枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

あはれなるもの

 しみじみとするもの。父母を敬い、父母に仕える人の子。で、身分の高い若い男子が御嶽精進してるの。部屋を隔てて、未明に礼拝しているのには、とてもしんみり感じ入ってしまうわ。親しい女性なんかが、目を覚ましてそれを聞いてるんだろうな、って想像しちゃうわね。参詣する時ってどうなっちゃうんだろ?なんて、怖がって物忌みしてたのに、無事参詣できたのはとっても素晴らしいことだわ。烏帽子の様子なんかは、少しみっともないけどね。でもそれはそう、高貴な人だって、めちゃくちゃみすぼらしい恰好で参詣するってわかってるから。

 でも右衛門府の佐(すけ)の(藤原)宣孝(のぶたか)っていう人は、「つまんないことだね。ただ清潔なだけの衣を着てお参りしさえすれば、何かいいことがあるとでもいうんだろうかね? まさか『粗末な身なりで参詣せよ』なんて、御嶽山蔵王権現はおっしゃらないだろうし」って、3月の末に紫のとっても濃い指貫、白い狩衣、山吹色のすごく派手派手しい袿(うちき)を着て、息子の主殿司の亮(すけ)、(藤原)隆光には青色の狩衣、紅色の袿、まだら模様に摺り染めにした水干の袴を着せて、連れ立って参詣したのね。でもお参りから帰る人も今から行く人も、それってめずらしくて変なコトだから、昔からこの山にこんな恰好の人は一切見たことないって、驚き呆れたんだけど、4月1日に帰って、6月10日頃に筑前守が辞めた代わりに就任したのは、ホント言われてるとおりになったって、評判になったのよね。これは「あはれなること」ではないけど、御嶽ネタのついでに書きました。

 男でも女でも、若くてこざっぱりとした綺麗な人が、とても黒い喪服を着てるのは、しみじみ物悲しい感じなの。

 9月の末、10月1日の頃、ただあるか無いかくらいに聴くことのできたコオロギの鳴き声が切なくていいの。鶏が卵を抱いて寝てるのもね。秋深い庭の浅茅(あさじ)に、露が色とりどりの玉のように付いてるのも。夕暮れや夜明け前に、河竹が風に吹かれてるのを、目を覚まして聞くの。また夜なんかもいつもね。山里の雪ももの悲しくも感動的。想い合ってる若い人同志の仲が、邪魔する者があって、思い通りにならないのも。


----------訳者の戯言---------

御嶽精進(みたけそうじ)というのは、吉野の金峰山(きんぷせん)に参詣しようとする者が、参詣に先立つ前行として50日から100日の間、写経などをすることだそうです。精進潔斎、つまり、物忌みの禁欲生活を実施して、参詣の資格を得る、というものだったのですね。

暁(あかつき)とは、未明のこと。まだ暗い夜明け前の朝です。

右衛門というのは、「右衛門府」のこと。「佐(すけ)」は次官のことでしたね。
藤原宣孝のぶたか)というのは、書かれているとおり、当時の右衛門府の次官だったようですが、紫式部の夫として有名なんだそうです。

原文に「白き襖(あを)」と出てきますが、「襖」は「指貫」とペアとなるものとして「狩衣」と訳するのが妥当と考えられます。

「主殿の亮(すけ)」は、宮中の雑務全般を司った役所「主殿司」の次官です。(藤原)隆光というのは、どうやら宣孝の子どもだったようですね。

「水干」というのは、元々狩衣と同様にカジュアルなトップスだったそうです。狩衣よりもさらにカジュアルだったらしい。そもそも庶民の日常着だったようですが、次第に貴族へも浸透して、高級なものもできていったらしいですね。「水干」は、元々は素材の名で、水に晒した後に天日干しをし、水分を吸いやすく加工した麻布のことだったそうです。つまりその製法によってネーミングされたものと言えるでしょう。上衣の水干に対して、同じ素材で作った水干袴(小袴)というボトムスもあったようです。ここで、息子の隆光クンが着せられたのは、青色の襖(=狩衣)、紅の衣(袿)と書かれてますから、残るはボトムス(袴)で、それが「すりもどろかしたる=まだら模様に摺り染めにした」とありますから、プリント柄の水干袴だった、ということになると思われます。

このように、狩衣しかり、水干しかり、服装はカジュアルな方向に進行するもの、というか、カジュアルなものが普通に公に着られるようになったようです。
さて、かつてはお堅いとされていた銀行でも、最近になって服装の自由化が実施されているようですね。しかし、かえって使命感、義務感、責任感に苛まれたおじさんが着慣れないTシャツとカジュアルスタイルのパンツで出勤してしまい、若者たちに陰で失笑を買っているという始末、悲惨な事態にもなってしまいました。これは若い人も同様で、女子は女子で地味にマウンティング。服装にさほどこだわらない人にとっては面倒臭いことでしかありません。カジュアル化のドラスティックな進行はいかがなものかと思う所以です。これは現代の「あはれなるもの」ですね。

藤原宣孝の御嶽詣については、今まで誰も見たことないようなやたら派手な恰好でお参りしたんだけど、帰ってきてしばらくしたら、筑前守になれました、と。どうやら当時、御嶽詣は現世利益があると言われていたようで、宣孝のケースはそれがうまく実ったということのようですね。

「きりぎりす」は現代の「コオロギ」です。ややこしいですが。「虫は」の段に、虫の名前、その他いろいろ書いていますので、ご参照ください。

浅茅(あさじ)というのは「ちがや(茅)」の背丈の短いもの、特にまばらに生えてるものを言うそうです。
茅=ちがやは、ススキにも似ていますが、高さはススキほどはなく、半分くらいの30cm~50cmほど。穂はススキよりはふわふわした感じです。雑草として結構生えているので見たことのある人も多いと思いますよ。

「河竹」というのは、いろいろな解釈があります。川のそばに生える竹、真竹の古名、清涼殿の東庭の御溝水(みかわみず)の側に植えてある竹、女竹(雌竹/めだけ)etc. どれのことを書いているのかはちょっとわからないです。どれもありそうな感じですね。

さて、「あはれ」です。そもそも「もののあはれ」を代表する文学というと「源氏物語」ですね。
「しみじみとした感動・情趣」などとも言われたりるんですが、どういった感覚、感情、心持ちなのか、言い表すのがなかなか難しいですね。私自身、完璧に理解できているかというと、怪しいものです。寂寥感、もの悲しさ、切なさを表したりもしてるようにも思いますしね。いずれもポジティブ感のない感動、しかしだからといって、風情が感じられるというのですから、悪い印象でもありません。

カワイソだけど素敵。悲しいけど風情がある。切ないけどしみじみ感動。日本的と言えば日本的なのでしょうか。


【原文】

 あはれなるもの 孝ある人の子。よき男の若きが、御嶽(みたけ)精進したる。たてへだてゐて、うちおこなひたる暁の額(ぬか)いみじうあはれなり。むつまじき人などの、目さまして聞くらむ、思ひやる。詣づる程のありさま、いかならむなど、つつしみおぢたるに、たひらかに詣で着きたるこそいとめでたけれ。烏帽子のさまなどぞ、少し人[の]わろき。なほいみじき人と聞こゆれど、こよなくやつれてこそ詣づと知りたれ。

 右衛門の佐(すけ)宣孝(のぶたか)と言ひたる人は、「あぢきなき事なり。ただ清き衣を着て詣でむに、なでふ事かあらむ。必ずよも『あやしうて詣でよ』と、御嶽さらにのたまはじ」とて、三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖(あを)、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が主殿の亮(すけ)なるには、青色の襖、紅の衣、すりもどろかしたる水干といふ袴を着せて、うちつづき詣でたりけるを、帰る人も今詣づるもめづらしうあやしき事に、すべてむかしよりこの山にかかる姿の人見えざりつとあさましがりしを、四月一日に帰りて、六月十日の程に、筑前の守の辞せしになりたりしこそ、げに言ひにけるにたがはずもときこえしか。これはあはれなる事にはあらねど、御嶽のついでなり。

 男も女も、若く清げなるが、いと黒き衣着たるこそあはれなれ。

 九月つごもり、十月一日の程に、ただあるかなきかに聞きつけたるきりぎりすの声。鶏の、子いだきてふしたる。秋深き庭の浅茅に、露の、色々の玉のやうにておきたる。夕暮れ暁に、河竹の風に吹かれたる、目さまして聞きたる。また、夜などもすべて。山里の雪。思ひかはしたる若き人の中の、せくかたありて、心にもまかせぬ。