枕草子を現代語訳したり考えたりしてみる

清少納言の枕草子を読んでいます。自分なりに現代語訳したり、解説したり、感想を書いています。専門家ではないので間違っていたらすみません。ご指摘・ご教授いただけると幸いです。私自身が読む、という前提ですので、初心者向けであって、何よりもわかりやすい、ということを意識しているのですがいかがでしょうか。最初から読みたい!という奇特な方は「(PC版)リンク」から移動してください。また、検索窓に各段の冒頭部分や文中のワードを入れて検索していただくと、任意の段をご覧いただけると思います(たぶん)。

駅は

 駅(うまや)は。梨原(なしはら)。望月の駅。野磨(やま)の駅は、しみじみいい話があったのを聞いてたんだけど、またしんみりしちゃう切ない出来事があったから、やっぱりいろんなことを考え合わせてしみじみ感動しちゃうの。


----------訳者の戯言---------

駅と書いて「うまや」と読むそうです。
駅馬を置き、駅使(えきし/うまやづかい/はゆまづかい)に食料や人馬を供する駅長や駅子(えきし)という人たちがいたというところで、財源として駅田が給与されたらしいですね。民間ではなくて、国営ですから利用できる人も限られてますが、レンタカーとかレンタサイクルとかのステーションというか、ドライブインやパーキングエリア的な施設といった感じでしょうか。
駅使(えきし/うまやづかい/はゆまづかい)というのは、駅鈴というものを朝廷から下付されて、駅馬や駅家を利用することを許された公用の使者のことなんだそうです。

「駅」というと馬ヘンですから、元々はそうだったのかなーとは思えますが、私などは感覚的には、もうずっとあの鉄道の駅(えき)ですからね。駅と言えば列車に乗るところですものね、現代の都市生活においてはほぼ電車の駅。地方ではディーゼル機関車、時代を遡れば蒸気機関車もありましたが、それでも馬とはダイレクトにつながりません。
そうそう蒸気機関車といえば、「鬼滅の刃 無限列車編」遅ればせながらようやく見てきました。良かったですよ。

さて。それはいいとして、今は道の駅というものもあって、これなどは自動車ですからね。ただ、道の駅というのは道路沿いにありますから、案外昔の馬のほうの駅(うまや)に近いのかもしれません。

駅(うまや)は律令制で諸道の30里(約16km)ごとに置かれた施設らしいです。私のこれまでの知識では1里=約4km(調べたところ約3927.273m)なんですが、全然違いますね。当時の1里はおよそ533.5mだったそうです。違いすぎるわ!
というわけで、駅。宿場町みたいなものに近いのでしょうか。


梨原という地名は、近江国にあったようです。平安時代の郷名は栗太(くりもと)郡で、現在の草津市にあった場所のようです。「和名類聚抄」という平安時代に編纂された辞書に「梨原 奈之波良」とあるらしいですね。


望月の駅というのは、信濃国の「望月の牧」のことを言っているのだそうです。信濃というのはご存じのとおり今の長野県あたりで、信州とかとも言いますね。信州味噌とか信州そばとか有名です。ちなみに私は更科そば派です。関係ないですが。

望月の牧でしたね。「牧」というのは言うまでもなく牧場のことです。望月の牧というのは、今は長野県佐久市望月という地名がありますが、そこにあったようですね。勅旨牧(ちょくしまき)と言って、奈良時代天皇の勅旨により開発が始まった牧場があって、朝廷で使う馬などの供給源とされたそうですが、その一つだったようですね。

逢坂の関の清水に影見えて 今やひくらむ望月の駒
(逢坂の関のあたりの泉の澄んだ水に姿を映しながら今、引かれてるのかな?望月の牧の馬が)

という紀貫之の歌がありました。
毎年旧暦8月15日の満月(望月)の日に、育てた馬を朝廷に献上していたこと、また、このエリアを治めていた地方の豪族が望月氏だったとか、そういう由来があるようです。
ただし、調べてみても望月の牧のあった場所、つまり望月という地域に「駅(うまや)」もあったということは確認できませんでした。清少納言が「馬つながり」で「駅」と「牧」を混同した可能性はありますね。

清少納言はこれまでにもあったように、本人は行ったことはないけれど、名歌に出てくる情景や歌枕から想像して、あるいは語感から、地名を書き連ねる癖がある人ですから、紀貫之の歌を見て望月の馬、望月の駅っっていいわ~と思ったのかもしれません。


やまの駅は、播磨国の野磨(やま)というところにあった駅らしいです。播州赤穂というところですね。あの忠臣蔵浅野内匠頭が治めていたという赤穂です、塩で有名な。野磨の駅は、兵庫県赤穂郡上郡町落地というところに跡地が残っているようです。
今昔物語集」にある説話にこの野磨の駅が出てくるんですね。ここに棲んでいた毒蛇が聖人の読んだ法華経の功徳で人に転生し僧侶になった、という話があったのです。これが「あはれ」な話の一つです。

「あはれ」という感情は、「しみじみとした感動・情趣」などとも言われたりするんですが、どういった感覚、感情、心持ちなのか、言い表すのがなかなか難しいですね。今っぽく言うと、「エモい」という感じかもしれませんが。私自身、完璧に理解できているかというと、怪しいものです。寂寥感、もの悲しさ、切なさを表したりもしてるようにも思いますしね。いずれもポジティブ感のない感動、しかしだからといって、風情が感じられなくもないんですね。
カワイソだけど素敵。悲しいけど風情がある。切ないけどしみじみ感動。そういう複雑な気分かと思います。

清少納言は、野磨の駅の毒蛇の説話を知っていたのでしょう。で、またもやしんみりしちゃう切ない出来事があったと。
その、「またもやあったこと」が何なのか、清少納言もちゃんと書いてくれればいいんですが、何かよくわからないんですね、この部分。ふわっとしているというか、わざと持って回ったような書き方していて、非常にわかりづらいです。何なんこれ?

と思って調べてたところ、定子の兄・伊周が太宰府に権帥として出向く時、すなわち左遷の道中に、野磨の駅で母・高階貴子の訃報を受け取ったのだという説がありました。なるほど、定子付きの清少納言としては、中関白家のヒーローのはずであった伊周が政争に敗れ意気消沈、さらに母の死という不幸が追い打ちをかけてやってくるというエモい出来事があったというわけです。それで清少納言もハッキリとは書けなかったんですね。

関係はないんですが、なんでも「エモい」で片づけてはいけませんね。非常に便利だし、雰囲気のある形容詞なんですが、これは読み取る側にかなりセンスが求められる語でもあると思います。受け手の感性を磨くにはいいかもしれません。逆に使う側は、あまり使い慣れ過ぎると表現力が乏しくなりそうな懸念、デメリットもあります。

話が逸れましたが、そういうわけで、清少納言がしんみりしちゃった駅、の話でした。しかしちょっと、あはれ、あはれ、言い過ぎだと思います、はい。


【原文】

 駅は 梨原(なしはら)。望月の駅。やまの駅は、あはれなりしことを聞きおきたりしに、またもあはれなることのありしかば、なほ取りあつめてあはれなり。