枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

祭のかへさ、いとをかし①

 賀茂祭の(斎王の)お帰りの行列はすごくいい感じなの。昨日は全部が全部きちんとしてて、一条の大通りが広くてキレイにされてたんだけど、日差しが熱くて車に射し込んでくるのも眩しいから、扇で顔を覆って、座り直したりして、長時間待ってるんだけど辛くって、汗なんかもダラダラかいてたけどね。今日はめちゃくちゃ早く急いで出てきて、雲林院とか知足院とかのところに停めてる車から葵や蔓(かづら)なんかがなびいて見えるの。

 太陽は昇って来たけど空は相変わらず曇っててね、どうしたって絶対、何をしてても聴きたいもんだわ!!って、目を覚まして起きたままで鳴くのを待ってた郭公(ほととぎす)が、こんないっぱいいるの???って鳴き声を響かせてるのは、すごくすばらしいって思うんだけど、鶯(うぐいす)の年老いた声でそれに似せようと一生懸命に合わせてるのも、憎ったらしいけど、またおもしろいものでもあるわね。


----------訳者の戯言---------

「かへさ」というのは「帰り道」ということなんですが、賀茂祭の翌日、斎王 (斎皇女/いつきのみこ/さいおう) が上賀茂神社から紫野(今の京都市北区)の斎院に帰る行列のことを「祭の帰さ」と言ったんですね。ですが斎院というものは今は残ってません。なお、紫野は現在の北区から上京区に亘る野であったため斎院の跡地は現在の上京区になります。


雲林院というのは、大徳寺塔頭(たっちゅう)だといいますから、つまり大徳寺ファミリーのお寺の一つです。大徳寺はあの一休宗純、とんちで有名な一休さんが再興したという臨済宗のお寺なんですね。ま、あのとんち話は後世に作られたものなのでどうでもいいんですが、実際の一休宗純は破天荒で痛快、権力に阿(おも)ねることもなかった人で、私はかなり好きです。能筆家でもあり詩人としても有名。そういう人なので庶民の人気もあったから、ああいう「一休さん」の話ができたわけですけどね。
大徳寺はおおよそ室町時代以降のお寺ですから、枕草子の時代にはまだありません。ずっとずっと後にできた臨済宗のお寺です。
雲林院とはあまり関係ない話をしてしまいました。
雲林院自体は元々は天台宗のお寺だったらしいです。場所は北区でも船岡山の近く、ほぼ北大路沿いにあります。

知足院は今はありません。跡地に別のお寺で、常徳寺というのがあります。北山通り沿いですから、雲林院からはかなり北になりますね。昔は、紫野は野原で狩猟地、別荘地でもありましたから、寺院やお屋敷がぽつぽつとあった感じかもしれません。雲林院とはチャリで10分ほどの距離らしいですから、もしかするとちょっと動けば見通せる範囲かもしれませんね。


郭公(ほととぎす)に対する評価がやたら高いです。
鳴き声がいいっていうんですね。たしかに戦国武将の「鳴かぬなら~」からもわかるとおり、ホトトギスの鳴き声は一般に好まれてます。ただ、鶯もなかなかいいと思いますよ。ウグイス嬢って言いますものね。ただ、ホーホケキョと鳴くのはオスだけですから、ウグイス嬢っていうのもなんだかなーとちょっと思います。あの鳴き声はメスへの求愛です。

このウグイス、「鳥は」という段で清少納言が、そもそも鳴き声も姿も良すぎて、すばらしい扱いをされてるもんだから、期待感高すぎて、実際そうでもなかったらdisられがちー、みたいなこと書いてます。たしかにハードル上がりすぎてる感はありますね。

この段ではウグイスがホトトギスを真似て鳴こうとしてるっていうんですが、それは気のせいだと思いますよ。んなわけない。しかも年老いた声って。調べてみましたが、ウグイスがモノマネをするというという科学的根拠はありません。カケスやモズはよくものまねをするらしいですが。

逆に。
ホトトギスは主にウグイスの巣に卵を産込み、ヒナを育ててもらいます。そのため、ウグイスが生息している場所に渡来するんですね。ますますウグイスが不憫になってきました。

ちなみに先にも紹介した「鳥は」の段でも、「祭の帰さ」の時の似たようなシチュエーションが描かれています。ウグイスについてはちょっとニュアンスの違う書き方をしていますね。
「祭のかへさ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立てたれば、郭公(ほととぎす)も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ」
賀茂祭葵祭)の斎王のお帰りの行列を見ようと、雲林院や知足院の前に車を停めてたら、郭公(ホトトギス)も、もはや隠れてられないかのように鳴くんだけど、それを鴬がすごく上手く真似て、小高い木の茂みの中で声を揃えて鳴くのは、さすがに素晴らしいわよね)

けっこう褒めてます。


【原文】

 祭のかへさ、いとをかし。昨日はよろづのうるはしくして、一条の大路の広う清げなるに、日の影も暑く、車にさし入りたるもまばゆければ、扇して隠し、居なほり、久しく待つも苦しく、汗などもあえしを、今日はいととく急ぎ出でて、雲林院、知足院などのもとに立てる車ども、葵・蔓(かづら)どももうちなびきて見ゆる。

 日は出でたれども、空はなほうち曇りたるに、いみじう、いかで聞かむと、目をさまし起きゐて待たるる郭公の、あまたさへあるにやと鳴き響かすは、いみじうめでたしと思ふに、鶯の老いたる声して彼に似せむと、ををしううち添へたるこそ、憎けれどまたをかしけれ。

 

学びを深めるヒントシリーズ 枕草子

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