枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

すさまじきもの①

 がっかりで、引いちゃう感じのモノ。昼吠える犬。春の網代。3~4月の紅梅色の着物。牛が死んじゃった牛飼い。赤ちゃんが亡くなった産屋。火を起こさない炭櫃(火鉢)や地火炉(いろり)。博士の家に続けて女の子が授かるの。方違えに行った先でもてなしがなかった時。ましてや、節分なんかだったらなおさら、がっかり感ハンパないです。

 地方から送られてきた手紙に、贈答品が付いてないの。京の都からのもそうは思うけど、でも、京都からの場合は聞きたいことを書き集めて、世の中の情報なんかを知ることができるから、それはすごくいいのね。

 人のところに、スペシャルにきれいに書いて送った手紙の返事を、すぐに持ってくるかな、あやしいくらい遅いなぁ、なんて待ってたら、その手紙を――立て文でも、結び文でも――とっても乱雑に扱って、紙がぼさぼさになってて、上に引いた墨なんかも消えちゃってて、「いらっしゃいませんでした」とか、「御物忌で受け取ってもらえませんでした」って言って持ち帰ってくるのは、ホントにめちゃくちゃガッカリなんだよねー。

 また、必ず来るはずの人の家に車をやって待ってたら、帰ってくる音がするもんだから、「…だよね!」ってみんな出てって見たら、車宿りにそのまま引き入れて、轅(ながえ)をぽんとうち下ろすので、「どうしたの?」って聞いたら、「今日は他の所へいらっしゃるっていうことで、来られません」なんて言って、牛を全部引いて行っちゃうの。

 それと、自分ちのお婿さんが来なくなったのも、とってもガッカリ。それ相応の身分の、宮仕えをするような女性にお婿さんを横取りされて、恥ずかしいと思っている妻の様子もすごくつまんない。

 子供の乳母が、ほんのちょっとだけ、って出かけて行っている間、子供をいろいろなだめてたんだけど、「早く戻ってきて」って言いにやったら、「今夜は参上できません」って返事をしてきたのは、がっかりするだけじゃなくって、まじ、ムカついてどうしようもないことだわ。女子を迎える男の人だったら、まして、どうなることでしょう!? 人を待ってて、夜も少し更けたころ、静かに門を叩く音がして、ちょっとドキドキしながら、人を出して応対してもらったら、全然待ってた人じゃない、どうでもいい人が名乗って来たのも、どう考えてもガッカリ、って言うのさえくだらないわね。


----------訳者の戯言---------

網代あじろ)」っていうのは冬の間に川に入れて魚を獲る仕掛け、だそうです。竹や木で編んだものとのこと。春になってもまだこれが残ってるのはなんかイケてないというか、さぶいよな、と。

紅梅の衣というのは、文字通り、紅梅の色の服ということでしょう。やっぱり当時も季節に合わせた色のものを着るのがお洒落だったようで、2月の紅梅が咲く「まで」に紅梅色は着ておきたいと。花が終わった後はやっぱり「いけてねー」となるんでしょうね。クリスマスが終わった後にクリスマスカラ―(緑+赤)を着ていたら、ちょっと…と思いますしね。トリコロールのマリン系の服を秋口に着るとか、ハロウィンの後に黒とオレンジでコーディネートしてしまうなど、重大なミスを犯しちゃう、そういう感じでしょうか。

牛が死んでしまったり、赤ちゃんが死んでしまうというのは、それは当然、がっかりこの上ありません。しかし、ここであえて書くようなことですか? 当たり前でしょ! なんか新しい発見ですか? 違うよね。もちろん、深く考えずに何気に書いたんだと思いますよ。けど、私、そのセンスにちょっとびっくりしました。平安時代の古典文学ということで、称えられてるところありますが、こんなレベルのエッセイにそれほど感心しててはいけない、と私は思います。

そういう意味では、火を起こさない炭櫃(火鉢)や地火炉(いろり)も、まあ当たり前です。新鮮味は皆無です。

博士というのは、官職の一つで、「学生」に学問・技術を教授し、研究に従事した人たちのこと、だそうです。今で言うと大学の教授とか講師とかでしょうか。「大学寮」に明経、紀伝(のちに文章)、明法、算、書などがあったそうです。他に陰陽寮に陰陽、暦、天文、漏刻、典薬寮に医、針、按摩などの博士があった、とありました。

当時は世襲制だったようで、博士が続けて女子を続けて授かった時というのは、がっかりもしたんでしょうか。しかし、牛が死んだり、死産に比べれば、どうってことないですよ。むしろおめでたいことでしょう。なのに何の疑いもなくこういうことを、そのまんま書いている時点で、清少納言、大したことないです。むしろそこに矛盾を感じてくれていれば評価もできるんですが。

方違えというのは「かたたがえ」っていうそうで、目的地の方角の縁起が良くない時に、前の日に別方角へまず出向いて一泊してから目的地へ行く行き方なんですが、そこでおもてなしがなかったらガッカリっていうのも、なんだかなーと思います。かなり図々しいんですが、そこに気づいていない。この人、もしかして鈍感なんでしょうか?
という風なことを書くと、当時の貴族の生活についての知識とか、ものごとの考え方にたいする理解不足云々を言われる方もいらっしゃるんですが、実は人の根底にある思いやりなどというのは、そうそう変わるものでもなく、やはり考えの浅さは否めないと思いますよ。

轅(ながえ)というのは、牛車の前に長く突き出ている柄の部分のことです。拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」の第四十四段に図がありますのでご参照ください。

後半部分。

まず、地方蔑視ですね。都からの手紙は手紙だけでいいけど、地方からはロクな情報も無いんだから手紙だけじゃなく物も付けて寄こせ、ってちょっと横柄じゃないですか?

その後は、主に彼氏とか彼女とかが来てくれないとか、思ってたのと違う来客で感じる、ガッカリ感ですね。まあ、気持ちはわかるけど、それほど高級な「ガッカリ感」ではないですね。

「すさまじきもの」として書きはじめた段なんですから、もうちょっと「ガッカリ」について深く言及してほしいですね。この段、まだ続きますから、この後に期待しましょう。


【原文】

 すさまじきもの 昼吠ゆる犬。春の網代。三四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。乳児亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地下炉。博士のうちつづき女児生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などは、いとすさまじ。

 人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをもさこそ思ふらめ、されど、それはゆかしきことどもをも書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。

 人のもとにわざときよげに書きてやりつる文の、返りごと今はもて来ぬらむかし、あやしう遅きと待つほどに、ありつる文、立文(たてぶみ)をも結びたるをも、いときたなげにとりなしふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは「御物忌みとて取り入れず」と言ひてもて帰りたる、いとわびしくすさまじ。

 また、必ず来べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、さななりと人々出でて見るに、車宿りにさらに引き入れて、轅(ながえ)ぼうとうちおろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日はほかへおはしますとて、渡り給はず」などうち言ひて、牛の限り引き出でて往ぬる。

 また、家の内なる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、恥づかしと思ひゐたるほど、いとあいなし。乳児の乳母の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「とく来」と言ひやりたるに、「今宵はえ参るまじ」とて返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に、夜少しふけて、忍びやかに門たたけば、胸少しつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、かへすがへすすさまじと言ふはおろかなり。

 

すらすら読める枕草子

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