枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

宮の五節いださせ給ふに①

 定子さまが五節の舞姫を選んで舞を舞わせるからって、そのためのお世話役を12人、別のところ---女御や御息所(みやすんどころ)では仕えてる女房を拠出するのはよろしくないでしょ、って聞くけど、どうお考えなのか、定子さまに仕えてる女房を十人はお出しになったの。あとの二人は女院と淑景舎(しげいしゃ)の女子スタッフで、この二人は姉妹なのよね。

 辰の日の夜、青摺の唐衣、汗衫をみんなにお着せになって。女房にだってあらかじめ知らせてなくて、お屋敷の他の人にはなおさらひた隠しにして、みんな衣装を着替えて、あたりが暗くなった頃、持ってきて着させたのね。赤い紐をおしゃれに結び付けて垂らし、すごくグロッシーな白い衣装、普通は版木でプリントする模様もこれは手描きなの。織物の唐衣なんかの上に着てるのは、ほんと珍しくって、中でも童女はことさらプチ優美な感じでね。下仕えする女性スタッフまでこれをコレを着て出てきてるから、殿上人や上達部も、驚いて面白がって「小忌の女房」って名付けて。で、ホンモノの小忌の貴公子たちは簾の外に座って女房たちとおしゃべりなんかしてるのよ。


----------訳者の戯言---------

「五節」というのは「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」のことで、大嘗祭新嘗祭で行われる舞いで踊るために選ばれた女性ダンサーだそうです。4~5人のユニットだったとか。

御息所(みやすんどころ/みやすどころ)というのは、皇后(中宮)よりも下位にある天皇の寝所に侍る宮女を総称してこう言ったらしいですね。

女院(にょいん/にょういん)というのは、天皇の母や皇后、後宮、女御や内親王などに授ける尊称だそうです。かなりハイクラスというかというか、最上級といってもいいぐらいの女性です。そこのお付きの女房が一人、ということですね。

淑景舎(しげいしゃ)というのは、御所の後宮にあるお屋敷の一つだそうです。「桐壷」とも呼ばれたとか。そしてもう一人お世話役に選ばれたのが、ここの女房。女院から選ばれた人とは姉妹なんですね。

青摺の唐衣。
唐衣(からぎぬ)というのは十二単の一番上に着る丈の短い上着なんですが、この唐衣が青摺であると。青摺っていうのは、麻に白粉を張って、山藍の葉で小草・桜・柳・山鳥などの紋様を青く摺り付けたといいますから、まあ、プリント生地ですね。当時の。

また、青摺のことを小忌衣(おみごろも)とも言ったそうで、大嘗祭(だいじようさい)・新嘗祭などに、小忌の官人・舞人などが装束の上に着る狩衣に似た衣です。先にも書いたとおり白布に花、鳥などの模様を藍摺りにし、肩に赤い紐を垂らしたそうです。「おみのころも、おみ」とも言うようです。

汗衫(かざみ)という言葉はよく出てきます。大人の場合は肌着、アンダーウェアなんですが、童女が着る汗衫は上着です。ここでは大人ですから、肌着でしょうか。

織物の唐衣の上に、プリント(手描き)の衣を着るというと、今の洋服でいうと、ヘリンボーンとかコードレーン、グレンチェックなどの洋服とリバティあたりのプリントの洋服をコーディネート、という感じでしょうか。質感、テキスタイルデザインの大きく異なるものをあえて合わせるのが、エキセントリックで、おしゃれということなのでしょう。

この段は、「五節」の頃のことを書いています。例年陰暦11月の中の卯(う)の日に行われるイベントらしいですね。新嘗祭(にいなめさい/しんじょうさい/にいなめのまつり)などともいうらしい。稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願する古くからの祭儀でもあり、宮中行事です。
今は11月23日を「勤労感謝の日」として祝日になっていますが、これの起源とも言えます。天皇の即位後に初めて行う新嘗祭大嘗祭と言いますから、今年は「大嘗祭」が行われる予定です。

今回はこのイベントで踊るダンサーズの楽屋周辺と、その周りにいるスタッフたちの様子、という感じでしょうか。さてこの後どうなりますか。
②に続きます。


【原文】

 宮の五節出ださせ給ふに、かしづき十二人、こと所には女御、御息所の御方の人出だすをば、わるきことになむすると聞くを、いかにおぼすにか、宮の御方を十人は出ださせ給ふ。今二人は、女院、淑景舎の人、やがてはらからどちなり。

 辰の日の夜、青摺(あをずり)の唐衣・汗衫(かざみ)をみな着せさせ給へり。女房にだに、かねてさも知らせず、殿人(とのびと)には、ましていみじう隠して、みな装束したちて、暗うなりにたるほどに、持て来て着<す>。赤紐をかしうむすび下げて、いみじうやうしたる白き衣、かた木のかたは絵にかきたり。織物の唐衣どもの上に着たるは、まことにめづらしきなかに、童は、まいて今少しなまめきたり。下仕(しもづかへ)まで<着て>出でゐたるに、殿上人、上達部おどろき興じて、小忌(をみ)の女房とつけて、小忌の君達は外にゐて物などいふ。