枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

賀茂の臨時の祭

 賀茂の臨時の祭は、空が曇って寒そうでいて、雪が少し舞い散ってて、挿頭(かざし)の花や青摺りの衣なんかにかかってるのが、言葉では言い表せないくらい素敵なの。太刀の鞘(さや)がくっきりと黒くて、まだら模様で幅広に見えたんだけど、半臂(はんぴ)の緒が、磨いて艶を出してる感じで掛かってるのとか、地摺の袴の中から氷かと思って、びっくりするくらいの打目の模様なんかが見えたの、すべてがすごく素晴らしいのよ。もう少したくさんの行列に通ってほしいんだけど、祭の使いは必ずしも身分の高い人じゃなく、受領なんかの場合は見る気もしなくて、憎ったらしいくらいだけど、挿頭の藤の花に顔が隠れてるってところはおもしろいわね。でもやっぱり通り過ぎてったほうを見送ったら、陪従(べいじゅう)で品のない人が、柳襲の衣に挿頭の山吹、っていうのはバランスが悪いわって思うんだけど、馬の泥障をとても高く打ち鳴らして「神の社のゆふだすき~」って歌うのは、すごくいかしてるのよね。


----------訳者の戯言---------

賀茂神社の臨時の祭は、毎年旧暦11月、下(しも)の酉(とり)の日に行われます。十一月というと現代の暦では11月の終わり頃から1月の初め頃。概ね12月あたりですから、雪が舞うこともあるでしょう。


挿頭(かざし)。神事の時に草木の花や枝などを髪に挿したそうで、その飾り?みたいなもののことを挿頭と言ったようです。

青摺りというのは、祭礼で東 (あずま) 遊びの舞を奉納する舞人の着用する装束です。
麻に白粉を張って、山藍の葉で小草・桜・柳・山鳥などの紋様を青く摺り付けたといいますから、当時のプリント生地ですね。で、肩に赤い紐を垂らしたそうです。

また、青摺りのことを小忌衣(おみごろも)とも言ったそうで、大嘗祭(だいじようさい)、新嘗祭など、祭礼に際して、小忌の官人が装束の上に着ました。「おみのころも」とか「おみ」とも言うようです。


半臂(はんぴ)というのは、袍(ほう/うへのきぬ=上着)と下襲 (したがさね) との間に着る袖のない短い衣です。ベスト的なものでしょうか。これを着て結ぶ帯を小紐 (こひも)、さらに左脇に垂らす飾り紐を忘れ緒 (お) と言うらしいです。ここで出てきた「緒」というのは、この忘れ緒のことのようです。

瑩(よう)ずというのは、布とかを貝で磨いて光沢を出すことを言うらしいです。なぜ貝で磨く?というか、布を磨くって何? 聞いたことがありません。靴とかガラスとか金属とかは磨きますけどね。あと例えですけど、腕を磨くとか、女を磨くとか。と思って調べたら、紙や布などを摩擦して、つやを出すための貝がらを瑩(瑩貝)と言ったらしいです。金属・竹などで作ったものも、磨くやつは瑩らしい。案外適当です。
「白瑩(しろみがき)」という布もあったようで、瑩貝(ようがい)で磨いて光沢を出したものなのだそうですね。


地摺というのは、生地(きじ)に摺文様を施した布帛のこと。これも一種のプリントなのでしょう。

打目というのは、絹を砧で打ったときに生じる光沢の模様のことだそうです。先に、「絹織物を貝で磨く」という話がありましたが、さらに布を叩くという蛮行に及んでいます日本人。生乾きの状態で布をたたいて柔らかくしたりツヤを出したりしたそうですね。
砧というと、世田谷の砧です。高級住宅街ですね。元々農村地帯で砧を打ってた地域だったらしいのでこの地名なんだそうですよ。けど、今は小田急沿線で成城にも隣接する超高級住宅街。めちゃくちゃおしゃれな店もいっぱいあります。砧公園があるし、田園風景も残っているので、緑が多くて人気があるようですね。不動産屋さんかよ。


清少納言は受領を見下しているようですね。地方の国司長官か次官ですからそこそこの地位があって、蓄財もできるポジションですけど、中央の国家機関にはいないということで軽視してたのでしょう。
受領について詳しくは「受領は」「若き人、ちごどもなどは」に書いていますので、ご覧ください。

陪従(べいじゅう/ばいじゅう)。賀茂、石清水、春日の祭などで、神前で行われる東遊(あずまあそび)の舞で、舞人に従って管弦や歌を演奏する地下(じげ)の楽人のことです。

柳=柳襲。襲(かさね)の色目の名前です。表は白、裏は青。現代の柳重ねは表地に淡青、裏地にも淡青、で柳の若葉の重なりを表しています。ま、淡いグリーン系の色と考えていいと思います。

泥障(あおり/あふり)というのは、鞍の四方手(しおで)というところ、ハーネスみたいな部分に結び付けて、鞍の下に挟んで馬腹の両脇を覆って、馬の汗や蹴上げる泥を防ぐものだそうです。毛皮や皮革製だとか。「障泥」と字を逆転して書くこともあるようですね。
これを高く打ち鳴らして歌ったのでしょうか。馬がかわいそうです。清少納言はそうは思わなかったようで。

「神の社のゆふだすき」という歌はなく、「賀茂の社」とする歌は古今集にあります。清少納言が間違ったのでしょうか。

ちはやぶる 賀茂の社の ゆふだすき ひと日も君を かけぬ日はなし

賀茂神社の神官達は木綿襷をかけて神に仕えてるけど…私はただの一日たりとも、あなたに想いをかけない日はありませんよ)

木綿(ゆう)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のことを言います。コットン、木綿(もめん)のことではないんですね。ややっこしいですが、同字(異音)異義です。神事には、木綿鬘(ゆうかずら)を冠に懸け、木綿襷(ゆうだすき)というものを襷に使用するようです。ただ、すべてが楮製というわけではなく、麻を使ったものも「木綿(ゆう)」と呼ぶらしいですね。
襷(たすき)をかける、と、想いをかける、かける違いなんやけどねー、でも毎日想いをかけてるんよねー、という趣旨の歌です。


賀茂の臨時祭は、今はもうやってないんですね。応仁の乱でいったん途絶えて、数百年経って、江戸時代、1814年に光格天皇が復興したんですが、明治維新の東京遷都で無くなりました。葵祭のように復活も果たされなかったということです。
ただ、例祭、賀茂祭葵祭がずっと連綿と続いてるかというと、そうでもないようで、やはり室町時代に衰微して応仁の乱で途絶、元禄時代に復興、明治維新でまたもや途絶し、明治時代中期に復活、第二次世界大戦で中止され、行列が復活したのは昭和28年なのだそうです。あ、今年もコロナで中止になりましたね。

というわけで、賀茂の臨時の祭、いいわ~という段です。例によって、やはり身分の低い受領とか楽人とかは見下してます。舞人はそうでもないみたいですね。


【原文】

 賀茂の臨時の祭、空の曇り寒げなるに、雪少しうち散りて、挿頭の花、青摺(あをずり)などにかかりたる、えも言はずをかし。太刀の鞘(さや)のきはやかに、黒うまだらにて、ひろう見えたるに、半臂(はんぴ)の緒(を)の瑩(えう)したるやうにかかりたる、地摺の袴のなかより、氷かとおどろくばかりなる打目など、すべていとめでたし。今少しおほくわたらせまほしきに、使は必ずよき人ならず、受領などなるは目もとまらず憎げなるも、藤の花に隠れたるほどはをかし。なほ過ぎぬる方を見送るに、陪従(べいじゆう)のしなおくれたる、柳に挿頭の山吹わりなく見ゆれど、泥障(あふり)いと高ううち鳴らして、「神の社のゆふだすき」と歌ひたるは、いとをかし。

 

枕草子

枕草子

  • 作者:清少 納言
  • 発売日: 2018/05/16
  • メディア: Audible版