枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

いみじう暑き昼中に

 めちゃくちゃ暑い昼日中に、どういうことしたらいいのかしら~?って。扇の風もぬる~いし、氷水に手を浸して、大騒ぎしてるうちに、ものすごく真っ赤な薄様の紙を、唐撫子がすばらしく咲いた花に結びつけたの、お使いの者が持ち込んで来たんだけど、書いてる時の暑さ、それと、こちらへの気遣いの心が浅からず思われて。氷水遊びしながら惰性で使ってた扇も、思わず下に置いてしまったの。


----------訳者の戯言---------

まだ梅雨も明けてないですが、暑いです。
というわけで、この段。このところ、タイミングに恵まれている私です。

氷水と出てきましたけど、この時代も、夏に氷があったんですね。もちろん上流階級だけなんですが。冬に取った氷を氷室(ひむろ)に保管して、それを夏に出して宮中とかで使ってたっていうんです。前に「あてなるもの」という段に出てきましたけど、平安時代にもかき氷は食べてたらしいですね。

原文の「こちたう」は「こちたし」の連用形なんですが、「こちたし」という形容詞は「煩わしい」「度を越してる」「仰々しい」「おおげさだ」とかの意味のようです。
ここは「こちたう赤き」ですから、これで「真っ赤な」というくらいの意味になるでしょうか。

唐撫子? わざわざ唐撫子と書いてますから、普通の撫子とは違うのでしょう。唐とついてますから、中国の撫子なのでしょうね。ヤマトナデシコではありません。七変化しませんし、松島菜々子も出てきません。わかる人にしかわからないネタですが。

調べてみると、唐撫子もナデシコの一種ではあるんですが、「石竹(セキチク)」と呼ぶほうが一般的な花らしいですね。
以前読んだ「草の花は」という段では、「草の花というと、まず撫子。唐のはもちろんだけど、日本のもとっても素晴らしいわね」的なことを書いてましたから、当時は唐撫子のほうがメジャーだったのかもしれません。

昔から愛しい人を撫子に例えることはあったようですし、撫子が可憐な美しい花であるというのも、これまた周知のことだったようです。それは先にも書いた枕草子の「草の花は」からもわかります。
ただ、「大和撫子やまとなでしこ)」が「日本女性の清楚な美しさ」を例える花として古来よりポピュラーであった、というのはどうも怪しい感じがします。和歌とか物語、その他の記述等々には、こういう例えがあまり出てこないんですね。
でもいつの頃からか、「古来より日本女性の清楚な美しさを花に表すと撫子、つまり大和撫子」と言われるようになったのはたしかなようで。私は実はさほど古いものではなく、近代以降の表現なのではないかと勝手に考えているところです。

さて、「真っ赤な紙に、唐撫子(ピンクの花)」という派手派手なコーディネート。そんな暑い時に、いかにも暑苦し気な組み合わせなんですが、むしろその色で暑さを和らげようというメンタリティ。暑い時に熱いお茶を飲むとか、サウナに入るとか、ああいう感じでしょうか。ビビッドな暖色をあえて組み合わせることで、暑さを忘れさせる…。そしてそれを送ってくれた人と、気持ちを共有するという満足感。ツーカーと言うのでしょうか、あうんと言うのでしょうか、通じ合っていることの気持ちよさを表した、久々になかなか深い趣のある段です。清少納言、侮りがたし。


【原文】

 いみじう暑き昼中(ひるなか)に、いかなるわざをせむと、扇の風もぬるし、氷水(ひみづ)に手をひたし、もて騒ぐほどに、こちたう赤き薄様を、唐撫子(からなでしこ)のいみじう咲きたるに結びつけて取り入れたるこそ、書きつらむほどの暑さ、心ざしのほど浅からずおしはかられて、且つ使ひつるだにあかずおぼゆる扇もうち置かれぬれ。