枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

すさまじきもの② ~験者の物の怪調ずとて~

 験者が物の怪(もののけ)をコントロールしようと、すごく自信満々の顔で、(「よりまし」に)独鈷(とこ/とっこ/どっこ)や数珠などを持たせて、蝉みたいな声をしぼり出して読経するんだけど、全然それらしい(もののけを憑依させたような)感じもなくて、護法の童子も憑かないもんだから、集まって念じてた男も女も「これはなんだか怪しいなー」と思ってたんだけど、時刻が変わるまで読経して疲れちゃって、「これ以上やっても憑かない…。立ちなさい」と(よりましに)言って、数珠も取り返して、「あぁ、全然効き目がないなぁ」って、額から髪をかき上げて、一人あくびをして、何かに寄りかかって寝ちゃうの。(これ、ガッカリだよね)

 あと、めっちゃ眠たいなー、って思ってるとき、全然特別にも思ってない人が、無理に揺り起こして、どーこー言ってくるのは、めちゃくちゃヤな感じ!

 除目に官職を得られなかった人の家。(もアテ外れ感満載よね!)今年は必ず任命されるだろうって聞いて、昔その家に仕えてて今は別々になった者たちや、田舎に住んでる者たちなんかも、みんな集まってきて、お屋敷に出入りする車の轅も絶え間なく見えて、主が社寺に参詣するお供に、私も私もって参上して。食事して、お酒を飲んで、大騒ぎするんだけど、除目の終わる未明まで門を叩く音もなくって。で、おかしいなって、耳をすまして聞くと、先追いの声なんかもして、上達部のみなさま方が全員出られたのね。
 で、情報を持って帰ろうと昨日の晩から行って、寒くて震えてた下男が、すごーく憂鬱な感じで歩いて来るもんだから、それを見た者は聞くことさえできないの。(現に仕えてるのじゃなくって)他から来た者なんかはね、「殿は何におなりになったのです?」なんて聞いてくるもんだから、その返答は「○○の前の国司でしたね」とかって必ず答えるのよ。ホントにアテにしてた者にとってみると、すごく嘆かわしいと思うよ。早朝になって、ずっといた者たちも、一人、二人、と、滑り出すみたいに帰って行くの。昔からいて、そうやって離れてくこともできない人たちが、来年の候補の国々を指折り数えたりしながら体を揺らして歩いてるのもめちゃくちゃみじめで、ガッカリ感ハンパなしですよ。


----------訳者の戯言---------

「験者」というのは修験道と言って、日本古来の山岳信仰、仏教の密教道教などが結びついてできた宗教の一種、ということなんですが、その行者のことなんですね。

「よりまし」というのは、ここで出てきた修験者なんかが祈祷や物の怪を調伏(コントロールして、制圧)するとき、神霊や物の怪を一旦憑依させる者、だそうです。子供や人形だったようですね。具合の悪くなった人からこの「よりまし」に物の怪、霊をまず移し憑りつかせてから、退散させたんだとか。

独鈷っていうのは、「鉄製または銅製で、両端がとがった短い棒状のもの」と、コトバンクにありました。「密教で用いる法具、金剛杵(こんごうしょ)の一種」なのだそうです。元々は古代インドの武器だそうで、後に密教で外道悪魔を破砕し煩悩を打ち破る象徴として用いるようになった、とか。ナルホド。

原文にある「護法」というのは、「護法の童子/護法童子」のことだそうです。護法童子というのは鬼神の一つで、一旦もののけが憑りついたよりましに、さらに憑依し、もののけを退散させる、という存在のようです。これでめでたく、もののけがいなくなる、つまり病気なんかが治る、っていうのが、あるべき形なんでしょうね。

除目というのは、前に「正月一日は」でも出てきました。宮仕えの公務員の叙位、つまり昇進、人事異動、採用なんかの発表ですね。

轅(ながえ)はこの記事のすぐ前の記事「すさまじきもの①」にも出てきました。牛車の引手の部分、牛を繋ぐ柄と言ってわかりますでしょうか。拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」の第四十四段に図があります。

暁(あかつき)っていうのは、現代でも使いますけど、未明のことですね。除目っていうのはまあ、式典みたいなものなんでしょうけど、そんな時刻までやっていたんですね。ほぼ夜通しっていうことでしょうか。

昔の言葉にはいろいろあって、枕草子の冒頭「春はあけぼの」でも出てきましたが「あけぼの」や「つとめて」なんかも早朝を表します。そのほかにも朝を表現するのに、「しののめ」「あさぼらけ」「ありあけ」「あした」等々があるようですが、それぞれ微妙にニュアンスが違うようですね。

「先追いの声がして」というようなことが書かれてますが、当時は先払い、先追い、あるいは警蹕などといって、まあまあのポジションの人(お偉いさん方)が道を通ったりする時に、スタッフが声を上げて、道を空けるために人払いをしたらしいですね。

まさに、この出てきた偉い人たちっていうのが「上達部」で、これまでにも何回か出てきました。摂政・関白・太政大臣左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議、および三位以上の人の総称、となります。所謂「公卿」、宮中の幹部貴族と言ってもいいかもしれません。

で、この段のポイント。
空気の読めない人が「殿は何におなりになったのです?」とか聞いてきた時、どう答えたかというトコですね。まず、聞く方も聞く方です。さすがに勘が悪すぎますよ。むしろ、意地悪、嫌がらせとも言えるかもしれませんね。今でいう一種のハラスメントです。
なもんだから、仕方なく「○○国の前の国司でしたが、何か?」と、しれっと答えます。もちろん心の中は「しれっと」でもないんでしょうけどね。困惑、動揺、聞いてきた者に対するちょっとした苛立ち、怒り、なんかが複雑に入り混じった感じでしょうか。
とは言え、答えに困って前の官職を言うのも見苦しいというか、どうかとは思います。「今回はだめでした」って正直に言った方が、精神衛生上格段にいいのは言うまでもありません。無理は禁物ですね。


【原文】

 験者の物の怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠など持たせ、蝉の声しぼり出だして読みゐたれど、いささか去りげもなく、護法もつかねば、集まりゐ念じたるに、男も女もあやしと思ふに、時のかはるまで読み困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験なしや」とうち言ひて、額より上ざまにさくりあげ、あくびおのれうちして、寄り臥しぬる。

 いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、おし起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。

 除目に司得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者など、皆集まり来て出で入る車の轅もひまなく見え、物詣でする供に、我も我もと参りつかうまつり、物食ひ、酒飲み、ののしりあへるに、果つる暁まで門叩く音もせず。あやしうなど、耳立てて聞けば、前駆(さき)追ふ声々などして上達部など皆出で給ひぬ。もの聞きに宵より寒がりわななきをりける下衆男、いともの憂げに歩み来るを、見る者どもはえ問ひにだに問はず、ほかより来たる者などぞ、「殿は何にかならせ給ひたる」など問ふに、答へには、「某の前司にこそは」などぞ必ず答ふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなく居りつる者ども、一人二人すべり出でて往ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとほしうすさまじげなり。


検:すさまじきもの