枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

花の木ならぬは①

 花の木、じゃないのは、まず楓。桂。五葉。

 そばの木(カナメモチ)は、一見品が無い気がするけど、花の木が散ってしまってどれもみんな緑になっちゃう中で、季節に関係なく、濃い紅葉がつやつやとして、思いがけず青葉の中から出てきてるのが新鮮なのね。

 檀(まゆみ)は、もはやこれ以上言うことはない木ですよ。
 木そのものではないけど「やどり木」っていう名前にはすごくしみじみしちゃう。
 榊は臨時の祭の御神楽の時なんかにすごくいい感じに思えるわ。世の中に木はたくさんあるけど、神の御前のものとして生えはじめたのも、格別すばらしいことだよね。

 楠の木は、木立が多いところでも他の木に混ざって植えられることってなくて。大げさにたくさん生い茂ってる様子を想像したりなんかするとヤな感じなんだけど、千本の枝に分かれてるのが、それって恋する人の千々に乱れた気持ちの例えなんだって言われてるのは、誰かがその数を数えて知って言い始めたのかなと思ったら、素敵に感じるわね。

 檜の木もまた身近ではないものなんだけど、建築材として優れてて、ほら、催馬楽で「三葉四葉の殿づくり(三棟、四棟のお屋敷造り)」って歌われてるの、おもしろいでしょ。「五月に雨の声をまなぶだろう」っていうのにもしみじみ感じ入ってしまうわね。

 楓の木は小っちゃくて、萌え出てきた葉の先端のほうが赤くなってて、同じ方向に広がってる葉の様子や花も、すごく頼りなさげで、虫なんかが干からびてるのに似てて、面白いの。


----------訳者の戯言---------

花の木じゃない、つまり花を愛でるのが目的にはならない木ということでしょうか。桜とか梅とか藤とかみたいに、綺麗な花、華やかさはないけど、いい感じの木はコレだ!の特集です。

 五葉(いつは/ごよう)=五葉松 そばの木=カナメモチ 
それぞれリンクを付けましたので興味のある方はご覧ください。

(まゆみ)というのは、「心ゆくもの」の段で出てきた陸奥紙=檀紙の原料となった木です。

やどり木(宿木・寄生木)という木?もあります。

は神棚とかにもお供えする木です。樒(しきみ)と間違えがちですが、あれは仏教のやつなので違います。榊は神事用です。
「臨時の祭」は「山は」にも出てきました。例祭ではない祭、です。

はこんな木です。

です。
いきなり出てきた「三葉四葉の殿づくり」。何これ?って感じです。
ヒノキと関係あるんすかぁ?

で、調べました。

この一節が出てくるのは、催馬楽の「此殿(この殿)」という歌。催馬楽(さいばら)っていうのは、平安時代に流行った古代歌謡なんだそうです。元々は庶民の歌っていたものに、雅楽の伴奏を付けたのを貴族、皇族の間で愛好するようになったようですね。

この殿

この殿は むべも むべも富みけり 
さき草の
あわれ さき草の はれ さき草の 
三つば四つばの中に 
殿づくりせりや 殿づくりせりや

おおまかな意味は、「この家はなるほど富み栄えたものだね だんだん子孫が増えて 三棟、四棟と 家を増やしていくよ~家を増やしていくよ~」という感じですか。

では、さき草とは何ぞ? さき草=三枝=ミツマタという説や福寿草沈丁花とする説もあります。茎が三つに分かれる草木で、吉兆の草木とされています。幸(さき)草ということのようですね。
その他、さき草=山百合の説もあるようです。

しかしそれでも、この歌が何でヒノキと関係あるんじゃい、と思います。

と、あれこれ考えていたら、ふと気づきました。そもそも、この歌を解釈して関係づけようとしたのが間違いでしたね、私。彼女、シンプルに「ヒノキは建築材料として優れてるよ、よく使われてるよね、ほら、催馬楽でも『3棟、4棟お屋敷造る』ってね」くらいのノリで、この一節を借りたのではないかと。うん、そのほうが腑に落ちますね。

続いてまた意味がよくわからない「五月に雨の声をまなぶ」です。これも調べてみました。

中国(唐)の詩人・方干という人の漢詩に「長潭五月含冰気 孤檜中宵学雨声」というのがある、とわかりました。

書き下すと、「長潭五月冰気ヲ含ム、孤檜終宵雨声ヲ学ブ」となり、ざっくりした意味としては「長い淵は五月にも冷気を含む、孤立した檜は一晩中雨の音を真似る」となるでしょうか。潭=淵というのは「水を深くたたえた所」です。「瀬」の対義語と言った方がわかりやすいでしょうか。

5月になっても寒々しい夜、長い淵のほとりで檜の大樹が一晩中雨のような音をさせている様子がイメージされます。これが「あはれ」だっていうんですね。と、ここまで知らないと、この文の言わんとする感じがわかりません。

ま、例によってちょいちょい入れてくる清少納言の知識自慢なんですが、元ネタ調べるのが大変なんで、本当いい加減にしてほしい。もうちょっと素直に書いてもいいでしょ、と思います。もう、この檜の部分で2日かかってますから。笑

です。楓、2回目ですからね。何これ?って感じですよ。1回最初に出てきてますからね。どうしたんでしょうね。
やっぱりもうちょっと書いておきたかったんでしょうかね。

しかも。
「虫なんかが干からびてるのに似てて面白い」って、どういうセンスなんだよ。ほめてるのかそれ?

参照サイト
「庭木図鑑 植木ペディア」https://www.uekipedia.jp/
「樹木検索図鑑」http://www.chiba-museum.jp/jyumoku2014/kensaku/namae.html

では、そんな感じで文句を言いつつ②に続きます。

 

【原文】

 花の木ならぬは楓。桂。五葉。そばの木、しななき心地すれど、花の木ども散り果てて、おしなべて緑になりたる中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。 

 檀(まゆみ)、更にも言はず。そのものとなけれど、宿り木といふ名、いとあはれなり。榊、臨時の祭の御神楽のをりなど、いとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前のものと生ひはじめけむも、とりわきてをかし。 

 楠の木は、木立多かる所にも、殊にまじらひ立てらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝に分かれて、恋する人の例に言はれたるこそ、誰かは数を知りて言ひ始めけむと思ふに、をかしけれ。 

 檜の木、またけ近からぬものなれど、三葉四葉の殿づくりもをかし。五月に雨の声をまなぶらむも、あはれなり。 

 楓の木のささやかなるに、萌え出でたる葉末の赤みて、同じ方に広ごりたる葉のさま、花もいとものはかなげに、虫などの枯れたるに似て、をかし。

 

桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)

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