枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

草の花は

 草の花というと、まず撫子。唐のはもちろんだけど、日本のもとっても素晴らしいわね。おみなえし(女郎花)。桔梗。あさがお(朝顔)。かるかや(刈萱)。菊。つぼすみれ(壺菫)。

 竜胆(りんどう)は、枝ぶりなんかは見苦しいんだけど、他の花がみんな霜で枯れてしまっってるのに、すごく華やかな色合いで咲いてるところは、めちゃくちゃいいの。

 また、わざわざ取り上げてヨイショするほどの感じじゃないけど、かまつかの花ってカワイイのよね。名前は異様なんだけどね。でも、「雁の来る花」って漢字では書くの。かにひの花は、色は濃くないけど、藤の花とよく似てて、春と秋に花が咲くのもいい感じだわね。

 萩はとっても色が深くて、枝もしなやかに咲いてるのが、朝露に濡れてなよなよっと広がって伏せてるのがいいの。牡鹿がとりわけ好んでやってくるっていうのも、他の花とは違うところよね。八重山吹もいいわ。

 夕顔は、花の形も朝顔に似てて、朝顔、夕顔って並べて言えるくらいすごく素敵なルックスの花なんだけど、実がカッコ悪いのが、めっちゃ残念なの。どうしてまた、そんな風に実をならすんでしょ。「ぬかずき(ホオズキ)」とかいうものみたいだったらよかったのにね。
 だけど、夕顔っていうネーミングだけはいい感じ。しもつけの花。葦の花もね。

 で、今回のテーマで、薄(すすき)を入れないのは、全然おかしいだろ!って、みんな言うでしょう? そう、だいたい秋の野の風情っていうものは、薄があってこそなんだから。とっても濃い赤みを帯びた穂先が、朝露に濡れて風になびいてるのは、これほどのものが他にある? ないよね!っていうくらい。でも秋の終わりになると全然見どころがないのね。いろんな色に咲き乱れてた花が跡形もなく散ってしまったのに、冬が終わるころまで、頭がとっても白く乱れ広がってるのも知らないで、昔を思い出すかのような顔で、風になびきながらゆらゆらと立っているのは、人間にすごくよく似てるの。こんな風にシンパシーを感じるから、薄に対して、しみじみとしてしまうんでしょうね。


----------訳者の戯言---------

女郎花。女郎と言うと、今は遊女という意味で使うことが多いようですが、古くは貴族の子女、令嬢などのことを指したり、女性一般について言ったようです。「へし」は「圧し」で、「どんな女性も圧倒するほどの花」でしょうか。

かまつか=雁来花?でしょうか。どんな花なのかは不詳です。
実は「雁来紅(がんらいこう)」という花があり、葉鶏頭(はげいとう)のことらしいのですが、これがここで書かれている「かまつか」であるとする説が有力なんです。葉鶏頭の葉の形が鎌の柄に似ているところから、鎌柄(かまつか)といわれた、ということのようでもありますね。

この花とは別に「鎌柄(かまつか)」という木の花もあるそうです。こちらの花は白くてかわいいんですが、明らかに木ですからね。木が硬くて鎌の柄にする材としたのでこの名前が付いたようです。なので、これはないです。

結局は清少納言の感じ方の問題でもあるので、何とも言い難いんですが、実は私は「かまつか」が葉鶏頭ではないような気もしています。原文に「ろうたげ」とあるんですが、「葉鶏頭」がどう見ても、カワイイ、可憐、キュートな感じには見えないんですね。ま、広瀬すずをかわいいという人もいれば渡辺直美をかわいいという人もいますし、マツコ・デラックスをかわいいと言う人もいるでしょう。アーノルド・シュワルツェネッガーをかわいいという人もいるし、松重豊をかわいいという人もいる。で、それを否定することはできませんよ。となると、かまつかが葉鶏頭でもいいということになりますもんね。

「かにひ」は「雁皮」という花と「岩菲」との説があるそうです。どちらも読み方は「ガンピ」です。
「雁皮」は、ジンチョウゲ科の低木で、黄色の小花を咲かせます。形は「藤」の花に似てなくはないですが、低木とは言え木ですから、草花ではないような。
対して「岩菲」は、ナデシコ科の多年草ですから「草花」で、黄赤色(オレンジ色)、白色などの五弁花です。フシグロセンノウという花に似ています。フシグロセンノウは漢字で書くと、節黒仙翁。これを「ふし」の花と表したのではないかというのがもう一つの説です。

しかし、私、底本を直接見たわけではないのですが、三巻本、能因本、堺本のどれも漢字で「藤」の花と書かれているようです。かなで「ふし」と書かれているテキストは、見当たりませんでした。そうなると、疑問符はつくけれど、「雁皮」説のほうが強いかなと思います。

夕顔の実。たしかにデカいです。けど、食べられます。平安時代は食べなかったんでしょうか。冬瓜みたいに煮て食べるとおいしいらしいですね。クックパッドでもいっぱい出てると思いますから、検索してください。
夕顔はかんぴょうの原料として有名で、どっちかというと瓢箪とかヘチマの仲間です。

蘇芳は黒みを帯びた赤なんですが、これまでに衣類の色として何度か出てきました。植物の色の形容として出てきたのは初です。

清少納言、色々書きましたが、最後にススキについて言及します。この部分は、ススキになぞらえて人の生き方、特に人生の後半の在りようを考えさせるという点において、これまでの他の「ものづくし」とは趣がちょっと異なる感じです。新境地でしょうか。

この段は、全般的に当時の植物の呼び名と今のが違っているであろうもの、変わっているようなものもあったりして、調べてもいまいちはっきりしなくて、難しかったです。


【原文】

 草の花は 撫子、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。をみなへし(女郎花)。桔梗。あさがほ。かるかや。菊。つぼすみれ。

 竜胆は、枝ざしなどもむつかしけれど、こと花どものみな霜がれたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。

 また、わざと取りたてて人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花らうたげなり。名もうたてあなる。雁の来る花とぞ文字には書きたる。かにひの花、色は濃からねど、藤の花とよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。

 萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる、さ牡鹿のわきて立ち馴らすらむも、心ことなり。八重山吹。

 夕顔は、花の形も朝顔に似て、言ひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いと口惜しけれ。などさはた生ひ出でけむ。ぬかづきなどいふもののやうにだにあれかし。

 されど、なほ夕顔といふ名ばかりはをかし。しもつけの花。葦の花。

 これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂先の蘇芳にいと濃きが、朝霧にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋のはてぞ、いと見どころなき。色々にみだれ咲きたりし花の、形もなく散りたるに、冬の末まで、頭のいと白くおほどれたるも知らず、昔思ひ出顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。