枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

南ならずは東の廂の板の

 南じゃなかったら、東の廂の間の床板の影が映るくらいのところに、鮮やかな畳を置いて、三尺の几帳の帷子(かたびら)がすごく涼し気に見えてるのを押しやったら、滑ってって。思ってるよりも行き過ぎて立ったところに、白い生絹の単衣、紅色の袴、夜具には濃い紫色の衣で、それほどは萎えて柔らかくなっていないのをちょっと掛けて女性が横になってるの。

 燈籠に火を灯してるんだけど、二間くらい間を開けて、簾を高く上げて、女房二人くらいと童女なんかが長押に寄りかかっててね。また他にも、下ろしてる簾に寄り添って横になってる女房もいるわ。火取香炉にに火を深く埋めてほのかに香の匂いを立たせてるのも、すごくのどかで気がきいてるのよね。

 宵をちょっと過ぎた頃、ひっそりと門を叩く音がしたら、いつもの事情を知っている女房が来て、承知してます♡って表情で、自らの身体で男性を隠して、人目から守りながら招き入れたのは、それはそれでおもしろい感じなの。
 傍らにすごくよく鳴るいい琵琶があるのを、おしゃべりの合間合間に、大きな音は立てないで爪弾きでかき鳴らしたのって、すてきなことだったわ。


----------訳者の戯言---------

またまた夏の季節の、ある日の情景です。今回は夜です。

廂というのは「ひさし」のこと。母屋の周りに廂の付いた廊下みたいなのがあって、そこを「廂の間」と言ったようですね。それを略して「廂」と書いています。
母屋の外側に付加されてる部屋ということですが、これまで私が読んできた中では、「東の廂」「西の廂」「南の廂」というのは見たことがあります。「北の廂」はたぶん日当たりが悪いので無いのでしょう。
殿舎によっても違うのかもしれませんが、いろいろな方角に「廂の間」があったのだと思います。

「几帳」というのは、移動式の布製の衝立。当時の間仕切り、パーテーションです。一尺≒30.30303030303…cmなので、三尺は90cmぐらい。「三尺の几帳」は室内用の几帳で、高さ三尺×幅六尺だったらしいです。

帷子(かたびら)。元々は「片枚(かたびら)」と書いたそうです。裏をつけない衣服の総称、つまり、一枚もの、ひとえもの、のことを言います。お察しのとおり、概ね夏用の着物だったようですね。が、ここでは几帳にかけたカーテンのようなもののことで、これも帷子と言うんですね。

京都に「帷子ノ辻」という地名があって、嵐電京福嵐山本線)の駅名にもあるんですが、元々は「帷子辻(かたびらがつじ)」で、これは着物のほうの帷子に由来するそうです。綺麗な地名、と思いましたが、その起源には、尊いと言うか、ちょっと哀しいと言うか、壮絶と言うか、そういう話があるそうなんですね。
橘嘉智子(たちばなのかちこ)という嵯峨天皇の皇后(別称:檀林皇后)だった人にまつわる逸話ですが、長くなるのでここで紹介することは控えますが、もし興味のある方がいらっしゃいましたら、「帷子ノ辻 橘嘉智子」でググってみてください。もしくは、ウィキペディアなどをご覧いただけばと思います。

生絹(すずし/きぎぬ)というのは、まだ練られていない絹糸、あるいはその絹糸で織った絹織物です。練った(精練した)絹織物(練り絹)はしっとりと柔らかく光沢があるんですが、精練していない「生絹」は、固く張りのある感触で、軽いので夏用の着物にすることが多いよう。ドレスとかに使うシルクオーガンジーも生絹の一種なんですね。なお、この辺の絹の精練について、詳しくは「見苦しきもの」に書きましたので、気になった方はぜひご覧ください。

「宿直物」は「とのいもの」と読むそうです。文字どおり、宿直の時に使った衣服や夜具などのことだそうです。

濃き衣。おおむね、この時代の「濃(こき)」とか「濃色(こきいろ)」とかいうのは、単に濃い色というわけではなく、濃い紫色の糸で織ったものを言ったようですね。濃色←こんな色です。
実は平安時代とかには、「濃色」「薄色」とだけ書いていても、それぞれ「濃い紫色」「薄い紫色」なんですね。
私もこれまでによく書いていますが、紫は古代より特別な色だった、ということが、このことでもよくわかります。紫、侮りがたし。
しかし、そう考えると、紫式部とかって、なかなかな名前ですよ。自分から名乗るって、大したもんだ。

「長押(なげし)」ですが、よく言われるのは引き戸の上の部分、鴨居の上です。そもそも長押というのは、柱に垂直(つまり水平)に渡した構造材、というのが一般的な意味合いですから、上にも下にも、極端な話、地面のすぐ上とかにある場合もあります。ここでは床の上ぐらいに渡された長押だと思われます。

琵琶。やっぱり鳴りのいい楽器はいい楽器なんですね。その辺は、今も変わりません。ギター然り、バイオリン然りです。もちろん弦楽器だけでなく、管楽器、打楽器もそうでしょうけど。
で、さすが、和歌、管弦、書などに堪能であることが上流貴族の証であったというだけあって、爪弾くんですね、彼。要するに、撥(バチ)を使わないんです。何気にギタ―とか弾く現代のモテ男子と同じです。ちょっと恥ずかしい人。ついでに自作のラブソングとか歌ってくれたらいいんですけどね、笑うので。

というわけで、何か、今回はツヤをつけてる文章だなと思いました。かなり気取ってる感じしますけど、どうなんでしょうか。あの、枕草子の冒頭の「春はあけぼの」などもそうですが、あまりよくないですね。実は私、清少納言をそれほど好きというわけではないですが、中でも今回のは、かなりアカンと思います。本人的には、ちょっといかした夏の夜の風情、とでも思っているかもしれませんが、読む側からすると、ちょっと何が言いたいの??と思いました。まさにシナリオ書いてる自分に酔っている北川悦吏子のようです。清少納言ファンのみなさま、北川悦吏子ファンのみなさま、ごめんなさい。

すぐ前の段「いみじう暑き昼中に」はなかなか良かっただけに残念です。
やはり、昼がいいんですね。夜に文章書いたらだめって言うでしょ、手紙とか。夜に書いたかどうか知りませんが、情緒的に過ぎてしまうなら、やめたほうがいいかと思います。


【原文】

 南ならずは、東の廂の板のかげ見ゆばかりなるに、あざやかなる畳をうち置きて、三尺の几帳の帷子(かたびら)いと涼し気に見えたるをおしやれば、流れて思ふほどよりも過ぎて立てるに、白き生絹の単衣、紅の袴、宿直物(とのゐもの)には濃き衣のいたうは萎えぬを、少し引きかけて臥したり。

 灯篭(とうろ)に火ともしたる二間(ふたま)ばかり去りて、簾高うあげて、女房二人ばかり、童など、長押によりかかり、また、おろいたる簾に添ひて臥したるもあり。火取に火深う埋みて、心細げに匂はしたるも、いとのどやかに、心にくし。

 宵うち過ぐるほどに、忍びやかに門叩く音のすれば、例の心知りの人来て、けしきばみ立ち隠し、人まもりて入れたるこそ、さるかたにをかしけれ。

 かたはらにいとよく鳴る琵琶のをかしげなるがあるを、物語のひまひまに、音も立てず、爪弾きにかき鳴らしたるこそをかしけれ。