枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

花の木ならぬは② ~あすはひの木~

 あすはひの木(あすなろ)は、このあたりの近くでは見聞きしないわね。吉野の御嶽神社に参詣して帰ってきた人なんかが持ってくるこの木の枝ぶりは、すごく手触りも悪くってごつごつしてるんだけど、どんな気持ちで「あすはひの木」って名付けたんだろう。アテにならない未来の約束だよね。誰に期待させてるんだろ?って思って、それを聞きたくて。なんだか興味が湧いちゃうの。

 ねずもちの木は、普通レベルの木じゃないかもだけど、葉っぱがとてもとっても小さくてかわいいのです。

 楝の木。山橘。山梨の木。椎の木は、常盤木はたくさんあるはずなのに、この木だけ葉が落ちない例として言われるの、いかしてるわね。

 白樫(しらかし)っていうのは、奥深い山に生えている木の中でも、全然馴染みがなくって、三位や二位の公卿の上着を染める時とかに、葉っぱだけ人の目にふれる程度だから、ステキとか、すばらしいとか、取り上げるほどでもないんだけど、いつってこともなく、常に雪が降ったのと見間違えられて。スサノオノミコトが出雲の国にいらっしゃることを偲んで柿本人麻呂が詠んだ歌なんかを思うと、とってもしみじみ風情があるの。その時その時で、情緒深いとか、ステキだとか、一旦心に残ったものは、草も木も、鳥や虫だって、いい加減には扱えないよね。

 ゆづり葉が、とってもふっくらして艶めいて、茎がとても赤くて、きらきらして見えるのは、神秘的だけど、いい感じ。普段の月には目にしないけど、師走の末頃だけ見直されて、亡くなった人のお供え物に敷くものにするっていうと、しんみりしちゃう。また、長寿を願う「歯固め」の道具としても使われるものだし。それにいつの時代だったか、「紅葉せむ世や」と詠まれたことからしても、さすがだなって思うのよね。

 柏木はすごく素敵。葉守の神がこの木に宿っていらっしゃるって、畏れ多いわね。兵衛の督(かみ)、佐(すけ)、尉(じょう)なんかのことを、柏木って言うのもいい感じ。

 カッコよくはないけど、棕櫚(シュロ)の木は、唐風の雰囲気があって、身分の低い人の家の木には見えないわね。


----------訳者の戯言---------

原文にある「あすはひの木」は漢字で書くと「明日は檜の木」なんですね。あの、「明日はヒノキになろう」と、「あすなろ」の名前がついたことで有名な木です。昔「あすなろ白書」というドラマもありました。木村拓哉の若い頃のやつですね。未成熟な若者たちの成長のドラマ、だと思います。石田ゆり子の妹・石田ひかりが主役。原作は柴門ふみ。めちゃくちゃ話が逸れました。

「御獄」は御嶽山のことかと思ったら、違うんですね。はじめて知ったんですが、沖縄に「御嶽」という場所があり、こちらは「うたき」と読むらしいです。その中でも最も大きいのは斎場御獄(せーふぁーうたき)と言い、世界遺産にも登録されているそうです。「御嶽」は沖縄では先祖を祀る霊場、聖地だということです。
ですが、それとは関係なく(関係ないんかい!)、この「御嶽」です。「詣でて」とありまして、当時の時代背景から考えると、「御嶽」とは、吉野にある「金峯山寺」とするのが妥当なようです。なぜか。
実は「御嶽」とは、修験道の神・蔵王権現を祭った「御嶽神社」のこと。金峰神社金峯神社(きんぶ/きんぷ/きんぽう/みたけ)ともいいます。総本社は吉野金峰山寺蔵王権現堂。即ちこのため、「金峯山寺」の別名「御嶽神社」と言ったわけなんですね。
もちろん、当時も神仏習合で、仏教と神道の融合とともに、山岳信仰が仏教に組み入れられた修験道もポピュラーでしたから、普通にみんな参詣に行ったのでしょう。

ねずもち=ねずみもち(鼠黐)という木があるそうです。果実が鼠の糞に,葉がモチノキに似ているからこの名前になったとか。
ただ、葉身の長さは4~8cmとのことで、そんな小さくもないんです。で、よくよく調べてみると、「イヌツゲの別称」ともありました。イヌツゲのほうは葉身の長さは1~3cmとなっていますから、ここで書かれているねずもち=イヌツゲのことなのでしょう。

楝の木(現代の本名は栴檀)はこれまでにも何度か出てきました。「木の花は」の段では「木のさま、憎げなれど、楝の花、いとをかし(木の様子は見苦しいけど、楝の花はすごくいい感じ)」って書いてましたよね、ね。
この段のテーマとずれてないか? どっちやねんと思います。もしかして前に書いたこと忘れてませんか。

山橘は、①山に自生している。野生の橘。②ヤブコウジの別名。③ボタンの別名。とありました。この段で出てきてるのがどれのことかは、ハッキリとはわかりませんが、ボタンは木と呼ぶには小さいですし、花も派手やかなので違うと思います。

山梨(ヤマナシ)というのは、果実を食用として栽培される和ナシの野生種だそうです。詳細はリンク先参照。

の木。ウィキペディアでもシイ=ブナ科クリ亜科シイ属の樹木の総称として紹介されています。
常盤木というのは、常緑広葉樹のことだそうです。

白樫(白橿)です。シラカシと読みます。雪と見間違うと書かれていますから、花か葉か木自体、白っぽいものでしょうか。
…いやいや緑ですね。緑にしか見えないですよーどう見ても。雪化粧に見えるものではないです。
シラカシというのは材が白かったからついた名前だということです。その姿かたちを言っているのではないようですね。

では、柿本人麻呂が詠んだ歌とは?

あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば

意味は「どこが山道がわからない。白橿(白樫/しらかし)の枝もたわわに揺れるほど雪が降っているので」ということです。ただ、スサノオノミコトが云々と言うのはまったく出てきません。と思ってもう少し調べてみると、これ、どうも清少納言の思い込みらしいのです。
いずれにしても、どうもしっくりきません。と思って、調べてみると、一般的ではありませんが、裏白樫ウラジロガシ)という木もありました。でも、ここに書かれている白樫とはたぶん違うと思われます。

そして私の解釈。
清少納言、樹木のことをそれほど知っていたのか?という疑問もあります。日本文学、漢文学の古典には詳しいんですけどね。

もしかして、
白樫→白い→雪→白樫がでてくる雪の山道の歌 by 人麻呂(with スサノオノミコト)→いみじくあはれなり
とか、思ったのじゃないでしょうか。本人に自覚があるかどうかは別として、強引っちゃあ強引。論理的説得力はなく、結構単純と言うか、安易な連想に見えます。
この説、私、まあまあ自信あるんですけども、これもまた論理的ではないですね。あくまでも想像ですから。

ゆづり葉=ユズリハは、新しい葉が成長してから古い葉が落ちるので「譲り葉」っていう名前なんですね。なんだか色々な用途があるようです。

「歯固め」というのは、長寿を願って天皇にいろいろな食べ物を差し上げる儀式。この時、食べ物を載せる膳にはユズリハの葉を敷いたらしいです。

「紅葉せむ世や」というのは、「旅人に宿かすが野のゆづる葉の紅葉せむ世や君を忘れむ」という古歌だそうです。結構有名らしい。意味は「旅人に宿を貸す春日野のユズリハの葉がもし紅葉する世が来たらあなたを忘れよう。でもユズリハが紅葉することなんてない、けっしてあなたを忘れることなんてないんだよ。」という感じです。

の木=柏(カシワ)です。みんな大好きな柏餅でおなじみです。美味しいよね。
「葉守の神」というのは、樹木の葉を守る神=樹木を守護する神だそうです。柏木に宿ると言われているそう。初めて知りました。柏餅ウメーとか言ってるだけじゃダメですね。神のおはす木ですから。ちなみに「楢の葉守」といって、ナラの木に宿る葉守もいらっしゃるらしいです。

皇宮守衛の任に当たる兵衛や衛門の官の異名として「柏木」と呼ばれることがあったそうです。兵衛については、「小白河といふ所は」にも出てきました。主人公?の藤原実方兵衛府の佐(すけ)でしたね。「守り」の官職、すなわち守護神=葉守の神「柏木」というわけです。

棕櫚(シュロ)は、ヤシ科の木ですから、所謂綺麗な木ではなく、不格好には思えたんでしょうね。でもエキゾチックというか、今で言うハイカラな感じだったんでしょう。

いろいろな樹木のことがわかったので、まあ良かったです。こういう段は調べなければならないことだらけで、ちょっと疲れますね。文章量も多くなり、読むのも面倒になりますよね。先生から「もっと簡潔に書け」と言われたのを思い出します。

参照サイト
「庭木図鑑 植木ペディア」https://www.uekipedia.jp/
「樹木検索図鑑」http://www.chiba-museum.jp/jyumoku2014/kensaku/namae.html

 

【原文】

 あすはひの木、この世に近くも見え聞こえず。御獄に詣でて帰りたる人などの持て来める、枝ざしなどは、いと手触れ憎げにあらくましけれど、何の心ありて、あすはひの木とつけけむ。あぢきなきかねごとなりや。たれにたのめたるにかと思ふに、聞かまほしくをかし。

 ねずもちの木、人なみなみになるべきにもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきがをかしきなり。

 楝の木。山橘。山梨の木。椎の木、常磐木はいづれもあるを、それしも、葉がへせぬためしに言はれたるもをかし。

 白樫といふものは、まいて深山木のなかにもいとけ遠くて、三位二位の袍染むるをりばかりこそ、葉をだに人の見るめれば、をかしきこと、めでたきことに取り出づべくもあらべど、いづくともなく雪の降りおきたるに見まがへられ、素盞鳴尊(すさのをのみこと)出雲の国におはしける御ことを思ひて、人麿がよみたる歌などを思ふに、いみじくあはれなり。をりにつけても、ひとふしあはれとも、をかしとも聞きおきつるものは、草・木・鳥・虫もおろかにこそおぼえね。

 ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしきけれど、をかし。なべての月には見えぬものの、師走のつごもりのみ時めきて、亡き人の食物に敷く物にやとあはれなるに、また齢を延ぶる歯固めの具にももてつかひためるは。いかなる世にか、「紅葉せむ世や」といひたるもたのもし。

 柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむもかしこし。兵衛の督・佐・尉などいふもをかし。

 姿なけれど、棕櫚(すろ)の木、唐めきて、わるき家の物とは見えず。

 

 

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