枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、「わかりやすい」「初心者向け」となっているとは思いますがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

鳥は

 鳥は――――異国のものだけど、オウムにはすごく感動。人が言う言葉を真似するらしいの。ほととぎす、水鶏(くひな/クイナ)、鴫(しぎ)、都鳥、鶸(ひわ)、ひたきもいいよね。

 ヤマドリは友だちを恋しがって、鏡を見せれば慰められるって、ピュアでとってもかわいい。なのに、お互い谷を隔てている様子はかわいそうだわ。

 鶴はすごく大げさなルックスなんだけど、鳴き声が雲の上まで聞こえるのは、ほんとにすばらしい。頭の赤い雀、イカル(鵤)の雄鳥、キツツキ(啄木鳥)もね。

 鷺(サギ)はとっても見た目が悪いの。目つきなんかも不愉快で全然可愛げがないんだけど、「ゆるぎの森にひとりは寝じ(ゆるぎの森で一人では寝ないぞ)」と、妻争いをするっていうのがぐっとくるよね。
 水鳥の中では、オシドリ(鴛鴦)がとってもしみじみ感動的なの。雄鳥と雌鶏がかわりばんこで、羽の上の霜を払うなんてステキでしょ。千鳥もすごくいい感じだよね。

 鶯(ウグイス)は、詩なんかでも素晴らしいって扱いをされてるし、鳴き声をはじめとして、見た目もあんなに上品できれいなのに、宮中に来ても鳴かないっていうのは全然ダメね。ある人が「やっぱ鳴かないんだよ」って言ったけど、私は「いやいやそんなことないでしょ」と思ってたの。でも、10年くらいずっと聞こうとしてたのに、ほんとに何の鳴き声もしないのよ。でも竹の近くには紅梅があって、しょっちゅう通ってきてもいい場所のはずなんだけどね。
 で、宮中から退出して聞いてたら、みすぼらしい家の何てことない梅の木なんかで、うるさいくらいに鳴いてるの。夜に鳴かないのも、ぐっすり寝込んでるからだと思うけど、元々そういう性質なんだから今さらどうしようもないわよね。
 夏から秋の終わり頃まで年寄りっぽい声で鳴いて、「虫食い」なんて、大したことのない者がアダ名を付けて呼んでるのは残念だし、ちょっと期待外れ気味って感じはするの。ただ雀みたいにいつもその辺にいる鳥なら、そうも思わないんだろうけどね。でも、こんな扱いを受けるのって、春に鳴く鳥だからこそなんでしょう。「年たちかへる」なんて、素敵な感じに和歌にも詩にもなってるのよ。やっぱり春の間だけ鳴くのなら、どんなにか素敵かしらね。人間でも、人並み以下の、もはや世間からの評価が下がりはじめた人をあえてdisったりする? しないよね。だって鳶や烏(からす)なんかだと、姿に見入ったり、声に聞き入ったりする人なんて、世間にはいないわけでしょ。つまるところ、鴬っていうのは素晴しい存在であるべき、って思ってるから、納得できない気がしちゃうのよね。
 賀茂祭葵祭)の斎王のお帰りの行列を見ようと、雲林院や知足院の前に車を停めてたら、郭公(ホトトギス)も、もはや隠れてられないかのように鳴くんだけど、それを鴬がすごく上手く真似て、小高い木の茂みの中で声を揃えて鳴くのは、さすがに素晴らしいわよね。 

 ホトトギスの良さは、今さら言うまでもないわ。いつの間にか得意顔で鳴いているようにも聞こえるんだけど、卯の花や花橘なんかに止まって、その姿が見え隠れしてるのも、憎らしいくらいすてきな風情なの。
 梅雨時の短い夜に目を覚まして、何とかして人より先に鳴き声を聞こうと待ってたら、深夜に鳴いた声が上品でかわいくて、すごく心が惹かれて、どうしようもなくって。でも六月になると全然鳴かなくなるの、こんなこと全部、言葉にするのも愚かなくらいいかしてるよね。

 夜なくものは、どれもこれもすばらしいの。赤ちゃんのだけはそうでもないけどね。


----------訳者の戯言---------

原文の「斑鳩(いかるが)」というのは地名だと思っていましたが、元々は鳥の名前なんですか? と、言われてみれば、そうなのかなーと思い、検索してみました。
と、どうやら、「イカル(鵤)」という鳥がいるらしい。それのことなんですね。「斑鳩」の字は誤用だそうです。

原文で「たくみ鳥」とあるのは、「キツツキ」と解釈しましたが、「ミソサザイ」との説もあります。いずれも巣を作るのが巧みなところからこう呼ばれたのではないかとのことです。

ゆるぎの森=万木の森です。
現在の滋賀県高島市安曇川あどがわ町にあった森とのこと。「鷺」とともに和歌に詠まれることが多かったそうです。ここでは古今集の次の歌がクローズアップされています。

高島やゆるぎの森の鷺すらもひとりは寝じと争ふものを
(高島のゆるぎの森に棲む鷺ですら、夜は一人で寝まいと妻を巡ってオス同士で争うものなのだから)

原文の「かたみに居かはりて」ですが、直訳すると、「互いに位置を代わり合って」という感じだと思います。簡単に言うと「かわりばんこに」です。そういえば「かわりばんこ」という言葉、結構珍しい言葉で、方言のようにも思えますが、全国で使っているらしいんですね。しかし、標準語でもなさそうです。児童語? 否、大人も使います。またまた余計な脱線なんですが、この語の詳細についてご存じの方は是非お教えください。

「年たちかへる」というのも、このような↓和歌から来ています。

あらたまの年立帰る朝より またるる物はうくひすのこゑ
(年が改まり新年となった朝から、待ち遠しいものは鴬の声なんだよなぁ)

「あらたまの」は「年」の枕詞(まくらことば)です。新年、元旦の朝から聞きたいのはやっぱ鴬の鳴き声なんだよ、ってことですね。旧暦の元日と言うと1月後半ごろから1カ月ほどの間を動きますから、時候は春、鴬の季節であるには違いありません。

祭。昔は京都で祭と言ったら、葵祭賀茂祭)のことだったらしい。葵祭というのは賀茂神社のお祭りで、やっぱり貴族のものなんですね。
祇園祭もあるけど、祇園祭のほうがだいぶ後のもので、どっちかっていうと町人のお祭りらしい。

「祭のかへさ」とありますね。「かへさ」というのは帰り道ということなんですが、葵祭の行列に往路復路ありましたっけ? ないですよね。一方通行です。箱根駅伝じゃないんだから。この「かへさ」というのは、実は祭の翌日、斎王(いつきのみこ)が上賀茂神社から紫野(今の京都市北区)の斎院に帰ること、またはその行列のことを言ったんですね。

五月雨は、今さら言うまでもないのですが、現在の「梅雨」。旧暦五月(皐月)の長雨です。

この段は「鳥づくし」です。イケてる鳥はコレだ!特集ですね。
とは言うものの、鴬の部分だけが異常に長い。詳しい。清少納言、「期待外れ」なのがどうも気になるようですね。
細かいようですが、またまたホトトギスが2回出ています。ちゃんと推敲するように。


【原文】

 鳥は こと所のものなれど、鸚鵡、いとあはれなり。人のいふらむことをまねぶらむよ。ほととぎす。水鶏(くひな)。鴫(しぎ)。都鳥。鶸(ひわ)。ひたき。

 山鳥、友を恋ひて、鏡を見すればなぐさむらむ、心わかう、いとあはれなり。谷へだてたるほどなど、心苦し。

 鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居にまで聞こゆる、いとめでたし。頭あかき雀。斑鳩(いかるが)の雄鳥(をどり)。たくみ鳥。

 鷺は、いとみめ見苦し。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、「ゆるぎの森に一人は寝じ」と争ふらむ、をかし。水鳥、鴛鴦(をし)いとあはれなり。かたみに居かはりて、羽の上の霜はらふらむほどなど。千鳥、いとをかし。

 鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よりはじめて様形も、さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重のうちに鳴かぬぞいとわろき。人の「さなむある」といひしを、「さしもあらじ」と思ひしに、十年ばかり候ひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、いとよくかよひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。夜鳴かぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。夏秋の末まで老い声に鳴きて、「むしくひ」など、ようあらぬ者は名を付けかへていふぞ、口惜しくくすしき心地する。それもただ雀のやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にも作るなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをばそしりやはする。鳶・烏などのうへは見入れ、聞き入れなどする人、世になしかし。されば、いみじかるべきものとなりたればと思ふに、心ゆかぬ心地するなり。

 祭のかへさ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立てたれば、郭公(ほととぎす)も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。

 郭公は、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。

 五月雨の短き夜に寝覚をして、いかで人より先に聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべていふもおろかなり。

 夜なくもの、何も何もめでたし。児(ちご)どものみぞさしもなき。

枕草子の美意識

枕草子の美意識