清水にこもりたりしに
清水寺に籠ってた時に定子さまがわざわざお使いを寄越されて、お手紙をいただいたんだけど、唐の紙の赤っぽいのに仮名書きで、
「山ちかき入相(いりあひ)の鐘の声ごとに恋ふる心の数は知るらむ
(山に近いお寺の夕暮れの鐘の音が一つ鳴るごとに、あなたを恋しく想う心の数がわかるでしょ?)
なのに、ずいぶん長いことそっちに滞在してるのね」ってお書きになってるの。紙とか、いいかげんっぽくないものも、持ってくるのを忘れてた旅行だったから、紫色の蓮の花びらに、歌を書いてお返し差し上げたのね。
----------訳者の戯言---------
唐の紙というのは、中国製、メイド・イン・チャイナなのだと思います。当時の中国製はクオリティの高い高級品だったのではないでしょうか。
原文にある「草」というのは草書というか、仮名文字で、っていうことらしいです。万葉仮名のことだそうですね。
入相(いりあい)。夕暮れのことをこう言ったらしいです。日が山の端に入る頃で入相と表現したのですね。入相の鐘というのも慣用的に使われたようです。
原文に「なのめげならぬ」とあります。原形は「なのめげなり」ですね。元々「なのめなり」っていうのは、」「いいかげんな」「テキトーな」っていう感じの言葉です。「げ」は「気」ですから、~っぽいというニュアンスが加わります。なので、「なのめげならぬ」だと「いいかげんっぽくはない~」になるのでしょう。
赤い唐の紙が夕焼けを模しているのでしょうね。
「そっちで夕暮れのお寺の鐘が鳴るたびに、私があなたのことを想ってるの、わかるでしょ?」
もはや恋人へのラブレターかと思うような歌です。前段に続いて定子の気持ちも相当弱っている感じもします。しばらく会ってないと気持ちが募る、という感じですね。
散華(さんげ)と言って、寺院で法要が行われる時に、仏様を供養するために花が撒かれたんだそうです。元々は蓮とか生花が使われましたが、そのうち蓮の形をかたどった色紙が代用されるようになったということなんですね。奈良の東大寺の正倉院に残っているそうですから、その頃にはあったのでしょう。もちろん、今もこの散華の花びらはあります。大きさ的には8.5~9cm×7cmぐらいです。A7判よりもちょっと小さいですね。キャッシュカードよりは一回り大きいでしょうか。ま、それぐらいの花びら形の紙です。
定子さまの切ない気持ちを感じ取って、適当な紙がないけど、その紫色の散華の花びらをメッセージカードにして歌を書いて返したと。そんなところです。なんか、つらーい感じの段が続いてます。ツッコミどころも少ないですね。
【原文】
清水にこもりたりしに、わざと御使して賜はせたりし、唐の紙の赤みたるに、草(さう)にて、
「山ちかき入相(いりあひ)の鐘の声ごとに恋ふる心の数は知るらむ
ものを、こよなの長居や」とぞ書かせ給へる。紙などのなのめげならぬも、取り忘れたる旅にて、紫なる蓮の花びらに書きてまゐらす。