枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

関白殿、二月二十一日に㉖ ~院の御桟敷より~

 女院の桟敷から「千賀の塩釜(ちかのしおがま)」とかっていうお便りがあってね、定子さまも返歌をなさるの。趣のある贈物なんかを持って人が行き来するのも素敵だわ。
 法会が終わって、女院がお帰りになったの。院司や上達部が今回は半分ほどお供をなさったのね。
 定子さまが内裏にお入りになったのも知らないで、女房の従者たちは、二条の宮にお帰りになるんだろうな?って、そっちにみんな行っちゃって、待てども待てども来ないままで、夜がすっかり更けてしまったのよ。宮中では、宿直用の着物を早く持って来てくれたらいいのに!って待ってたんだけど、全然音沙汰がないの。新しい衣でまだ身体になじんでないのを着て、寒いから文句を言って腹を立てるんだけど、どうしようもないわ。翌朝になって来たから、「どうしてそんなに気がきかないのよ!!」なんて言いはするんだけど、従者たちの言い分にももっともなところがあるのよね。
 翌日、雨が降ったのを関白殿が「(昨日降らなかったの)これだろうよね! 私の前世の縁が素晴らしいの、わかりますよね?? どうご覧になる?」って定子さまにおっしゃって自画自賛しちゃうのも、当然だわ。でもあの時、素晴らしい!って拝見した全部のことが、今のことと見比べてみると、まったく同じことだと申し上げることもできないくらいに変わってしまったから、憂鬱な気持ちになって、いろいろたくさんあったことも一切書くのをやめてしまったの。


----------訳者の戯言---------

千賀の塩釜=千賀塩竈。千賀浦。という宮城県中部、松島湾西部の地名です。塩釜(塩竈)というのは宮城県塩竈市にある塩釜港あたりなのです。市名は「塩竈」ですが港湾の名称は「塩釜」。現代の住所表記はちゃんとしなければいけないのでしょうけれど、古代からどっちゃでもええがな、という感じだったのでしょう。千賀の塩竈だろうが千賀の浦だろうが、塩竈の浦だろうが、もはや何でもありです。歌枕としてうたわれ、「近し」を掛けて詠まれることが多いところではあったようですね。遠い陸奥にありながら「ちか」が付いた地名なので、「近くて遠い仲」を暗示する、ということのようです。

ここで清少納言が「『千賀(ちか)の塩竃』などいふ御消息参り通ふ」と書いたのは、「こんなに近くにいたのにお話もできなかったわね、的な文がやりとりされた」ぐらいの意味でしょう。ちなみに「古今六帖」には下のような歌があります。

みちのくのちかの塩竈ちかながら 遥けくのみも思ほゆるかな


院司(いんのつかさ)というのは、上皇法皇女院の庁で事務を執った職員のことだそうです。中流貴族が任命されることが多く、他の官職と兼任する兼官だった、とウィキペディアに書かれています。


というわけで、正暦5年(994年)2月21日に法興院の積善寺で藤原道隆が父の供養のため一切経の法要を行ったということで、その前後のことを書いてます。中関白家が栄華を誇っていた時のことですね。
これを清少納言が書いたのはもちろん後年のことで、帝のパートナーとして中宮彰子が定子にとって代わり、すでに道長が趨勢をきわめようとしている頃かと思います。
最後のところでちょこっと出てきますが、すっかりあの頃とは変わってしまったなぁと思って、気が滅入ってしまった…という本音が少し出たようですね。

さてこの段、9月終わりごろから読み始め、4~5カ月ほどはかかるかな??と思っていましたが、10月末に半分ほどまで読みまして、意外と順調なもんであと1カ月かなーとか思っていたら、なんのなんのそれからペースダウンしました。やっぱりか。案の定そこから2カ月半かかってしまいましたよ。持久力がなくてダメですね。終わってみれば予想通り4カ月近くかかってしまいました。


【原文】

 院の御桟敷より、「千賀(ちか)の塩竃」などいふ御消息参り通ふ。をかしきものなど持て参りちがひたるなどもめでたし。

 ことはてて、院帰らせ給ふ。院司、上達部など、今度(こたみ)はかたへぞ仕り給ひける。

 宮は内裏に参らせ給ひぬるも知らず、女房の従者どもは、二条の宮にぞおはしますらむとて、それにみな行きゐて、待てども待てども見えぬほどに、夜いたうふけぬ。内裏(うち)には、宿直(とのゐ)物持て来なむと待つに、きよう見え聞こえず。あざやかなる衣どもの身にもつかぬを着て、寒きまま、言ひ腹立てど、かひもなし。つとめて来たるを、「いかで、かく心もなきぞ」などいへど、陳(の)ぶることも言はれたり。

 またの日、雨の降りたるを、殿は、「これになむ、おのが宿世は見え侍りぬる。いかが御覧ずる」と聞こえさせ給へる、御心おごりもことわりなり。されど、その折、めでたしと見たてまつりし御ことどもも、今の世の御ことどもに見奉りくらぶるに、すべて一つに申すべきのもあらねば、もの憂くて、多かりしことどもも、みなとどめつ。