枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

すさまじきもの③ ~よろしうよみたると思ふ歌を~

 上手く詠めたと思う歌を人に贈ったのに、返歌が来ないの(は興ざめだわね)。恋愛中の人だったらどうなのかなー、でも季節をうまいこと詠んだ歌を返さないってのはやっぱ幻滅、減点対象だよね。それから…、忙しくって賑わってる人のところに、もう旬を過ぎちゃった、過去の人が、自分がヒマで何にもすることがないからって、昔っぽい感じのどうってことない和歌を詠んで送ってくるのもげんなりしちゃうよね。

 ここぞという時に使う扇をイケてる感じにと思って、センスある!って思ってる人にオーダーしたんだけど、その日になって、ンなわけないだろー的デザインで出来あがってるのも。(ガッカリだわ…)

 出産祝いや旅に出るときのお餞別を持ってきたお使いの人に心付け(チップ)をあげないの(もザンネン)。大したことない薬玉、卯槌(うづち)なんかを持って配って歩く者たちにも、やっぱり必ず渡すべきね。思ってもなかったのにご褒美をもらったら、すごく甲斐があったと思うでしょうから。(逆に)今回は必ずチップをもらえるお使いだと思って、ワクワク気分で行った時…、(…そうじゃなかったら)めっちゃガッカリするでしょうね。

 婿取りをして四、五年経っても子どもができない家も、すごく寒々しい感じだよね。

 成人した子どもがたくさんいて、下手すりゃ、孫なんかも這い這いしててもおかしくない親たちが昼寝してるの(も見苦しいよね)。そばにいる子どもの気持ちからしたら、親が昼寝してるなんていうのは、頼りにならなくってホントがっかりでしょ。

 師走のつごもりの夜、一度寝てから、起き出してすぐ入浴するっていうのには、怒りさえ感じますわね。(同じく)大晦日の長雨。(も残念!)「一日だけの精進潔斎」って言うんかなー!?(あと一日ぐらい辛抱してくれればよかったのに!)


----------訳者の戯言---------

というわけで、この段は「すさまじきものあるある」でした。

教科書的表現にすると「枕草子」は「をかし」の文学なんだけれども、この段については「すさまじき」モノ、すなわち「反・をかし」にスポットを当てていると。

で、そもそも「すさまじい」という形容詞ですが、もちろん、現代とは違います。今はダイレクトに「凄まじい」ですからね!何せ。恐ろしいとか、ものすごい、激しい、という感じですから、今は。

しかし語源から言うと、「すさまじい」は「荒(すさ)む」「荒(すさ)んでいる」といったあたりから来てるらしいですね。

この段では、語源から近いのか遠いのかようわかりませんが、「粗野」「寒々としている」「冷え冷えとしている」さらには、「面白くない」「つまらない」「興ざめな」「がっかりな」といった意味合いで使われています。私が先に読んだ「徒然草」にも、「すさまじ」という言葉は何回か出てきましたが、やはり「寒々しい」「粗末な」風情「殺風景」「つまらない」という意味で使われていたように思います。
もしお読みいただけるなら、恐縮なんですが、拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」サイト内で「すさまじ」を検索してください。

で、おそらくですが、「つまんない!寒い!」っていう形容が→「全然ダメダメ!ひどい!」あたりの意味合いに転じて、さらに今の「凄まじい」に至ったんだろうと勝手に思っています私。

さて。
薬玉(くすだま)っていうのは、五月五日(端午の節句)に邪気をはらうために、御帳の柱やカーテンにかけた玉だそうです。麝香(じゃこう)などの香料を錦の袋に入れて、菖蒲とか蓬なんかで飾って、五色の糸を垂らした、らしいですね。なかなか凝ってます。ここで出てきたのは、それの大したことないやつ、ってことでしょうか。

で、その玉を掛けた「御帳」ですが、ま、高貴な方のお屋敷なんかで、主(あるじ)なんかが主に居る場所のようですね。「御帳台」とか「御帳の間」などとも、言うらしいです。
中に台があって、そこに寝転んだり、座ったりしてるそうですから、リビングのソファみたいなもん。で、帳っていうカーテンが四方に垂らされてるのです。拙ブログ「徒然草を現代語訳したり考えたりしてみる」の第百三十八段の解説文のところに図がありますから、ぜひご覧ください。

卯槌(うづち)は、コトバンクによると「平安時代、正月初の卯の日に中務省の糸所(いとどころ)から邪気払いとして朝廷に奉った槌。桃の木を長さ3寸(約9センチ)、幅1寸四方の直方体に切ったもので、縦に穴をあけ、5色の飾り糸を5尺(約1.5メートル)ばかり垂らし、室内にかけた」というものらしいです。
薬玉もそうなんですが、平安時代なんかは、こういうのを邪気払いのために、部屋のところどころに掛けてたというわけですかね。

つごもり。これは高校の古典の授業とかでもよく出てきたやつですね。月が籠るから、「つごもり」でしたっけ。陰暦では、月の終わり、つまり月末に朔=新月となるわけで、これを晦(つごもり)だと。晦日も同意です。師走の晦日は、ごぞんじのとおり大晦日ですね。

で、その大晦日の「寝起きてあぶる湯」は腹立つわーって話です。
晦日というのは除夜の鐘を撞いて煩悩を消し去ることからもわかるとおり、禁欲を良しとするわけで。にも関わらず、一旦寝て、入浴しなければならないような行為に及んだので怒!と解釈する説が有力なんだそうです。なるほど。

「精進潔斎」っていうのは、肉食を断ち、行いを慎んで身を清めること。だそうです。
で、「一日だけの精進潔斎」っていうのは、「後一日だけだった精進潔斎」→「後一日なのに精進を我慢できなかった」という意味のようで、どうやら当時の諺(ことわざ)らしいですね。「あとちょっとだったのに、やっちまったよー」という残念感をあらわすのだろうと思います、たぶん。合掌。


【原文】

 よろしうよみたると思ふ歌を人のもとにやりたるに、返しせぬ。懸想人はいかがせむ、それだに折をかしうなどある返事せぬは心劣りす。また、さわがしう時めきたる所に、うちふるめきたる人の、おのれがつれづれと暇(いとま)おほかるならひに、昔おぼえてことなることなき歌よみておこせたる。

 物のをりの扇いみじと思ひて、心ありと知りたる人に取らせたるに、その日になりて、思はずなる絵などかきて得たる。

 産養、むまのはなむけなどの使に、禄取らせぬ。はかなき薬玉、卯槌など持てありく者などにも、なほ必ず取らすべし。思ひがけぬことに得たるをば、いとかひありと思ふべし。これは必ずさるべき使と思ひ、心ときめきして行きたるは、ことにすさまじきぞかし。

 婿取りして四五年まで産屋のさわぎせぬ所も、いとすさまじ。大人なる子どもあまた、ようせずは、孫などもはひありきぬべき人の親どち昼寝したる。かたはらなる子どもの心地にも、親の昼寝したるほどは、より所なくすさまじうぞあるかし。

 師走のつごもりの夜、寝起きてあぶる湯は、はらだたしうさへぞおぼゆる。師走のつごもりの長雨。「一日ばかりの精進潔斎」とやいふらむ。


検:すさまじきもの

 

 

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