枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

野分のまたの日こそ

 野分(のわき=台風)の翌日はっていうと、すごく風情があっていい感じなの。立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)なんかは乱れてて、庭の植栽もめちゃくちゃ痛々しい感じ。大きな木々も倒れて、枝とかも風の勢いで折れちゃってるのが、萩や女郎花(おみなえし)なんかの上に横たわってるのは、全然思っても無かったこと。格子のマスなんかに木の葉をわざわざ詰め込んだみたいに、細かく吹き入れてるのは、荒かった風のせいだとはとても思えないほどなの。

 とても濃い紫の衣で光沢がなくなってるのに、黄朽葉の織物や薄物とかの小袿(こうちき)を着てる、ホント綺麗な人が、夜は風が騒がしくて眠れなくって、そのせいでかなり寝坊して起きてきて、母屋からすり膝で出ていく姿ときたら、髪は風に吹き乱されて、少しふくらんでて肩に掛かってるんだけど、それがホントに素敵なのよ!!

 しみじみとした雰囲気で、外を眺めて、「むべ山風を」なんて読み上げたのも、相当センスあるんじゃ?って思うんだけど、17、8歳くらいかしら? お子さまじゃないけど、それほど大人には見えない人が、生絹の単衣で、結構ほころんじゃってて、花色があせて濡れてるような感じの薄い紫色の夜着を着てて、髪は艶がよくって、隅々まで手入れが行き届いててキレイでね。髪の毛先のほうもススキのようで身の丈くらいの長さだから、着物の裾に隠れて、袴のところどころから髪が見えるの。そんな彼女が、童女若い女房たちが根っこごと台風の風で折られた草木をあちこちで拾い集めては、植え直したりしてるのを、うらやましそうに簾を押し出して簾に身体をくっつけて見てるの、その後ろ姿も、素敵だわね。


----------訳者の戯言---------

「立蔀(たてじとみ)」というのは、「縦横に組んだ格子の裏に板を張り衝立(ついたて)のように作って屋外に置いて目隠しや風よけとしたもの」と、コトバンクに書いてありました。透けてないパーテーション的なものです。

「透垣(すいがい)」というのは、板または竹の垣根。間を透かして作った垣根ということになります。

黄朽葉の織物と出てきました。「黄朽葉(きくちば)」ですが、お察しのとおり、黄色く枯れた葉っぱの色です。黄褐色、黄土色ですね。

小袿(こうちき)は、平安時代以降の女房装束で、所謂十二単 (じゅうにひとえ) の略装です。唐衣と裳の代わりに表着 (うわぎ) の上に着たものなんですね。準正装で、日常着でもあったようです。今で言うとスーツではなく、ワンピースみたいな存在でしょうか。

出ました「むべ山風を」。
まさか、ここで出てくるとは! 私、完全にネタかぶりしてるじゃないですか。3コ前の記事「風は」でこのネタ書いてしまってます、どうするんですか。
仕方ないのでもう一回やりますか。せめてもう少し開いてるといいんですが、恥ずかしすぎます。

というわけで、この歌。
「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ」(吹いたらすぐに秋の草木がしおれてしまうから、なるほど、山風を嵐っていうんだろうね)という文屋康秀(ふんやのやすひで)という人の和歌です。
9世紀(800年代)の人だったので、ここでは古歌とされています。小野小町と親しかったらしく、そのことについては「風は」に書きましたのでご覧ください。
山+風だから嵐!! まあ、気が利いてるような、ダジャレというわけではないけど、おー上手いこと言いましたーぐらいの感じです。そんなにおもしろくないけど、平安時代前期のレベルですから。第七世代ならまだしも。で、第七世代って何やねん!

気を取り直して。
若い女の子が着ていた衣の「花」→花色のこと。花の色ですから、ピンクとかを想像しますよね。日本で花、とくに古典では桜ですから。が、しかし、色になると青なのだそうです。「花色」は、もともと鴨頭草(つきくさ/月草=露草の古名)の花の青い汁で染めていたことに由来するそうで。ややっこしいですね。

尾花というのは、ススキ(薄)の別名だそうです。
私が知っている尾花はベイスターズの監督だった人ですが、ここから話を広げ出すとどこに行くかわかりません、どうしましょ、ほどほどにしませんとね。というわけで、別の視点から。尾花監督の娘さんは尾花貴絵っていうオスカー所属の女優さんなんですが、元AKBの倉持明日香と仲がいいらしい。ご存じのとおり、父親が元ロッテの倉持明っていうことで、共通点あるからでしょうか。
たしかに、プロスポーツ選手のお嬢さんが芸能界に入るのはよくある話です。中でも筆頭は、長澤まさみでしょうね。デビューした頃は、「あの長澤監督の娘が女優になったらしい」って言ってましたもの。それが今では、「長澤まさみのお父さんはサッカーの有名な選手だったらしい」ってなってますから。そういえば福山雅治の奥さん、吹石一恵もお父さんが近鉄のコーチでしたね。
結局、どんだけ逸れとるねん!!

戻ります。
薄(すすき)です。髪の裾の様子をススキで表現するというのは珍しい。私には実感が…全然ありませんが、それもまあアリでしょう。感覚的な文章、感覚的文学というのは、そういうものです。

というわけで。
台風の翌日のそこら辺の情景を描いている段です。ま、何とはなしにわかります。風雨は過ぎ去って、何もなかったような天気だけど、あたりは全く違った様子に変わり果てている、というあの感じですね。
後半では、若い、いい感じの、おそらく身分の高いであろう女性の様子を描いています。台風の翌日の風情のある情景の中にいる高貴な女性もまた、よろしいのですわ、というところでしょう。


【原文】

 野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩・女郎花(をみなへし)などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壷などに木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。

 いと濃き衣のうはぐもりたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着てまことしう清げなる人の、夜は風の騒ぎに寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋(もや)より少しゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされて少しうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。

 ものあはれなるけしきに、見出だして、「むべ山風を」など言ひたるも心あらむと見ゆるに、十七八ばかりにやあらむ、小さうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹の単衣のいみじうほころび絶え、花もかへり濡れなどしたる薄色の宿直物を着て、髪、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて丈ばかりなりければ、衣の裾にかくれて、袴のそばそばより見ゆるに、童べ・若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取り集め、起こし立てなどするを、うらやましげに押し張りて、簾に添ひたる後手も、をかし。

 

枕草子 (岩波文庫)

枕草子 (岩波文庫)

  • 作者:清少納言
  • 発売日: 1962/10/16
  • メディア: 文庫