夏炉冬扇などとも言いますしね。

「檜扇」とは字のとおり薄い檜の板を重ねたもので、「蝙蝠扇」は檜扇の骨を細くして、片側に紙や布を張ったものだそうです。以前、「過ぎにし方恋しきもの」という段で「蝙蝠(かわほり)」というのが出てきましたが、この「蝙蝠扇」のことでしたね。
開くとコウモリが羽を広げた形に似るところから名づけられたようですが、「蝙蝠(かわほり)」だけで扇の別名としても使われていました。今の読みだと、まさにコウモリなんですが、今は傘(蝙蝠傘)のほうを指して言いますね。

扇というのはいろいろな目的に利用されていました。普通に暑さしのぎのために扇ぐ、ファッションとか、先にも書いた儀礼用とか、あるいは顔を隠すため、何かを指したり、人を招いたりするのにも使ったようです。
ここではファッションアイテム、アクセサリー的なものとして扱われているようですね。

ちなみに「蝙蝠傘(こうもりがさ)」というのは、お察しかと思いますが、かなり新しい語です。あの骨の部分が金属のやつ(洋傘)が幕末頃に西洋から入って来た時に、コウモリが羽を広げて飛ぶのに似ているということで、付けられた名前みたいです。


逸れましたが、全然興味ない風に見せてマウント取ってくる系の女子には、「オマエまたいつものそれかよ」とツッコミを入れられてdisられてるのを、きっちり見逃さない清少納言。なかなか辛辣というか、女子同士マウントの取り合いですが、その中あって清少納言はさらに上から見下ろして語るという最強のマウンティング。さすが清少納言です。

そういうわけで、関白殿(道隆)の奥方、姫君たちもずっとこちらのお屋敷にいるようです。
私なら、めんどくさいわと思うところですが、中関白家の人々はそうでもないようですね。
⑦に続きます。


【原文】

 さしつどひて、かの日の装束、扇などのことを言ひあへるもあり。また、挑み隠して、「まろは、何か。ただあらむにまかせてを」などいひて、「例の、君の」など、にくまる。夜さりまかづる人多かれど、かかるをりのことなれば、えとどめさせ給はず。

 上、日々にわたり給ひ、夜もおはします。君達などおはすれば、御前、人ずくなならでよし。御使日々に参る。