枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

祭のかへさ、いとをかし③ ~わたり果てぬる~

 斎院へのお帰りの一行が通り過ぎた後すぐは気持ちも乱れちゃって、我も我もと、危なくって怖ろしいくらい先に行こうって急いでるの、それを(お供の者たちは)「そんなに急がないで」って扇を差し出してガードするんだけど、聞き入れないもんだから、どうしようもなくって、ちょっと広いところで無理に止めさせて停車したのを、じれったくて憎ったらしい、と彼らは思ってるようだけどね、後ろに並んでる車をチェックする分にはおもしろいの!

 男車で誰のものかは知らないけど、後ろに続いてくるのも、全然何もないよりはおもしろくって、分かれ道に来て、「峰にわかるる」って言ったのもいかしてるわよね。

 それでもやっぱり興味が収まらなくって、斎院の鳥居のところまで行って行列を見る時もあったのよ。

 内侍の車なんかが通ったらすごく騒がしいから、別の道から帰ってたら、本物の山里っぽくなってきてしみじみ風情があって。卯木(うつぎ)の垣根、っていうのが、すごく荒々しくて大げさに突き出してる枝なんかもいっぱいあるんだけど、花はまだちゃんとは開いてなくて、蕾が多めに見える枝を折らせて車のあちこちに挿したのも、蔓なんかがしぼんじゃったのが悔しかったから、よかった!って思ったの。
 とても狭くて、通れなさそうに見える行き先なんだけど、ずんずん近づいて行ったら、そうでもなかったのはおもしろいものだわ。


----------訳者の戯言---------

男車って何ぞ?と一瞬思いましたが、当時も仕様が違ってたんでしょう。外装とかでわかったのだと思います。階級とかもだいたいわかったみたいですし、しかも特に女性は一部の上流階級しか使わないですからね。おそらく女性仕様車のほうが珍しかったのではないかという気がします。今で言うと、女性仕様車的なクルマ、パッソとかラパンの感じかもしれません。


引き別るる所。分かれ道です。そこに差しかかったところで、「峰にわかるる」と、後ろの車の男性が言ったらしいです。元ネタは万葉集にもある壬生忠岑の和歌の一部分だったようですね。

風吹けば峰にわかるる白雲の たえてつれなき君が心か
(風が吹いたら峰のところで分かれていく白い雲みたいに、すっかり途絶えてしまって、つれないあなたの心なんだよね)

清少納言ですから、それがなかなかいかしてるじゃない、ということなのでしょうね。いつものパターンです。
ちなみに後の時代ですが、かの藤原定家がこのような↓歌を詠んでいます。

春の夜の夢の浮橋とだえして 峰にわかるる横雲の空
(春の夜の夢、そう、浮橋のようなはかない夢から目が覚めたら、峰のところで横雲が左右に別れて流れていく空が見えたんだよね)

これ、まさに壬生忠岑へのオマージュ、本歌取りというやつでしょう。

分かれ道というと、英語ではcrossroadsでしょうか。となると、クリームのかっこいい曲ですね、エリック・クラプトンで有名です。元々はロバート・ジョンソンというブルースシンガーのカバーでした。で、ミスチルにもCROSS ROADという曲がありましたけど、全然別の歌ですが、これなどは壬生忠岑と定家っていう感じですか。ちょっと違いますね。
と、こんなことを書いている今日、エディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなりました。ヴァン・ヘイレンが影響された唯一のギタリストはクリーム無時代のクラプトンらしいです。で、エクストリームのヌーノベッテンコートはそのヴァン・ヘイレンを敬愛してたらしいです。すごい、ネ申レベルの繋がりですね。

逸れました。
内侍の車と出てきます。内侍司の女性スタッフで、内侍とだけ書く場合は、概ね掌侍(ないしのじょう/内侍典)のことを指すようですね。
内侍については、よろしければ「女は」をお読みいただくと、詳しく書いてます。
人気があったのか、混雑するんですね、内侍の車のあたりは。


卯木(うつぎ)の垣根。空木ととも書くらしいですが、卯の花です。ちょうど卯の花の咲く頃なんでしょう。
すぐ前の記事②で「卯の花の垣根近うおぼえて、ほととぎすもかげに隠れぬべくぞ見ゆるかし(まるで卯の花の垣根みたいに思えて、郭公(ほととぎす)もその陰に隠れてしまいそうにも見えちゃうの)」と出てきました。

卯の花の垣根には「ほととぎす」が似合っているようで、というか、季節、棲息場所がマッチしているんですね。
「夏は来ぬ」という、これは近代、明治時代の唱歌ですが、「卯の花のにおう垣根に ほととぎす早もき鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ」というのがあることからもわかります。


さて「祭のかへさ」です。つまり、祭のあった上賀茂神社から斎院への斎王の帰路、その行列の見物なんですね。
Googleマップで確認すると、斎院のあったとされる紫野は北区だと思っていたのですが、跡地と言われている櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)は今の上京区にあります。昔は区なんか関係ないですからね。北区からちょっと上京区に入ったところです。
で、上賀茂神社を出て、現在の御薗橋あたりから知足院(現・常徳寺)~雲林院を経て斎院(現・櫟谷七野神社)というルートは、まさに紫野を縦断するような行程であったことがわかります。地図で見る限り、おそらく歩くと1時間ぐらい。車だと20分ほどかかるのでは、というところらしいです。今は住宅街ですからね。自転車がいちばん早いかもしれません。
ちょっと道を外れると当時は山里の雰囲気もある野原だったのでしょう。

ま、賀茂祭葵祭の翌日、オーセンティックな祭礼に対して、ちょっとアンチなパレードと、周辺で経験するハプニングを描く、という段でしたね。
特にオチはありません。


【原文】

 わたり果てぬる、すなはちは心地も惑ふらむ、我も我もと危ふく恐ろしきまで前(さき)に立たむと急ぐを、「かくな急ぎそ」と扇をさし出でて制するに、聞きも入れねば、わりなきに、少しひろき所にて強ひてとどめさせて立てる、心もとなく憎しとぞ思ひたるべきに、ひかへたる車どもを見やりたるこそをかしけれ。

 男車の誰(たれ)とも知らぬが後(しり)に引きつづきて来るも、ただなるよりはをかしきに、引き別るる所にて、「峰にわかるる」と言ひたるもをかし。なほあかずをかしければ、斎院の鳥居のもとまで行きて見るをりもあり。

 内侍の車などのいとさわがしければ、異方(ことかた)の道より帰れば、まことの山里めきてあはれなるに、卯つ木垣根といふものの、いとあらあらしくおどろおどろしげに、さし出でたる枝どもなどおほかるに、花はまだよくも開けはてず、つぼみたるがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたにさしたるも、蔓などのしぼみたるが口惜しきに、をかしうおぼゆ。いとせばう、えも通るまじう見ゆる行く先を、近う行きもて行けば、さしもあらざりけることをかしけれ。

 

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)

枕草子 上 (ちくま学芸文庫)