枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

行幸にならぶものは何にかはあらむ

 行幸に匹敵するものって何があるっていうワケ? 御輿にお乗りになるのを拝見したら、普段御前にお仕え申し上げてるとは思われず、神々しくて、気品があって、すごく素晴らしくて、いつもなら何とも思わないナントカ司や、姫もうちぎみでさえ、高貴で珍しい存在に思えるわ。御綱(みつな)の次官(すけ)の中将や少将は、すごく素敵なの!
 近衛の大将は、ほかの誰よりも特別に立派だわ。近衛府の人々はやっぱりとてもいい感じなのよ。

 五月の行幸は、この世で見たことがないくらい優雅だったらしいわ。だけど、今ではすっかり無くなっちゃったみたいだから、すごく残念。昔話に人が話すのを聞いていろいろ想像するんだけど、実際はどうだったんでしょ? ただその日は菖蒲(しょうぶ)を葺いて、いつもの様子であっても素晴らしいのに、会場の武徳殿の様子は、あちこちの桟敷に菖蒲を葺きわたして、参列の人はみんな菖蒲鬘(かづら)をさして、あやめの女蔵人からルックスのいい人だけを選び出され、薬玉をお与えになったら、頂いた人は拝舞して腰につけたりしたのは、どんなに素晴らしかったでしょう??

 「夷の家移り」で艾(よもぎ)の矢とかを射たのは、おマヌケだけどおもしろくも思えるわね。お帰りになる御輿の先に、獅子や狛犬に扮した舞人が舞って。ああ、そんなこともあるのかしら? ほととぎすが鳴いて、季節からして、比べるものなんてない素晴らしさだったことでしょう!

 行幸は素晴らしいものだけど、若君たちの車なんかが、感じよく、あふれるほど乗せて、都を北や南に走らせたりするのがないのは残念。そんな感じの車が、他の車を押し分けて車をとめるのは、(どんな人が乗ってるのかしら?って)心がときめくものなんだけどね!


----------訳者の戯言---------

姫まうち君。「姫もうちぎみ」です。それ何?と思いますが、「姫大夫(ひめもうちぎみ)」と書きます。「東豎子(あずまわらわ/東嬬)」という下級女官のことなんだそうですね。帝の行幸の際には、この東豎子2名が男性官人の服装をして参列してたらしいです。このため「男装の女官」とも言われるとか。
以前、「えせものの所得る折」という段でも書いていますので、ぜひお読みください。

御綱の助(御綱の次官/みつなのすけ)というのは、行幸のとき、鳳輦 (ほうれん) の綱を持つ役。鳳輦というのは、屋形の上に金銅の鳳凰 (ほうおう) を飾った輿(こし)です。多くの場合、近衛府の中将や少将が当たったらしいですね。


五月の節句には菖蒲を屋根に葺いたらしいです。時々、五月=端午の節会(節句)、菖蒲の節句のことが出てきますね。清少納言的にはこのイベントがどうも好きらしいです。詳しくは「節は五月にしく月はなし」もご覧ください。

当時、この端午の節会の時、内裏では殿内に菖蒲を飾り、帝は菖蒲鬘(あやめのかづら)を冠に付けて武徳殿に行幸されたようですね。お供の者もそれぞれ菖蒲鬘を付けて参上したらしいです。
で、何で武徳殿かというと、宮中の年中行事として、五月五、六日に衛府や馬寮の官人によって武徳殿の馬場で騎射とか競馬が開催されたようなので、それを観覧に行ったのでしょう。

菖蒲鬘(あやめかづら/あやめのかづら/しょうぶかづら)というのは、菖蒲(ショウブ)で作った頭に付ける飾りなんですが、この節会に、邪気を払うものとして、男性は冠に、女性は髪に直接挿したらしいんですね。
さて、ここで。
「あやめ」と「菖蒲」は本来違うものなのですが、どうも、これ、ごっちゃになってます。現代のほうがごっちゃ度が高いと思いますが、昔から菖蒲(しょうぶ)を「あやめ」と言ったりはしてたようですね。逆にあやめ的な花を、花菖蒲と言ったりもしますし。

特に、あやめの蔵人(菖蒲の蔵人)というのは、平安時代、この端午の節会に、糸所から献上されたショウブやヨモギなどの薬玉(くすだま)を、親王や公卿をはじめ臣下に分けて配る女蔵人(にょくろうど)のことだそうです。
薬玉(くすだま)っていうのは、この五月の節句に、邪気をはらうため御帳の柱やカーテンにかけた玉。麝香(じゃこう)とかの香料を錦の袋に入れて、ショウブとかヨモギなんかで飾って、五色の糸を垂らしたものらしいですね。で、これをつくっていたのが、中務省 (なかつかさしょう) の縫殿寮 (ぬいどのりょう) に属してる糸所(いとどころ)という役所でした。本来、糸所の主な仕事は糸を紡ぐことであり、多くの女官が働いていたらしいです。


「拝す」というのは「拝舞する」ということらしい。で、拝舞って何?? これはですね、「謝意を表して左右左(さゆうさ)を行う礼である。 唐の礼法をまねたものである」とのことです、まあ、そういうしぐさをして上の人とかに感謝したんですね。何か、大げさでイヤですね。


原文で「ゑいのすいゑうつりよきも」と出てきています。これはいろいろ調べたんですが、どうも謎らしい。もちろん全てを当たったわけではないんですが、どの本にも、ネットでも、不詳とされていて、おそらくこうではないか?という説しか見当たりませんでした。
その説によると「ゑいのすいゑうつりよきも」は「えびすのいへうつりよもぎ」の誤写ではないかとして、「夷の家移り」という異国のゲームで「ヨモギの矢を打つ」ということがあった、とするのが、有力とされています。
今回の私の訳では、この「夷の家移り」に依りました。


行幸、最高!サイコー!!って言ってます、清少納言。特に、かつてあったという、昔話に聞く端午の節句の時の行幸よね。という話です。
けれど、昔の話を持ってくるというのはルール違反というか、紅白歌合戦で数十年前のヒット曲を歌う、みたいな感じがしますね。浜崎あゆみがMを歌う、みたいなね。いや、いいんですけど、ちょっとダサいかなと。あのドラマみたいに「ダサ面白い」を狙ってるんでしょうか。


【原文】

 行幸にならぶものは何にかはあらむ。御輿(こし)に奉るを見奉るには、明暮御前に候ひつかうまつるともおぼえず、神々しく、いつくしう、いみじう、常は何とも見えぬなにつかさ、姫まうち君さへぞ、やむごとなくめづらしくおぼゆるや。御綱の助の中・少将、いとをかし。

 近衛の大将、ものよりことにめでたし。近衛司(づかさ)こそなほいとをかしけれ。

 五月こそ世に知らずなまめかしきものなりけれ。されど、この世に絶えにたることなめれば、いと口惜し。昔語に人のいふを聞き、思ひあはするに、げにいかなりけむ。ただその日は菖蒲(さうぶ)うち葺き、世の常のありさまだにめでたきをも、殿のありさま、所々の御桟敷どもに菖蒲葺きわたし、よろづの人ども菖蒲鬘(かづら)して、あやめの蔵人、形よき限り選りて出だされて、薬玉たまはすれば、拝して腰につけなどしけむほど、いかなりけむ。

 ゑいのすいゑうつりよきもなどうちむこそ、をこにもをかしうもおぼゆれ。還らせ給ふ御輿のさきに、獅子・狛犬など舞ひ、あはれさることのあらむ、ほととぎすうち鳴き、頃のほどさへ似るものなかりけむかし。

 行幸はめでたきものの、君達、車などの好ましう乗りこぼれて、上下(かみしも)走らせなどするがなきぞ口惜しき。さやうなる車のおしわけて立ちなどするこそ、心ときめきはすれ。

 

まんがで読む 枕草子 (学研まんが日本の古典)

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  • 発売日: 2015/03/17
  • メディア: 単行本