枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

円融院の御はての年② ~それを二つながら持て~

 それを二つとも持って、急いで参上して、「こういうことがございました」って、帝もいらっしゃる御前で語り申し上げなさったのね。定子さまは、とってもさりげなくご覧になって、「藤大納言が書いた字ではないようですね。法師のでしょう。昔の鬼の仕業だと思いますわ」なんて、すごくまじめな感じでおっしゃるから、「それじゃ、これは誰の仕業なんでしょう?? 物好きな上達部や偉いお坊さまなんかだと誰がいます? あの人かしら?この人かしら?」なんて、不審がって、実のところを知りたがって申し上げなさったから、帝が「この辺で見かけた色紙にすごく似てるよね~」って、ニヤニヤなさって、もう一枚、御厨子の中にあるのを取り出してお示しになったので、「……。ああもうヤだ、こんなことしたワケをおっしゃってください。ああ、頭が痛い、どうかすぐに理由をお伺いしたいです」って、ひたすら責めに責め申し上げ、怨みごとをおっしゃり、お笑いにもなるもんだから、帝がようやくご返事して、「お使いに行った鬼童は、台盤所の刀自っていう者のところで働いてたんだけど、小兵衛がうまく言って誘い出して、やったんじゃないのかなぁ?」なんておっしゃったら、定子さまもお笑いになったもんだから、彼女、定子さまを引っ張り揺さぶって、「なんで、こんな謀りごとをなさったんです? 全然疑いもなく手を洗い清めて伏し拝み奉ったんですからね!」って、笑いながら悔しがってらっしゃる様子も、でも、とても誇らしげで愛嬌もあっていい感じなのよ。

 で、その後、台盤所でも大笑いして騒いで、局に下がって、あの使いの童を見つけ出して、立文を受け取った女房に見せたら、「その子でございましたわ」って言うの。でも「誰の手紙を、誰から渡されたの?」って聞いたら、何とも言わないで、白々しく笑って走って行っちゃったのね。藤大納言(藤原為光)は、後でこれを聞いて、おもしろがってお笑いなったのよ。


----------訳者の戯言---------

僧綱(そうごう)というのは、僧尼の統轄、寺の管理・運営にあたる僧の役職だそうです。

厨子(ずし)は、仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種ということです。玉虫の厨子とかいうのを聞いたことがありますね。広い意味では、仏壇も厨子に含まれるそうです。

「あな、心憂」は「あな、こころう」と読むらしいですね。「ああ、つらい」「ああ、嫌だ」くらいの意味です。

「台盤所(だいばんどころ)」とは、「台盤を置いておく所。宮中では、清涼殿内の一室で、女房の詰め所」となっています。では「台盤」とは何ぞや? 公家の調度の一つで、食器や食物をのせる台。とのことです。食卓、お膳みたいなやつらしいです。

刀自(とじ)は、宮中の御厨子所(みずしどころ)、台盤所(だいばんどころ)、内侍所(ないしどころ)などで雑役を勤めた下級女官のことです。ここに出てきたのは、台盤所(だいばんどころ)の刀自でした。この刀自がさらに子どものスタッフを抱えていたのでしょう。

小兵衛(こひょうえ)というのは、清少納言の同僚の女房です。実はこれまでにも枕草子には2回登場しています。
一つは、「職の御曹司におはします頃、西の廂にて」という庭に雪山を作ったお話なんですが、「常陸の介」というニックネームをつけた変わった女性が出てきました。これに右近の内侍が興味を持ったので、中宮定子が人となりを話したんですが、その時にモノマネをさせたのがこの小兵衛という女房でした。
二つ目は、「宮の五節いださせ給ふに」という、五節の舞姫の控室を作った!という話です。この時は藤原実方というプレイボーイにちょっかいを出された(和歌を贈られた)んですが、たじろいでしまったのか、上手く返歌を返すことができず、清少納言が代わりに詠んで返した、ということがありました。
その人です。若手の女房というか、うぶな、初々しい感じがします。

さてこの段。
天皇中宮が一緒になって、天皇の乳母であり、女房たちの中でもそこそこのポジションにある感じのベテラン女房、藤三位の局にイタズラをしちゃったという話です。

この時、天皇13歳、中宮17歳ということですから、まあ、いたずら盛りともいえますし、藤三位の局に送った和歌は、おそらく中宮定子がつくったものだと思いますね。

このお話の当時、藤三位の局は藤原道兼の室でもありました。道兼は藤原道隆の弟ですから、定子からすると叔母、つまり「おばちゃん」です。で、一条天皇の乳母、つまり母親代わりですから、一条帝からすると、ほぼ「お母ちゃん」です。
藤三位の局は生年がわかってないようですが、この逸話があったころ、帝が13歳としても、藤三位が乳母となったのが20歳だとして33歳になってるわけですから、概ね30代ではあるでしょうね。

つまり、天皇皇后夫妻とは言え、まだ13歳と17歳のお子ちゃま夫婦が、30代のよく知ってるおばちゃん(だけどキャリア女性)にいたずらしちゃった!という話なんですね。それにしてもまあ、当時の皇族のいたずらというのは、なかなか手が込んでいます。やられたほうは、まあそもそも薄々はわかっていて、「んもう、この子たちったら!!(天皇と皇后だけど)」となりますが、絶対的に上の身分なわけで、リアクションに困るというのはわからなくもありませんね。

で、藤大納言(藤原為光)は、妹の藤三位が二人の悪戯の対象になったのを後で聞いて、ウケちゃったわけですね。ま、私個人的には、そんなウケるような話でもないような気がしますけど、めっちゃウケたみたいなこと書いてます。

とまあ、それぞれの年齢とか人間関係を知った上で読まないと、この段の雰囲気はわかりにくいように思います。単に帝と中宮が女房の一人にいたずらしただけの話になってしまいますから。

なかなか微笑ましくていいとは思います。中宮定子と、定子サロンの人々がまだ幸せでふわふわしてた、ということがよくわかるのは確かですね。どの人もまあそこそこ笑っちゃってますからね。そういう意味では時代のエアを顕著に現わしてると言える段なのでしょう。


【原文】

 それを二つながら持て、急ぎ参りて、「かかることなむ侍りし」と、上もおはします御前にて語り申し給ふ。宮ぞいとつれなく御覧じて、「藤大納言の手のさまにはあらざめり。法師のにこそあめれ。昔の鬼のしわざとこそおぼゆれ」など、いとまめやかにのたまはすれば、「さは、こは誰がしわざにか。好き好きしき心ある上達部・僧綱などは誰かはある。それにや、かれにや」など、おぼめき、ゆかしがり、申し給ふに、上の、「このわたりに見えし色紙にこそいとよく似たれ」とうちほほ笑ませ給ひて、今一つ御厨子のもとなりけるを取りて、さしたまはせたれば、「いで、あな、心憂。これ仰せられよ。あな、頭痛や。いかで、とく聞き侍らむ」と、ただ責めに責め申し、うらみきこえて、笑ひ給ふに、やうやう仰せられ出でて、「使に行きける鬼童は、台盤所の刀自といふ者のもとなりけるを、小兵衛がかたらひ出だして、したるにやありけむ」など仰せらるれば、宮も笑はせ給ふを、引きゆるがし奉りて、「など、かくは謀らせおはしまししぞ。なほ疑ひもなく手をうち洗ひて、伏し拝み奉りしことよ」と、笑ひねたがりゐ給へるさまも、いとほこりかに愛敬づきてをかし。

 さて、上の台盤所にても、笑ひののしりて、局に下りて、この童たづね出でて、文取り入れし人に見すれば、「それにこそ侍るめれ」といふ。「誰が文を、誰か取らせし」といへど、ともかくも言はで、しれじれしう笑みて走りにけり。大納言、後に聞きて、笑ひ興じ給ひけり。


検:円融院の御終ての年

 

枕草子 清少納言のかがやいた日々 (講談社青い鳥文庫)

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