よろづの事よりも①
ほかのどんなことにも増して、みすぼらしい車にイケてない服装で乗って見物する人って、すごく気に入らないわ。説教なんかを聞く時は全然いいけど。仏罰を無くすためのものだからね。それでもやっぱりあんまり酷いと見苦しいっていうのに、ましてやそれで祭の時なんかは見物しないでもらいたいものよね。車に下簾も無くって、白い単衣の袖なんか垂らしてるようなのよ。私なんかその日のためにって思って、車の簾も新調して、これだったら絶対残念なことにはならないでしょ!って出かけたのに、自分のより立派な車なんかを見つけたら、何のためだったんだろ??って思うくらいなのに、ましてや、いったいどんな気持ちでそんないかさない恰好で見物するのかしら?
----------訳者の戯言---------
例によって、「行列」の見物のようです。清少納言、好きですからねー、これ。
賀茂祭(葵祭)の行列はもちろんですが、「見るものは」でもいくつか紹介されていて、帝の行幸、賀茂神社の臨時の祭などが挙げられていました。そして清少納言いちばんの押しは「祭のかへさ」、つまり斎王の帰還の行列でしたね。
せっかくのスペシャルなイベントの日には、おしゃれして、車もキメて行かないとだめでしょ! お寺とか行くときはま、そこそこでいいんすけど、ライブとかテーマパークとか行くときはねー、って感じですか。逆にダサい奴、ハァ?って感じ。何考えてんのかしら??という段です。
しかし相変わらずの上からですね。清少納言の本質がよく出ています。
②に続きます。
【原文】
よろづの事よりも、わびしげなる車に装束わるくて物見る人、いともどかし。説経などはいとよし。罪失ふことなれば。それだになほあながちなるさまにては見苦しきに、まして祭などは見でありぬべし。下簾なくて、白き単衣の袖などうち垂れてあめりかし。ただその日の料と思ひて、車の簾もしたてて、いと口惜しうはあらじと出でたるに、まさる車などを見つけては、何しにとおぼゆるものを、まいて、いかばかりなる心にて、さて見るらむ。